化粧≠マナー?私が化粧をしたくない理由


女性が化粧をしていないことは罪?

私は不思議というか疑問に思うことがある。
それは……。

どうして女性は化粧がマナーなのか?

就職面接へ行く時も化粧はしなきゃいけないと言われるし、「女性が化粧をしていないことは罪だ」なんてことを母親から聞いたことがある。

でも、なぜ女性が化粧をしていないことは罪と同等になるのだろうか?

私の化粧に対する考え

書き忘れたが、ここでいう化粧は「メイクアップ」のことを指す。
スキンケアは肌を守るために大切だと思うのであえて除外する。
これらを踏まえて、ここから先は私の化粧に対する考えを書いていく。

日常的に化粧をするのは嫌

私は常日頃から化粧をすることは嫌だ。

一時的は私も化粧をすることに憧れた。
自分の顔が大嫌いだから、化粧をすれば変われると思っていた。

でも、人は完璧な見た目が全てではないと気付いた。
もちろん清潔感は必須だけど、過剰なまでに痩せていたり、美人になるために整形したりするなんてことは自分を壊しかねないと気付いた。

さらに、化粧で見た目を良くしても中身、つまり性格や思考、精神面などは変えられないことだと思った。
化粧をすることで気持ち的には明るくなるかもしれない。でも、それでその人の性格まで変わることはほとんどないだろう。

これらの理由から、私は日常的に化粧をすることはしない。
単純に面倒くさいという理由もあるが。

「多様性」が認められるなら「化粧の有無」も「個人の自由」であるべき

今日、多様性な社会を目指して運動する人たちはたくさんいる。
女性が活躍できる社会、女性が差別や暴力の被害に遭わない社会を目指す運動もたくさんある。

それらの運動では家父長政治の廃止、性暴力・性差別の根絶など女性の自由を求めていることが多い。

しかし私は思う。
これらの運動で化粧の義務を無くすことも訴えてほしいと。

「多様な生き方」が認められつつあるなら、女性が化粧をしないのはマナー違反という風潮は無くしていかないといけない。
女性だけは化粧をすることを当然のマナーのように考え、しかも落ち着いた雰囲気の化粧でないといけない。
これで多様な社会と言えるのか、私は疑問に思う。

化粧をしたい時はすればいい

ここまで化粧に対してめちゃくちゃ批判してきたが、私は必ずしも化粧そのもののアンチではない。
私は『強制』『義務』である化粧が嫌なだけだ。

だからしたい人はすればいい。したくない人はしなくてもいい。
普段からしない人もしたい時はすればいい。
それを許容できる社会が良い。

実際、私もしたい時は自由に化粧しているし、やりたい人に「やめろ」なんて言うのはそれこそ多様性を認めない社会だと思う。

もう一度言う。
私は『強制』『義務』である化粧が嫌なだけだ。

私の化粧は『自己満足』

最後に、私の化粧は『自己満足』であることを書かせてほしい。

私は普段はしないけど、化粧をしたい時はする。
それは誰かに強制されたわけじゃない『楽しむための化粧』だと思っている。

だから、トレンドに左右されず、自己流で施し、純粋に『楽しむため』に化粧をしているだけだ。

私の化粧は『自己満足』な化粧だ。
誰かに褒められたいわけでも、いい人だなと見られたいわけでもない。
ただ私がやりたいからやるだけ。それがいい。

何事も『楽しく』なければ辛いだけ。
それは化粧にも言えるのではないだろうか。

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