見出し画像

体育館のピアノ

今週は、栃木県に行っていました。
小学校の音楽鑑賞会のためで、サックス奏者の夫とデュオで、6校7公演してきました。

公演の中で気付いたこと、考えたことは沢山あり、そのうち書くと思いますが、先にピアノのことだけ書きます。

全ての学校で、体育館の壇上で演奏したのですが、お世話して下さる教育委員会の方や先生が、たびたび「ピアノの状態が悪くてすみません」とおっしゃるのですけど、ピアノの状態は勿論良くはないんですけど、私自身はものすごく楽しい気持ちで弾いており、全く気になっていませんでした。
むしろ、ワクワク楽しみで。

小学校の時、体育館脇にカバーをかけて置いてあるグランドピアノをずっと弾いてみたかったんですよね。あれはどんな音がするんだろうと、憧れを持って見ていました。
卒業式の歌の伴奏ぐらいでしか、使われているのを見たことがありません。年間で、出番は片手で足りるぐらいの回数かもしれない。
私は、中学生の途中まで自宅にアコースティックピアノがなかったので、特にグランドピアノには大きな憧れがあり、ほとんど使われることがないのなら弾かせて欲しいとずっと思っていました。

このツアー最初の学校に着くまで、自分が小学生の時に体育館のピアノを弾きたいと思っていたということは、すっかり忘れていたんですよ。
壇上のピアノを見て、ああそんな風に思っていたなあと思い出し、
<おお、私、ついに体育館のグランドピアノが弾けるんだ、しかもピアニストとして>
と、若干興奮していました。
ピアノの蓋を開ける瞬間が毎回ワクワクしました。

今回、6台のピアノに当たりましたが、予想通り外装は傷がいっぱい、蓋を開けると埃まみれ、乾燥剤だらけ、弦もピンも真っ黒になり、弾いてみるとアクションはガタガタでフェルトも硬くなっている。今挙げたことはネガティブな情報ではありますが、そういうものだと最初から思っていたし、どれもとても言葉にならないぐらい愛おしい楽器たちでした。

だって、出番が少ないのに、ずっと密やかに厳しい環境を耐え、年月を過ごしてきたピアノたちですよ。
逆に、その少ない出番のために、こんな大きく高価な楽器を学校が当たり前に用意してくれているって、とても贅沢なことだなとも思いました。

事前に、確実にこうであろうと想像していた点は、まずは「楽器が古い」こと。
公立学校では買い替えはなかなかない、あるいは寄付されたものなので、もしかすると学校設立の時に購入したピアノかもしれない。ということは、普段弾くことのない50年もの以上の可能性もあります。
もう一つ、「ピアノそのものの状態が悪い」こと。体育館は当然空調もなく、気温も湿度も乱高下する厳しい環境。弾かれる機会も極端に少なく、常に冬眠状態です。楽器は演奏されてこそアクティブな状態になるので、体育館のピアノは結構特殊な状態だと思います。

この二点は確実にそうであろうと予想していて、それに加え「出ない音がある」という可能性も想像していました。幸い、出ない音のあるピアノには当たらなかったです。

ということで、6台弾いてきたのですが、

1: 1967年製造 YAMAHA G3 54歳
2: 1956年製造 YAMAHA G2 65歳
3: 1995年製造 YAMAHA C3 26歳
4: 1990年製造 YAMAHA G3 31歳
5: 製造番号が消されたYAMAHA G3(おそらく7桁製造番号)
6: 1963年製造 KAWAI No.600 58歳

以上の中で、2と6が非常にポテンシャルが高く、二つとも楽器の製造番号はなんと5桁なんですよ。5桁の楽器なんて、見た記憶がほとんどありません。

勿論、状態は良くないのですが、特に2のピアノは非常に良い楽器で、6台の中で一番好きでした。

画像1

蓋に移った鍵盤が、傷とひびのせいでゆらゆらに見えるでしょう。
こんな感じなのに、何というか凄く胴のしっかりした音で、弦も古いしフェルトもコチコチなんだろうなあという感触でしたが、これは絶対良い楽器だったものです。
一緒に演奏していた夫も、この学校の時は雨にも関わらずよく鳴っていたと言っていました。
変色の感じから、おそらく象牙鍵盤です。おそらくと書いたのは、私が今まで弾いた象牙と大分触れた感触が違う。年に数えるほどしか弾かれず半世紀以上経っていたら、通常のエイジングとは全く違う事も考えられるので、技術者さんなら当然とわかることかもしれませんが、私にはおいそれと断言できません。
そう考えると、私の頭のリファレンスは、日常的に弾き込まれた、せいぜい40年ぐらいまでのピアノが圧倒的に多いんだなあと気付きました。


6のピアノも印象深かった。

画像2

こちらは確実に象牙鍵盤です。
蓋を開けた時に、鍵盤に埃がこびりついていて、乾いたティッシュでこそげ落とす感じで拭いたのですが、きれいに拭いてしまうとツルツル&しっとりの象牙の感触で、しかもあまり弾き込んでいない象牙で、とてもリッチな感触でした。
弾くたびにアクションもギシギシいっており、タッチが恐ろしくバラバラだったので1.7倍ぐらいの圧力で弾かないと均一に鳴ってくれなかったですが、それでも音そのものはかなり良い。明るく朗らかに鳴ってくれるし、地に足ついた胴が太い音がする。
音の身の減衰が速いのも非常にカワイらしい音で、この時代からこの音ならカワイはそもそもこういう思想なのだなと、勉強になりました。正直、今の同クラスの楽器より全然良いです。
こんな、良い楽器を公立学校に入れていたんだなと、本当に感心しました。


番外編ですが、5のピアノが面白くて、ピアノにこんな紙が貼ったままで。(画像クリックで拡大すると読めます)

画像3

何か楽しいレクリエーションをしたんでしょうね。どんなことをしたのかなあ。


私はジャズの分野ということもあり、クラシックの同年代のプロのピアニストよりは格段に弾いたピアノの数は多いです。
理由は一つ、ジャズだと細かい仕事が多いので、本番の数が圧倒的に違う。
ライブハウス、コンサートホール、バー、ラウンジ、ホテル、スタジオ、レコーディングスタジオ、ショッピングセンター、学校、公民館、病院、演奏会をする個人宅、お寺、船、今まで行った面白いところでは、餃子屋、ラーメン屋などもありました。(餃子屋の鍵盤は油で尋常じゃなくツルツルしていました)

楽器の状態には、オーナーの考えや演奏観や態度が、100%間違いなく反映されています。
体育館のピアノは特殊で、オーナーは自治体で人ではありません。しかも、音楽室のピアノよりも出番は少なく、メンテのために気に掛ける人はほとんどいないでしょう。
こんな立場の楽器って、なかなかないですよ。通常は、楽器って必ず買う時には「この楽器が是非とも欲しい」と思ったオーナーがいるんですから。体育館のピアノの場合は備品扱いですが、学校の備品でこんな高級な備品もなかなかないと思います。
だから、各学校に配置され、広い体育館の片隅でずっと弾かれるのを待っている楽器、子どもの入学や卒業など、成長の大きな機会のみを何十年も見守ってきた楽器と思うと、たまらなく愛おしいものがありました。

ミュージシャンにとって楽器はパートナーなので、人格みたいなものを感じたりもするのですが、「楽器として生まれたからには本当は歌いたいけど、特定の誰かからケアされる事もなく、ずっと眠らざるをえなかった」楽器たちと1時間ほど一緒に過ごすのは、普段の演奏と全く違う歓びがありました。

特に意識もせず毎日全てのピアノの写真と製造番号を撮っていたのですが、ひっそりと生きてきた楽器の製造番号=名前を残しておきたいという気持ちがあったのかもしれません。

画像4


学校公演の内容については、また後日書きます。
音楽鑑賞会のジャズ公演、というか、小学生のジャズ・コミュニケーションの体験授業みたいな感じですが、我々に限らず周りのジャズ・ミュージシャン沢山が関われたら良いなと改めて思ったからです。

記事や音楽を気に入って下さったら、サポート頂ければ嬉しいです。今後の活動に使わせて頂きます。