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私は弱虫じゃなく、自分の本音を認めてあげられなかっただけかもしれない

今回も野本さんの記事を読ませていただいて、とても感銘を受けたので、感想と共に職歴を振り返ってみたいと思います。

私は、自分をメンタルが弱い弱虫だと思っていました。
その理由は、「人の目を気にして自分の意見を飲み込んでしまう」自分を卑下してメンタルが弱っていくからです。

私の母は、ハッキリ意見を言う人です。自分軸がぶっとくて、それに合わない人や物をバッサリ切り捨てる物言いをする時があります。

私が子供の頃も、散々ダメ出しや注意を受けてきました…。
それが積もり積もって、自分に自信が持てず、無価値でダメな人間だと思い込むようになっていきました。
注意されないように言葉を飲み込んで、ひっそり生きるようになりました。

職場で揺さぶられたメンタル

今まで勤めた職場はいくつかあるのですが、辞めるキッカケは自分のメンタルが折れたことでした。

例えば、新卒で入った職場では感情むきだしで怒鳴る男性社員がいました。
少しでも気に障ると、腕と足を組み、大声で、机を叩いて説教するようなタイプ。

それを間近で見ているだけで、かなり心が揺さぶられて辛かったです。
当時は、「私がこの社員をスルーできれば問題ないはずだ」と自分側のメンタルを鍛える方向で考えてみました。
でも、ダメでした。。

今振り返ると、私の本音は「自分の機嫌次第で感情的に怒る人自体が苦手」なのだと思います。

威嚇するタイプに辟易

その後、転職した職場でも、横柄な態度で大きな声で威嚇するように指導する上司がいました。
めちゃくちゃ辛くて、毎日職場に行きたくないな…
どうやったら休めるかな…と考えていました。

もし職場の人に、あの人が怖いとか、あの人がいるから仕事に行くのが憂鬱だ、とか相談したらバカにされると思って、ひたすら我慢していました。

我慢することでストレスが溜まり、発散するためにお菓子を大量に食べていました。
3kgぐらい太りました。

悩みすぎて、限界が来てしまい1年で退職。
この時も「自分は我慢できない弱虫なんだ」と自分を責めていました。

この経験から思うのは、私の本音は「横柄で威嚇するタイプの人が苦手」なんだな、ということです。

今度は違うタイプの苦手と遭遇

その後、見つけた職場は知り合いの紹介でした。
片道50分、毎日車で通勤。
時給は900円。生活はカツカツでした。
繁忙期は、朝9時から夜9時までの12時間勤務。帰って寝るだけでした。

一番メンタルに来たのは、お客さんの愚痴や文句を言う職場の雰囲気でした。スタッフ3〜4人でお客さんを迎える準備をするのですが、繁忙期は忙しくてイライラした空気が漂い、自ずと愚痴や文句、不満が蔓延していました。

チームリーダーは毎日ブスッとした顔で疲れた空気と不満たっぷりの愚痴をこぼし、同じ空間にいることがとても憂鬱でした。
思い切って、職場のトップに相談しましたが、そういう人だから仕方ない、という返事。

自分が気にしすぎる弱虫だからダメなんだ、普通の人は何にも思ってないんだ、と感じて悲しかったです。
ものすごく疲れていて、ストレス発散にまたお菓子や菓子パンを大量に食べてしまいました。

泣きながら車を運転して、通勤していました。
この時が一番メンタルが弱っていた時期です。

心も体も休まらず、ついには両腕が腱鞘炎に。
8ヶ月で退職してしまいました。

この経験から思うのは、私の本音は「ブスッとして愚痴や文句を言う人が苦手」なんだな、ということです。

共通しているのは・・・


3つの職場で共通していたのは、
怒る人、威嚇する人、ブスッとしている人達(ネガティブな感情を出す人)の顔色をうかがって、いつもビクビク怯えていたことです。

彼らの感情を逆撫でしないように、「人の目を気にして自分の意見を飲み込んでしまう」ことを繰り返して、吐き出せない感情を自己卑下に向けて、自分の心を何度も傷つけていました。

自傷行為の一種なのかもしれません。

周りに流されて

思い返せば、大学時代はボランティアサークルが楽しくて、就活はかなりテキトーでした。同級生は、しっかり勉強して公務員に受かったり、教員になったり、銀行に入ったりしていました。

私は教員免許は取ったものの、教育実習で「自分に教師は向いてない」と悟り挫折。
他にやりたいこともないし、とりあえず非常勤で入れた職場で働き始めました。
そしたら、メンタルが苦しくなって退職。
転職しても、仕事が続かない!汗

キャリアうんぬん以前に、やりたいことが分からないまま、なんとなく仕事を選んでいました。

私は弱虫じゃなく、自分の本音を認めてあげられなかっただけ

3社目を退職した時、自分のやりたいことを見つけよう!と思い立ち、女性向けのキャリアセミナーに参加。

自分の過去や職歴、好きなことなどを掘り起こすワークに取り組みました。
その中で見えてきたやりたいことが、大学時代のボランティアサークルでやっていたことでした。

やっぱりこれをやりたい!と本音が明確になると、奇跡のようにやりたい仕事を知人から紹介してもらいました。

丁度、人手不足だった職場からは歓迎していただき、あれよあれという間に入社。学生時代、楽しかった思い出を胸に今度こそ頑張ろう!
この会社でキャリアを積もう!と意気込んでいました。

自分にはどうしようもないことがある

やりたい仕事と出会えて、もう一度人生をやり直したいと転職して2年。

私は、また泣いていました。

玄関に座り込んで、「もう仕事に行きたくないよー!!もうやだー!」と泣き叫んでいました。

それも、自分がリーダーを務めている仕事の当日の朝に。。

流石に夫が見かねて、職場に電話すれば?と優しく言ってくれたけれど、リーダーの自分が急に休んだら職場にとても迷惑がかかる…とギリギリのところで出勤することにしました。

出勤してからは、何とか頑張って仕事をこなし、無事終了。
本当は大小のトラブルが多々ありましたが、スタッフの協力のおかげで何とか乗り越えました。

ここで私は静かに決意します。

「私には無理だ、辞めよう」

長くなってしまったので、続きは次の記事で書いていきますね。

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