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ユーリ・ノルシュテインについて

 私は今まで、映画やアニメを見て涙するような事はほとんどなかった。だが最近は歳のせいか涙腺がゆるくなって、子ども向けアニメを見ている時でさえ、思わず涙してしまうようになった。先日もNetflixで数年ぶりにジブリの「魔女の宅急便」を見て、泣いてしまった。トンボを助けにいくために、キキが必死に魔法の力を取り戻そうとしているシーンで、ポロリ。ポケモンのCGアニメ「ミュウツーの逆襲」を見ても、サトシがミュウとミュウツーの争いに巻き込まれて石化してしまい、それをピカチュウが何度も電気ショックを与えて起こそうとしているシーンを見て、ポロリ。

 というところで、今回紹介したいのは、ロシアのアニメーション作家のユーリ・ノルシュテインの「話の話」というアニメーション作品。私は幼い頃にも「話の話」を見ている。断片的にしか記憶はないが、その頃の私も、可愛い狼のキャラクターや映像の鮮やかに映りかわる様などを十分に楽しめていたと思う。でも、彼のその感性の素晴らしさ、その尊さに気づく事ができたのはずっと後になってからだった。今まで一度も見た事がないという方は、ぜひ一度こちら↓でご覧いただきたい。(人のブログから引っ張ってきてしまって申し訳ないが、この方の視点や解説も非常に良いので、時間があればぜひ読んでみてもらいたい。)


ユーリ・ノルシュテインの略歴 [1941-現在78歳]

 彼は1941年に第二次大戦下のロシアで生まれ、モスクワで育った。家族は父と母、兄がいた。父は木材加工器械の整備工だったが、ノルシュテインが14歳のときに他界している。母は保育士で、兄は音楽を学び、後にバイオリンの修復者になった。ノルシュテインは義務教育を受けた後、画家を目指して美大を受験するも不合格となり、家具コンビナートで働きはじめる。
1959年に映画作成会社(ソユーズムリトフィルム)の就職試験を受け採用される。ソユーズムリトフィルムではアニメーターとして、自身の監督作も含めて50本以上の作品に関わる。中には日本でも人気を集めた人形アニメ『ワニのゲーナとチェブラーシカ』(ロマン・カチャーノフ監督)などもある(ノルシュテインはワニのゲーナの操演を担当)。同撮影所で美術監督のフランチェスカ・ヤールブソワと知り合い結婚。2人の子供を授かる。1979年制作の『話の話』では、ロサンゼルスにおいて行われた映画芸術アカデミーとハリウッドASIFAとが共催した国際アンケートで「あらゆる民族、あらゆる時代の最上のアニメーション」として認められる。1981年からはニコライ・ゴーゴリの短編小説「外套」をモチーフにアニメーション制作を行っている。

 彼の作品からは、マルク・シャガール[1887-1985]の絵を見ているような温かみを感じる。シャガールはノルシュテイン監督よりも60歳ほど年上であるが、彼もノルシュテイン監督と同じように戦時中のソ連(今のロシア)に生まれている。シャガールは平和を希求する作品を制作し続けた人物で、別名「愛の画家」とも呼ばれた。また彼は元々敬虔なユダヤ教徒でありユダヤ人であった。彼は故郷ベラルーシの生活と自然、ユダヤ教の宗教生活、そして妻のベラを一途に敬愛していたが、戦争でその全てを失ってしまう。その後の彼は、彼の想像の中だけに残された幼少期の風景を、内面性と現実の両方で描き、彼の絵画の中に新しい現実世界を築き上げた。

 シャガールについては、こちらのページによくまとめられているので、ここではこれ以上触れない。

 この「話の話」という作品は1976年から1979年にかけて、ノルシュテインとその妻であり美術監督のフランチェスカの手によって3年がかりで作り上げられた。この作品について、ノルシュテイン本人が語っていることを見つけたので、ここに引用しておく。

リポーター:戦後のモスクワを舞台にした「話の話」についてもお聞かせください。戦争にまつわるイメージが断片的につなげられ、監督自身の記憶も反映されている作品ですね。
ユーリ・ノルシュテイン監督:戦後すぐの頃、私はまだ幼かった。でも記憶というものは、個人的な記憶だけでなく、ドキュメンタリーフィルムや戦争を経験した人たちの話といった、我々の先輩たちが残したものを取り入れることで共通する記憶になっていくのです。自分が体験した記憶だけでは、時代が限定されてしまいますよね? だから私は人々に共通する記憶を抱え、「話の話」の中に込めているのです。それに創造する者は、歴史の事実も絶対に踏まえていなくては、何かを生み出せることはないと思います。
 人が生きていくには、食べる、作る、働く、勉強するといった日常の積み重ねがありますね。その中で、私の映画が何かの役に立っていたらとてもうれしいです。お若い皆さん、新しい人生が始まる皆さん、あなたたちは遠い空の上のことばかり考えなくていいんです。毎日の生活や、自分の目に映るものをしっかり見つめてください。例えば赤ん坊の小さな手も、おばあさんの見た目はきれいではない手も、いろいろなことができる。表面だけじゃなくて、もっと深くまで見てほしいんです。夢の中では奇跡が起きるかもしれない。でも私たちを取り囲む日常を「つまらない」と排除せず、ちょっと立ち止まって、じっとまなざしを注いでみてください。


 彼の作品についてのお話はここまで。もうこれ以上この私に何を言う必要があるのかって思う。

ここからは彼の人柄に関するお話。

ユーリ・ノルシュテインの人柄については、ロシア語通訳・翻訳の第一人者として知られ、ユーリ・ノルシュテインとも公私にわたって深い関係を築いてきた児島宏子さんが明らかにしている。

(彼は)自分に妥協を許さず、自己顕示を戒め、公正を期し、決してぶれることがない。甘い言葉や提案を常に疑い、透徹した眼差しで周囲を一瞬のうちに把握する驚くべき眼力。絶えず読書に勤しみ考察し続ける姿は、高邁な哲学者を思わせる。厳しさに裏打ちされた優しさにあふれる稀有な芸術家だ。彼の前で自分を取り繕ったり、顕示したりすることは、どれだけ恥ずかしいことか。欺瞞は許されない……。

 私の聞いたところでは、彼は有名な映画監督スティーブン・スピルバーグの共演のオファーを断ったこともあるそうだ。一方、日本の文化に関心があり、何度か日本を訪れて講演をしたり、日本の文化に積極的に触れている。
 彼は1981年から現在にかけて、名作と呼ばれるニコライ・ゴーゴリの短編小説「外套(がいとう)」を原作としたアニメーションの制作にあたっている。しかし、40年が経とうとしている今でも、その作品はまだ完成していない。彼の周囲の人間も彼の作品に対する徹底したこだわりように呆れ返っている事だろうと思う。
 アニメーション作品は制作に多大な苦労と労力、膨大な資金を必要とするものだから、1人の人間が一生の内に制作できる本数は限られている。それが年齢的に見て、自分に作れる最後の作品ともなれば執拗にこだわってしまうのも仕方がない事である。そういえば彼は、ジブリの高畑勲監督と親しい間柄であった事でも知られている。その高畑勲監督の遺作「かぐや姫の物語」は、彼の強いこだわりが凝縮された作品である。全てのセル画が手がきタッチで書かれており、通常1枚ですむところの絵を3枚も描かなければならなかったという。その事で製作費はどんどん膨れ上がり、その金額はスタジオジブリ作品過去最高額の50億円にもなってしまった。
「かぐや姫の物語」の制作について取材に来ていたNHKの記者が、高畑監督についてこんな言葉を残している。

”高畑監督は雑談レベルの日常会話ですら高尚すぎてまともに付いていける人が誰もいないぐらい、ジブリの中でも特別な存在でした。さらに言葉の使い方にもとても厳格な人で、「いつもお世話になっております」などと社交辞令を言おうものなら、「私はあなたのお世話なんかしていない!」と怒られる始末。映画を作ってもらうどころか、普通に会話をする時でさえ注意しなければならなかったのです。”

 一方はロシア、一方は日本で生まれ、全く違った環境に生まれ育った2人だけれど、浮かび上がってくる人間像は驚くほど似通っている。


ノルシュテインの作品は、「霧の中のハリネズミ」↓もおすすめ。こちらはもう少し子ども向けに作られたもので「話の話」よりもわかりやすい内容。

ノルシュテインの作品は、「霧の中のハリネズミ」もおすすめ。こちらはもう少し子ども向けに作られたもので「話の話」よりもわかりやすい内容。

彼の仕事について興味の出てきた人には、amazonで彼の仕事についての本↓も出ている。


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