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楽しそうにセックスしない人々 ~反抗の絶望とは?~⑭

永遠を理解できる人と理解できない人がいるというお話の続きです。前項では、永遠を理解できる人のうち、なりたい自分になろうとする人についてお話しました。この項ではもう1つの永遠を理解できるタイプ、すなわち永遠に向かって猪突猛進的に突っ走るタイプの人についてお話します。
 
前項で述べた、なりたい自分になろうとする人のことをキルケゴールは弱さの絶望といっています。永遠が自分に求めてくるものをうすうす理解していながら、そこに向かわず、つい自分が夢想するなりたい自分を目指してしまうというわけです。
 
例えば、永遠というとりとめもないものに誠実に向き合って自己理解を深めるのではなく、自分と向き合うのを避けるかのように現実的なさまざまな予定を入れる人。デートの予定であったり、明るく元気に生きる方法を説く自己啓発セミナーへの参加であったり、そういったもので予定を埋めることで自己と対峙するのを避けるタイプの人。これが弱さの絶望です。
 
一方、永遠が求めてくるものに向かってとことん突き進むも、永遠に肉薄できない、そのできなさに絶望する人のことを、キルケゴールは反抗、あるいは男性らしさの絶望と呼んでいます。
 
前項でピアニストの例を挙げましたので、ここでも同じ例を挙げたいと思います。
芸術に肉薄するかのような優れた演奏をするピアニストになりたいと思い努力するも、実際には、町の幼児ピアノ教室の先生にしかなれなかった女性の例です。
この女性が反抗、すなわち男性らしさの絶望を持つとどうなるのか?
 
例えば、ありとあらゆるコンクールを受けまくります。そして当然のように落とされ続けます。理由簡単で、能力や境遇、持って生まれた能力や置かれている境遇、経済的な限界などがあるからです。良くてせいぜい一次選考を通過するのみ。
 
それでも彼女は芸術に肉薄するような演奏ができるピアニストになるという目標を諦めません。借金できるところすべてから借金して、そのお金で生活しつつ、1日15時間ピアノの練習をします。
 
やがて彼女は、自分ほど努力している人間はいないとの思いを強く抱くようになります。そして彼女は混乱します。睡眠時間や食事時間を極限まで削っても、1日15時間しか練習出来ない。にもかかわらずコンクールに優勝しない。どうして? 永遠がわたしに求めてくるとおりにわたしは限界まで努力しているのに、なぜ?
 
やがて彼女は怒りっぽくなります。その怒りが強くなり、自暴自棄になります。自暴自棄になった彼女はセックスに手を出します。マッチングアプリで知らない男と連絡を取り、セックスします。まるでセックス中毒の患者のように。自暴自棄になっている彼女にとって、セックスの快楽だけが、彼女を心休まる場所に連れて行ってくれるのです。
 
しかし彼女はけっして楽しそうにセックスしません。目を閉じ、ときに眉間にしわを寄せてセックスします。行為のはじまりも終わりも「やりたいんならどうぞ」という雰囲気を全身から発します。
 
タイプの絶望に侵されている人は、自分の持って生まれた能力の限界や、置かれている環境の限界、経済的限界をまずは認めるというところから始めるしかありません。私たちは誰しも何らかの限界(あるいは欠損)を持って生まれてくるわけですから、その限界(欠損)を前提として計算に入れたうえで、どのように生きていくべきかを決断するしかないのです。
この決断がないところに反抗が生じます。
 
そしてそれは多くの場合、セックスという形をとります。これは先にも述べましたが、永遠に最高最大限に反抗しようと思えば、おそらく、多くの人はセックスという手段しか考えつかないのだろうと思います。例えばマッチングアプリが危険だと言われているのは、この手の絶望を抱いている人、すなわち外見からは見分けがつかないものの、じつは自暴自棄になっている男女がマッチングアプリに多いからです。
 
そういう人はセックスを心の底から楽しんでいません。自分はダメになってもいいやと思いつつセックスをしているからです。同時に、自暴自棄な自分を憐れむ気持ちも持っています。つまりあらゆるマイナスな気持ちが嵐のように心に吹き荒れています。そういう人が心から楽しく健全な性行為ができるでしょうか?
 
いかがでしょうか。
永遠を理解できる人とできない人がいます。理解できる人は弱さの絶望と反抗に大別できます。前者はひきこもりに、後者は自暴自棄な性行為に象徴されます。
 
ちなみに、この項で何度かその名前を挙げたキルケゴールは、かなり強い性欲に悩まされ、かつ自暴自棄な性生活を送っていたようです。そういう人がやってきた哲学って、ちょっと魅力的だと思いませんか?
 
※参考
キルケゴール・S『死に至る病』鈴木祐丞訳(講談社)2017
哲学塾カントにおける中島義道先生の通信教育テキスト
哲学塾カントにおける福田肇先生のご講義
ひとみしょう『希望を生みだす方法』(玄文社)2022
ひとみしょう『自分を愛する方法』(玄文社)2020

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