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夢は夢を誘発することへの考察、あっという間のキャリア10周年を個人的に祝う

まったく期待していなかった嬉しいサプライズ。会社から勤続10周年のお祝いで、大きな花束を貰った。10年かぁ。。。
ベルギーに来た時は、この国に、この会社に、こんなに長く居ることになるなんて、想像もしていなかった。
日本人であることで、“技術者”としてのまわりからの期待値は高い。
入社当時は英語もろくに話せなくて、デザイナーとコミュニケーションするのもやっとで、毎日が緊張の連続だった。
わたしはやっとの10年選手だけど、この会社には勤続15年、20年、25年という同僚がざらにいる。彼らはほぼ、会社の家具と同化していると言っても良い。それくらい当たり前にそこに居て、そしてとても大事なパートを担っているひとたち。ビルを支える柱だ。
入れ替わりの多いファッション業界では、ひとつの会社に長く属するというのは珍しいことだ。多くの人が5年以内に転職を繰り返すといっても過言ではないこの業界で、それは居心地の良さと、その中でも挑戦していける(自分のチャレンジ精神を満たせる)という、とてもバランスの良い環境であるという証拠である。

この会社で多くの事を学んできた。
たくさんの夢を叶えさせてもらった。
レッドカーペットのドレス、元オバマ大統領夫人の公務の際のドレス、最新のコレクションではダンサーのためのドレスという夢も実現した。
13年前には想像もつかなかったことが、現実に起こっている。
夢は夢を派生させて、わたしたちをどこかへ連れて行く。

以前の投稿から、夢を叶えることについて。

またライターの藤岡みなみさんのnoteの投稿から、
『試行錯誤に漂う』保坂和志/著 の一文を抜粋させていただく。

まず思うのは自分が書いた字によって自分の考えが書く前には考えていなかったずっと先の方に引っぱられる。が、これは本当のところ書く効用のようなものの中心ではないのではないか。一般には書いた文が書くその人を牽引する、書くその人の考えをまとめる、と考えられているが、そうではなくて、人は書きつつ、書いた字や書くために考えたその考えに誘発されて、いろいろなことが拡散的に頭に去来する。書くことはその去来したものを適宜挿入したりしながら、基本的には一本の流れにまとめあげることだが、書くという経験は結局は書かれなかったいろいろな去来した考えを経験することなのではないか。(…)書くその時間、書きながらその文に誘発されていろいろな考えが頭を過る、いろいろな考えが池に投げた小石の波紋のように複数同時にパーっと広がる、その経験こそが重要なのではないか。(保坂和志(『試行錯誤に漂う』みすず書房 p.53,54)

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実際わたしはnoteを書くという習慣から、著者の言う“自分が書いた字によって自分の考えが書く前には考えていなかったずっと先の方に引っぱられる。”という経験を毎回している。

夢を思い描くのも同じような気がして、経験をすることによってそれは自分を別のステージに連れていき、そこからまた新しい夢を誘発させる。実現されなかった夢ももちろん大事で、著者の言葉を借りるならば、その経験こそが重要なのではないか。

誘発的な経験は、
ただボーッとしてたら得られない。
文字を一文一文書いていくように、
日々を丁寧に。
そんなことを想った、
正確には勤続10周年と5ヶ月の夜。

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