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映画『枯れ葉』アキ・カウリスマキのスタイル

 2020年を過ぎてもなお自身の映画のスタイルを確立し貫き通している監督はめったにいない。アキ・カウリスマキはそんな監督の数少ない一人だと思う。
 映画のスタイルというのは、監督の名前がわからないうちから誰が作ったのか当てられてしまうくらい存在感の強い監督の持つ映画の作り方、ルール、規則性のことだと自分は解釈している。鑑賞しながらつい「そうそう、これだよこれ」とニヤニヤしながらつぶやいてしまうようなあの感覚のことだ。あるいは文体とかスティルとかいった言葉を当てはめる人もいるかもしれない。
 スタイルを持った監督といえば、気味の悪いデイヴィッド・リンチや静けさのアンドレイ・タルコフスキー、虚無的なフェデリコ・フェリーニなどを僕は思い浮かべる。

 アキ・カウリスマキの映画にスタイルを与えているものは何か。以下に挙げてみよう。

リストラ、低賃金、不景気、どん底で暮らす人々

 彼の映画の主要人物は基本的にみな貧困だ。金持ちはほとんど出てこない。会社の経営者が出てきたとしても、倒産して銀行強盗を決行する始末。一億総貧困のような社会になっている。

同じ俳優を自身の映画に何度も起用

 「枯れ葉」で主人公の唯一の友人の役を務めたのはヤンネ・フーティアイネン。他にも「街のあかり」「希望のかなた」といった映画に出演している。アキ・カウリスマキの映画を見ていると何度も同じ俳優が出演するので、なんだかみんなが家族のように思えてきてしかたない。

マネキンみたいな登場人物たち

 こちらはロベール・ブレッソンの影響と見ていいだろう。この監督は職業俳優をまったく使わず、素人を「モデル」と称してストイックに映画を撮った。「枯れ葉」で映画館から出てくる二人組の男がブレッソンの「田舎司祭の日記」のことを口に出すし、その後ろにでかでかと貼ってあるポスターは「ラルジャン」である。(ついでに言えばポスターにはベッケルの「穴」もあるしゴダールの「気狂いピエロ」もある。なんというか、古いのよ)

田舎司祭の日記

シュールな笑い

 「枯れ葉」に出てくる犬の名前はチャップリン、あの有名な喜劇俳優から取られている。女性の携帯に電話がかかってくるとき、チャップリンに「出て」と真顔で言う女性には思わず笑いがこみ上げてきてしまう。

ロックや古い流行歌

 アキ・カウリスマキはロック青年だったようだ。だから音楽が大好きで映画に何度も登場させる。フィンランドでは1986年から「ミッドナイト・サン・フィルム・フェスティバル」というのが開催されていて、映画を上映したり音楽のライブをやったりしている。この主催者がアキとその兄ミカなのだ。

ワンちゃん

 ワンちゃんがかわいい! 「過去のない男」に出てくるめちゃくちゃ人懐っこいハンニバル(人食いのカニバルに掛けてハンニバルと名乗る殺人鬼ハンニバル・レクターからだろう)が僕のお気に入り。

枯れ葉

 ストーリーはよくある普通の感じなのだけど、映画の撮り方や俳優の使い方、音楽や社会性が唯一無二の作品を生み出している。一時は引退宣言をし6年ほど映画を作らなかったアキ・カウリスマキだが、これからもつい「そうそう、これだよこれ」とつぶやいてしまうような独特のスタイルで映画を作っていってほしいものである。

(サムネイルはユーロスペースに飾ってあった「過去のない男」の監督サイン入りポスター)


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