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ファッションと人間の体の関係性を考察する


ベルギー旅行の際、アントウェルペンでモード博物館 (Mode Museum)を訪れた。
Googleマップで偶然に見付けたことが契機ではあったが、結果的に人間の身体性について再考する良い機会となったため書き起こしたいと思う。

モード博物館の概要

この博物館は、世界有数のデザイナーや芸術家などを輩出するベルギーの名門校であるアントウェルペン王立芸術学院の卒業生らの作品を中心に展示する(1)ようで、1階にはこれまでベルギーファッション、そして国際的なファッションの潮流に乗ると同時に作り上げてきたコレクションの数々が所狭しと並んでいた。


人間がファッションを作りファッションが人の新たな歴史を開拓する

ファッションにはほとほと疎いのだが、その並びは人類の歴史そのものであるように感じた。
各時代の特徴を象徴するデザインや、課題を痛烈に批判したシルエットなど、ファッションは作り手によって数多くの意図と選択を経て作り上げられる、メッセージ性に富む代物であることがよく分かった。
たとえその意図を全て正しく受け止めることができなかったにせよ、デザインには意味が込められており、意味を込めることができることは明白だった。
普段何気なく着ている黒色のパーカーひとつとっても、その誕生には今なお根深く残る人種差別への批判が秘められていた。
人間の核となる自身のidentityを、衣装はそれが目に止まった他者へ無言で主張する。
着ることで、主張し続けることで、自分そのものの尊厳を守ることができる。
服を着ることは自分が自分であるために主張することであり、自分が自分でいることであるようであった。
声なき意思がその本体さえをも失わないように服は機能してきていて、その道具としての服飾が人と共に歩んできた膨大な歴史を垣間見ることができた。


ファッションが人を再定義する

さらに、ファッションを現在の自己を表現する方法としてではなく、着る物を自身の身体の一部として捉えられる身体性の拡張についても指摘されていた。
ファッションの輪郭だけをワイヤーで辿ったアートは、それを身につけているであろう人間の可能性、発展性を無言で表現していた。
それを身に纏うことで身体性が拡張される、纏った人の能力を引き出し、可能性を拡げていく。
もはや服そのものが何か意思をもって、着る人の変容を手伝うかのようだった。

衣食住という熟語があるだけあって、服は人間の暮らしと切っても切り離せないものだ。
食べるものがなければ生きていけないし、食べるものがあっても住む場所がなければ暮らせない。住む場所があっても着るものがなければ天候に対応することもできず、真っ当に社会に関わることもできない。
自分を目に見える形で表現したり、逆に目指す自分をかたどったり、そして身に纏うものを選ぶことで自分の気分を変えたり他人への印象を操作したりすることができる。
その作用はどこまでが布でどこまでが人間本体なのだろうか。


参考文献
1:https://www.momu.be/en/exhibitions/collection-presentation (最終閲覧日: 2023年3月23日)


文責
秤谷有紗


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