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エリクソンの発達課題(8つの発達段階)【Ep8】

こんにちは、ひとかどさんです。
今日のトピックは、「人の悩み(葛藤)と成長」です。

節目節目でいつも悩んでいるわたしって、変?

わたしは、いつも節目節目で悩んできました
二十歳、三十路になる頃、そしてアラフォーになってからも。
しかも、毎回違うことに。

いつも、いーっつも悩んでいるわたしって変なの?

そんな風に思う時もありました。

でも全然変なことではなかったのです。
むしろ、人間の発達段階における「課題」を考えると、ごく自然なことでした。

そのことが理解できたのが今回ご紹介する、エリクソンの”人間開発の8ステージ”です。
これは、MAPでいう【自分に気づく】アイディアだといえます。

ではいってみましょう。

エリク・エリクソン(Erik Erikson: 1902-1994)

エリクソンは、ドイツ生まれの心理学者です。
彼は「アイデンティティ」というキーワードで知られています。
それは、元々、芸術家を志ざすも挫折したエリクソン自身が「アイデンティティ(自己同一性:自分が何者であるかを認識していること)」に悩まされていたことに端を発しています。
アイデンティティの喪失に悩まされいたエリクソンは、精神分析の道に進み、とりわけ児童精神分析医になりました。

エリクソンの”人間開発の8ステージ"

さて、そんなエリクソンは「人の成長には、その基礎となる計画(プラン)がある」と考えました。
この「基礎となる計画」こそ、今回紹介する”人間開発の8ステージ”です。

エリクソンは、人の成長のステージ(心理社会的人生段階)を8つの段階に分けて、その段階ごとに異なる「課題」があると説明します。

※「課題」はわかりやすく置き換えた言葉であり、エリクソンは「心理・社会的危機」と表現しています。

その課題に向き合うことで、人は(精神的に)成長していく、というのがエリクソンの考えです。
課題に関して、発達段階で正反対に見える二つの性向があり、片方は「同調的(syntonic)」、もう片方は「非同調的(distonic)」とエリクソンは呼びました。

ポイントはどちらを取るかというよりも、この2つの正反対の性向の間でバランスをとることで「生き生きした人生になる」ということであり、同調的であれ非同調的であれ、どちらかに偏りすぎると、「悪性の発達(maldevelopment)」となり、「生き生きした人生」を送る機会を少なくしてしまいます。

非同調的な傾向を弱め、同調的な方ばっかりをとると、心理社会的な「不適応」が起きます。反対に、同調的な傾向を避け、非同調的な傾向を誇張しすぎると、「悪性傾向」に向かいます。不適応の方は、人生を送る中で再適応の機会がありますが、悪性傾向の方は、再適応の機会を見出しにくいとエリクソンは考えました。

8つのステージにおける同調的傾向と非同調的傾向

全体的な説明はこれくらいにして、個々のステージの中身を見てみましょう。

①乳児期(0〜1歳):「信頼(trust)」か「不信(mistrust)」か
人に対して信頼感を育もうとするも、自分の希望が叶えられない場合には、人に対する不信感も芽生えてきます。この狭間で葛藤することが乳児期の課題です。この時、乳児が持つ「希望」が適応をもたらす力となります。ですが、アンバランスが生じ、不信に偏りすぎた場合、「退行(人生への関わりを避ける)」と呼ばれる悪性傾向となります。

②幼児期前(1〜3歳):「自律(autonomy)」か「恥(shame)」か
自分で何かをやろうとするもできなくて、あるいはやろうとしたけど失敗して恥ずかしいという気持ちに思い悩む時期です。この段階では、「意志」が適応をもたらす力です。自分でやろうとすること(同調的傾向)を発展させすぎると「わがまま」という社会的不適応が、恥ずかしいという気持ち(非同調的傾向)をとりすぎると「自己疑惑(自分には何もできないと自分の力を疑うこと)」という悪性傾向に行き着きます。

③幼児期(3〜6歳):「主導権(initiative)」か「罪(guilty)」か
この頃、子供ながらに物事の主導権を握ろうとします。一方で、何かを自発的にやったら、周りから怒られたという経験が、罪の意識を芽生えさせます(友達のおもちゃを取ったら先生に怒られたなど)。ここでは、「決意すること」が適応をもたらす力です。主導権の感覚と罪悪感のバランスが取れておらず、同調的傾向(主導権)が強すぎる場合は、「残忍性(あまりにも罪悪感の感覚に欠けている状態)」を、非同調的傾向(罪)が強すぎる場合は、「自己抑制(いつも過剰に自分を抑え込んでしまう)」を引き起こすことになります。

④学童期(6〜12歳):「勤勉(industry)」か「劣等感(inferiority)」か
社会と関わる中で、勤勉性を育むとともに、他者と比べ出し、劣等感に思い悩む時期です。一見、勤勉性を育みすぎても問題ないのではと思いますが、心理社会的には、勤勉性の過剰な強化は「結果への過剰なこだわり」という不適応を生みます。一方で、劣等感が行き過ぎた場合は言わずもがな、「不活発」という悪性傾向です。

⑤青年期(12〜17歳):「自己同一性の獲得(identity)」か「役割の混乱(identity confusion)」か
ここが、エリクソンの考え方でいう「アイデンティティ(自己同一性)」が登場する人生のステージです。自分は何者か、それを認識することができるか、それとも認識することができず、自分の役割に混乱してしまうか。これが、このステージの課題です。ここで自分の見出したアイデンティティに固執しすぎると「狂信(狂ったように自分の役割を信じ込む)」という不適応が、アイデンティティが見出せず役割の混乱が行き過ぎると「放棄(社会における自分の役割が見出せず人生を放棄する)」という悪性傾向に至ります。

⑥成人期(18〜35歳頃):「親密(intimacy)」か「孤独(isolation)」か
他者と親密な関係性を求めながら、それが叶わない、あるいは自ら進んで叶えようとしないことで、孤独に思い悩む時期です。この時、「」が適応をもたらす力ですが、親密性を過剰に発達させると「無差別(誰かれ構わず愛しすぎてしまう)」という不適応を、孤独を過剰に発達させると「排他性(他者を執拗なまでに排除し極端に他者との交流を避ける)」という悪性傾向になるのです。

⑦壮年期(35歳頃〜60歳頃):「生産(generativity)」か「停滞(stagnation)」か
何かを成し遂げたり、次世代に引き継ぐことを目指しながらも、それができない時に停滞感に葛藤する、人生における長いステージです。生産には、自分の時代の終わりを認識し、次世代に潔く社会を引き渡すことも含まれます。しかし、生産が行き過ぎると、「過剰な拡大(自分の能力を超えた範囲にまで関心を抱え込むこと)」、停滞が行き過ぎると「拒否(他者と関わり、世話し、次世代に社会に引き継ぐことを拒むこと)」となります。

⑧老年期(60歳頃以降):「自我の統合(ego integrity)」か「絶望(despair)」か
以上のような人生のステージを経て最後に辿り着く課題が、それまでの人生を振り返り、満足感を覚える中で心穏やかな状態でいられるか(自我の統合)、自分のそれまでの人生に絶望感を味わうかというものです。ここでのアンバランスは、同調的傾向(統合)の側では「無遠慮(人生への満足感が行き過ぎて、他者や、いつか終わる自分の人生についても遠慮が無くなる)」という不適応に、非同調的傾向(絶望)の側では「侮蔑(なんてつまらない人生を歩んできたんだと蔑むこと)」という悪性傾向になります。

※わたしが学習したMAPでは、⑤までは年齢を重ねることで自動的にステージをのぼり、⑥以降は人によって歩みに差が生まれ、⑧で折り合いをつけられたどうかの判断は難しいと説明されます。

まとめ

  • エリクソンは、8つの発達段階と、それぞれの段階に応じた発達課題を提唱

  • 発達課題は「AかBか」でどっちを取るかというよりも、その狭間で葛藤する

  • 両者の間でうまく折り合いをつけること(バランスをとること)ができれば、精神的に健全な個人として成長していける

  • 一方で、うまく折り合いが付けられなかった場合、精神的な不調を引き起こし、生涯にわたって影響を与える可能性がある

  • 人は、成長ステージごとに存在する発達課題に対して、首尾よく折り合いを付けられた度合いに応じて、「個人的な十全感」に行き着く

終わりに

いかがでしたか?
わたしが節目節目に悩んでいたこと。
それは、それぞれの成長ステージに応じて、「AかBか」で葛藤していたに過ぎない
まぁ、そういうことですね(めでたしめでたし)。

さて、これで【自分に気付く】ことができるようになったあなたは、次からは【自分を管理する】のステージに進むことになります。

【参考資料】
キャサリン・コーリンほか(2013)『心理学大図鑑』三省堂、P272-273
エリク・H・エリクソンほか(1990)『老年期ー生き生きしたかかわりあい』みすず書房

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