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駐在時に悩む、子どもをバイリンガルにするかどうかについての自分なりの答え

日本に慣れた頃にやってくる突然の海外赴任辞令

「フィリピン・マニラに駐在が決まった」
突然の夫からの報告に、私は絶句した。
夫は海外転勤族で、2011年から7年上海駐在していた。
駐在中に結婚したので、私も4年半、長男は生まれてから2年上海にいた。

ここまで書くと
「海外に住むのは慣れているのね」
「海外引越しも海外子育ても2回目なら安心ね」

などと思う人がいるだろう。
実際、東京で知り合った人たちには同じようなことを言われた。

でも全く違う。
私が慣れているのは「中国の上海」であって、「フィリピン」ではない。
言語だって気候だって文化だって全く別の場所だ。

「海外」と一纏めにする人に対して、
「日本国内の引っ越しだってその土地に慣れるのは大変なはずなのに、なぜそんなことを言うのだろう」
と憤りすら覚えていた。

生活のベースの安全面への心配

その上、辞令が出た時点で次男はまだ6ケ月。
やっと離乳食が始まったところで、予防注射だってまだまだたくさんある。
水・食・空気という生活のベースとなる安心がない国に行くのは、日本にどっぷりと浸かり始めていた私には受け止め切れない現実であった。


それでも帯同することに

とはいえ、自分で言うのも何だが、初産を異国でするガッツと、不便を楽しむMっ気が私にはある。
そして「家族は一緒にいるべき」という信念もあり、行く前提で準備をしていく覚悟は無意識に持っていた。


インター園か、日本人幼稚園かという選択

前述した、「土地に慣れることの辛さ」や「生活の不安」というのは前回の駐在時とほぼ同じである。だから乗り越え方もそれなりに知ってはいる。子どもは2人になっているし、国も言語も違うからもちろん以前より大変だけど、何とか乗り越えることができると想像はつく。

前回と大きく違うのは、長男が幼稚園に行っているということだ。
マニラに行ったらすぐに幼稚園を探す必要がある。

ここで「インターナショナル園か、日本人園か」という選択を迫られることになった。

私のことを知っている方はよくご存知かと思うが、私は育児本や児童心理学の本を読むのが趣味である。これまでの知識を総括すると、漠然と「日本語が固まってから外国語を入れたほうがいい」というのはわかっていた。

しかし明確な理由や根拠となる文献があるわけではない。
そこで、年中から英語教育をしたほうがいいのか、するならどのようにするのか、しないならどういう理由があるのかを調べる一環として、「英語を子どもに教えるな」という本を手にとることになった。


著者について

著者は、アメリカで長年塾をされていて、言語に問題のある児童を多数見てきた方である。その方が長年の経験と文献や論文などを照らし合わせて書いていらっしゃり、文章からかなりの説得力を感じる。
教育の実態のデータについては2004年に出版された本のため古い部分もあるが、子どもの言語習得についての部分は普遍的なものであろうと思う。

ここからはネタバレありの私の所感を述べていく。

英語を母語にしたい場合

学校のような1日の大半を過ごす場所を英語のみ使用する場所にする場合、日本語の発達に懸念が生じる。これは多くの人が想像のつくことであろう。
しかし、これは母語を英語にしたい場合には何ら問題はない。
むしろ家でも徹底して英語を話し日本語を諦めることで、「母語としての英語」を身につけることができそうだ。

しかし、私自身も夫も英語を流暢に話せるわけではないし、そもそも私は息子の母語を英語にするつもりはない。

日本国籍を持ち、日本人夫婦の下に生まれた息子が日本語を話せないのは単純に不便ではないかと思うからだ。

完全なバイリンガルとは

つまり、やるなら日本語と英語の能力が同じ(どちらも母語と言える)バイリンガルにするか、日本語を母語としそれを土台として英語を勉強するか、どちらかである。

そこで完全なバイリンガルにするにはどうすればいいのか。

本書は、タイトルをキャッチーにするためにかなり言い過ぎ感が否めないが、
実際は「子どもをバイリンガルにするには」というタイトルでも良いくらい詳細に方法が書かれている。

これについては偏に親の努力であると感じた。それも途方もないレベルの。
(それはつまり私ではできないレベルの…)

「インターに通わせ続ける」といった経済面での努力はもちろんであるが、それ以上に学習をサポートする努力である。

家では徹底的に日本語を使うことや、インターでの授業より先回りして日本語を習得すること、家族以外とも日本語を使う機会を設け続けること、その上で英語もやり続けることが必要であるそうだ。

その努力を怠り、幼い頃からインターに通わせ、日本語を家庭でフォローせず、
家庭で英語を使っても、英語と日本語が混ざった言葉(俗に言うルー語のような言葉遣い)を使っても、指摘せずにそのままにしてしまった場合、英語にも日本語にも影響が出てくる。

「日本語がダメでも英語ができるからいいや」と親は思っていたが、文章を書く授業が始まる年齢で英語にもかなり問題があることに気づくそうである。


「バイリンガル」ではなく「セミリンガル」

これを「バイリンガル」ではなく、「セミリンガル」と言うそうだ。
どちらも母語として未完成な状態のことである。

母語が育っていないと言うのは、思考する言語が育っていないわけだ。
思考ができないというのはかなり危険な状態ではないだろうか。
先を見越すことができなかったり、自分が思うことを伝えられない、相手の言っている意図がわからないというのはグレることにも繋がると思う。

実際に出会ったセミリンガルの子

上海で出会った友人の次女で、まさにこのセミリンガルの状態になっている子がいた。
両親は国際結婚、母親は日本人で英語教師、父親は韓国人で日本語が話せない。
そのため家では家族全員韓国語か英語を話している。次女が生まれてから5歳までに、韓国・日本・上海と引越しを繰り返しており、幼稚園は上海でインターに行っていた。しかし小学校に上がる際に、

インターの小学校には「英語が入学レベルに達していない」と言われ、
日本人学校には「日本語が入学レベルに達していない」と言われ、
朝鮮学校には「韓国語が入学レベルに達していない」と言われてしまったそうだ。

結局フリースクールのようなところにしか入れず、そこで英語を母語レベルに上げるように学習している。

といった時期に私は帰国してしまったので、その後のことはわからない。
しかし母語の臨界期は超えていそうな気がするので、かなり苦労することになると思う。

この本にもこういった言語に問題のある児童の例が多数出てくる。
それを見ると安易に「バイリンガルにしたいな⭐︎」などとは言えなくなる。

インターか、日本人園か、の私の答え

色々とマイナスなことを書いたが、子どもを真のバイリンガルにするために頑張っている親御さんもきっとたくさんいるんだと思う。バイリンガルにしてあげることが子どもの財産になるのは間違いない。そしてそのために頑張れる人もきっといるんだと思う。
でも私にはできそうもなくて、失敗してセミリンガルになっちゃうくらいなら、何か好きなことを追究するサポートをする方がずっと成功率が高そうだ。

ということで、私は息子の日本語をまず伸ばしていこうと決めた。
本書にもあるが、英語で文献を読みたい、英語で話したい、と思えるほどに、
ある一つの学問や分野に特化した人になって充実した人生を送ってもらいたい

日本にいる今できること

そこで、今は本人が好きなものの英語の本や動画を見せたり、日々の生活で英語を話せなくて不便な場面を体験させて英語を学ぶ動機を作ってあげようと思う。

早速YouTubeのBBCのチャンネルでやっている恐竜や生き物の動画にハマっている。英語という存在を身近に感じてもらう第一歩は踏み出せたように思う。

あとはマニラに行くだけなのだが。
このご時世でいつになることやら…

ここまで綴ってきた私の考察は杞憂に終わってしまうような気がする。

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