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父を愛している

今朝、マンションの建築現場前を通った。

ほとんど出来上がっていて、管理人室らしきところの外壁を塗っていた。

その部屋を見た途端、父の顔が浮かんだ。


わたしの父の最後の仕事は、マンションの駐車場の管理人だった。

小さな管理人室の丸いイスに座っていたのを見かけたことがある。

母が亡くなって、働く気力がなくなった父に、もう一度、外に出た方が良いと思い、わたしがハローワークで見つけて、面接に行ってもらった。

即決で決まって働いた。

でも、今でも、それで良かったのだろうか?と思う。

妹や親せきは、「すごく、また仕事を始めて、生き生きしていたから、どんな仕事でも働いて良かった」と言ってくれた。

それでも、わたしは本当に良かったのだろうか?

歳を取ったとはいえ、もっと他に、働きたかった仕事があったのではないだろうか?と、ずっと後悔していた。

その仕事が決まった時に、「本当に、この仕事で良い?大丈夫?お給料も少ないよ」と聞いた。

父は、「もう、これくらいしか出来ないだろう」と。

その顔は、凄く寂しそうだった。


父は、おおざっぱに分類すると「配達」と呼ばれる仕事をしていた。

わたしは、自分の体を使って働いている父はスゴイなと思っていた。

でも、子どもの頃、友人に『お父さんは何をしているの?』と聞かれ「配達」と答えた。

すると、『何それ?そんな仕事あるの?それちゃんとした仕事なの?』と言われた。

配達は仕事じゃないの?と驚いた。

そして、よく見ると、他のお父さんはスーツにネクタイ姿で出ていくのに、父は作業服と言われる姿で仕事に出ていた。

何だか、とても嫌だった。

だから、父をバカにしていたのかも知れない。

体を使って、商品などを運んでくれている人たちがいなければ、スーパーに大量の商品が並ぶことはないし、わたしも買い物に行っても何も手に入らない。

遠くまで買い出しや、自分で農作業をしなくても、食事ができたりするのも、大切に運んでくれている人のおかげだ。

そんな配達の仕事をしていた父をバカにしていたなんて、わたしがバカだ。

他の人の価値観を正しいと信じて、懸命に働いている父を、他のお父さんと違うと思っていたなんて、なんと愚かだったか。


そう言えば、父は駐車場の管理人になってから、「トイレや階段などを掃除して綺麗になった」とか、「掃除用具を変えてみたら、もっと早く綺麗にできた」など、楽しそうに話していたこと思い出した。

あの仕事を見つけて良かったと、ようやく思えた。

そして、わたしは父に心から感謝している。愛している。

そんな簡単なことを、今まで分からなかったなんて、本当に親不孝だ。

感謝いたします。