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紙に書き出して燃やしてしまおう

心がギュンと掴まれた気がした。

何かというと、友人が数日間、旅行に行っていたと言うのだ。

特に珍しいことではない。

旅行くらい誰でも行くだろう。

ただ、その友人は、わたしに「ゆっくり会って話がしたい」とずっと言っているのだ。

なら、仕事が終わるのを待っているから、会社帰りはどう?と聞いてみたところ、「このご時世、人と会って遅くなると家族が心配するから」との返事。

じゃあ、オンラインで話するのはどうかと聞いてみた。

「アナログ人間なので、オンラインって良く分からないし、ちょっと時間がとれない」と。

そんなやりとりが、2年も続いていたのだ。


それが、旅行に行ったと聞いて、「あ~、わたしとは別段、話をしたくなかったのだ」と思った。

わたしよりも、家族の心配のほうが大切だと言うのは理解できる。

が、人と会うのはどうのこうのと言っていて、旅行に行った?

ちょっと理解が難しかった。というか、モヤモヤとギュっとした。

友人の価値観の上位にわたしがいないことは分かっていたつもりだった。

だけれど、会って話がしたいと言っているのは友人のほうで、わたしではないのだ。

もう少し、わたしと会うことは、友人の価値の上位にあると思っていた。

心がギュッとした。

淋しさと孤独。

でも、もっと奥に何か感情がある気がした。

そこで、自分の感情と思考の深堀をしてみた。

で、気がついた。

旅行に行けるのが羨ましかったのだ。

ボーナスをもらい、有給と夏休みをもらい、お給料をもらいながら旅行と言うものが出来ることへの羨ましさ。

誰と行ったのか知らない。

ひとりだったのかも知れない。

でも、そんなことよりも、旅行というものに行けるということがスゴイと思ったのだ。

そして、少し悔しかったのだ。

悔しいのなら、自分も旅行に行けばいい。

だが、旅行に行きたいわけでもない。

旅行に行けるような優雅な生活をしていることが羨ましかったのだ。

そして、いい歳をしてそんなことを羨ましいと思っている自分が情けなかったのだ。

このモヤモヤした想い。

紙に書き出して燃やしてしまおう。

わたしも、他の誰かに羨ましいと思われていることがあるのだから。

感謝いたします。