#あなたにとって”宗教”とはなんですか
こんにちは、友達からは嘘だと言われるクリスチャンです。
ちなみに、僕の親もクリスチャンで僕はいわゆる二世クリスチャンというやつです。
先ほど、家入一真さんが作られたQ.todayという「問いに答える」ツイッターサービスでタイトルの問いが発せられました。
その問いに対する家入さんの答えは以下の通りです。
さて、このことについてTwitterでも返信はしたのですが140文字以内に伝えたいことを書くのは無理だし、あまりにも連投しすぎるのも迷惑と思いこのnoteに書くことにしました。
最初のお断りは、僕はこの問いを批判したり非難するつもりは毛頭ないということです。
そして、信仰を持つものの代弁というつもりもありません。
あくまでも個人的な気持ちを勝手に書くだけです。
その部分をご理解して一人でも多くの方に読んで頂けたらと思います。
まず僕は、人は死んだら天国に行くと信じています。
本来であれば、罪を背負った人間は地獄に行きますがイエス・キリストがその罪を代わりに背負って死んだからです。
僕はそのことを信じています。
どうでしょう、頭がイカれていると思いましたか?
そんな馬鹿なことを本気で信じている人間がこの時代にまだいるのかとお思いでしょうか。残念ながらいるのです。僕のような人間が日本にも、そして世界でも数多くいるのです。
もちろん、僕も高等教育を受けてFランクながら大学まで卒業した人間です。
そう考えない人間が数多くいるのを知っています。
人は死んだら無になる。その価値観にも数多く触れてきました。
それは仕方がないことです。紀元前から現代にかけて数多くの科学が発展し、聖書に書かれていること、そのほかの宗教の経典に書かれていることが矛盾していることを発見してきました。
天使を写真に撮った人はおらず、映像に残した人もいない。聖書に書かれている奇跡は現代では起きず、インチキ霊能力が蔓延している状況です。
地球は丸く、雲の上に天国は広がっておらず、広大な宇宙が広がるばかりです。天国はどこにあるの?と言われても答えることはできません。
真実だと言うなら証拠を見せてみろ、と言われるかもしれません。
しかし、それは不可能です。そんなものはありません。
ただ、それでも私の信仰は揺るぐことはありません。それはなぜか。
なぜなら、真実は誰にもわからないからです。
この世の世界の全てを解き明かした人は、今のところまだいないからです。
宇宙の始まりはどのように始まったのか?説明できる人はいません。
この世界がどのようにできているのか。説明できる人はいません。
昔であれば、小さい粒子が集まった世界だと考えられていました。しかし、現在は量子と呼ばれる物質とも波とも言える存在で出来た世界と言われています。
さらに、超ひも理論と呼ばれる数次元に渡る極小の「ひも」で出来ている可能性すら残っています。
そのような世界の中で、この世界の成り立ち、現在、死後に到るまでどのようになっているのかはわかりません。
魂の存在すら、あるかないかを断じることはできません。なぜなら、宇宙には観測できないダークマターと呼ばれる物質があることがわかっているからです。
そういった世界の中で、僕は「この世界は神様が作り、死後は天国に行く」と言う死生観を選択することにしました。
僕の中ではこれが常識であり、普通です。
しかしながら、多くの方はこの常識・普通は非常識・変なものとなります。
それは育ってきた文化が違うからであり、異なる価値観だからです。
大事なことだからもう一度、言います。
これが異文化であり、異なる価値観です。
インターネットが発達した今、あなたの隣にすぐある身近な異文化なのです。さて、こういった意見に対して掛けられる言葉があります。
「そんな非科学的なことをまだ信じているの?洗脳じゃない?」
「神様とかはよくわからないけれども、何か大きな力があるとは思うよ」
「キリスト教とは関係なく、私も天国はあると思うよ」
下に行けば行くほど宗教を信仰するものに、近いかのように感じますか?
しかしながら、信仰を持っている人間からするとどれも対して変わりはしないと言うのが本音です。
なぜなら、どれもが違う価値観だからです。
同じものは一つとしてありません。
一番下の意見として率直な感想が「宗教関係なく天国あると思うのって、逆にどういうことだろう???」というものです。
最初にあげた家入さんの言葉も、「神の試練」という言葉と「前世の行い」という異なる宗教の価値観が混在しているもので、僕とはまた違うものです。
ただですね、それはそれでいいんです。
それが間違っているとか正しいではなく、あなたがこれまでの人生で培ってきた価値観です。自分の中で大事にして、人から傷つけられたり汚されたりしないように大事にすべき価値観です。
僕が問いかけたいのはこれはセンシティブな問題であるということです。
僕は家入さんにそのように伝え、家入さんから回答を頂きました。
センシティブだからと語らないことが一番良くない。
確かにその通りです。
しかし、語り合うのであればお互いを理解した上で、相手を慮った言葉を選ぶことが必要になると思います。
この問いに対して答えた方の声を一部抜粋したいと思います。
精神安定剤、過ぎたるは違法ドラッグ
不要なもの
ある意味で心理学
ちょっと怖いもの
人造の教科書
戒めと、盲信は思考停止
支配のためのマインドゲーム
最強の日本式会社マネジメント手法
呪いそのもの
この言葉は今まで生きてきた中で向けられてきた言葉であり、これによってどうこうなることはありません。「まあ、そう思うよなあ」という感想です。
それでもですね、あなたの言葉の先に僕はいます。
宗教は経典だけあっても、成り立ちません。それを信仰する人がいて初めて成り立ちます。あなたが、宗教に向かって投げかけた言葉は宗教を信じる人に届いています。
こんなことを言ってしまっては批判を受けるかもしれませんが、LGBTの方達への言葉の投げかけ方を思い出すことがあります。
少し前までは、LGBTの方達に対して心無い言葉、例えば変態などという言葉を投げかける人が数多くいました。
しかし、社会の理解が深まるにつれそう言った声は少なくなってきました。
LGBTは生まれつきのものだけど、宗教は違うだろ。後天的に変えることができるだろうと思う方もいるでしょう。だけど、本当にそう思いますか?
宗教を信じる人に対してかける言葉も同じ問題があると思います。
理解が深まっていない時に投げかける言葉というのは時として偏見になり、その気が無くても相手を考えない言葉になってしまうことがあります。
それは、お互いにとってとても不幸なことであり、理解から最も外れた行為になってしまいます。
もし、上にあげた言葉が目の前に誰か立っているとしたら、きっと言い方を変えるのではないかな?と、僕は思います。
あなたが言葉を投げかける時、想像してください。あなたの目の目に誰かが立っていることを。
最後にもう一度だけ繰り返して言います。
僕は無宗教のあなたにとって、異文化で異なる価値観の人間です。
それでも、日本という国で生活をして社会人として働いている、あなたの隣人です。怖いと思うでしょうか。もし、怖がらせたらごめんなさい。
そう思われることには慣れていますが、やっぱり少し寂しいものがあります。
最後に、このnoteを最後まで読んでくださった方。
答えなくても構いません。
僕からもう一度だけ問いかけます。
あなたにとって”宗教”とはなんですか?
その言葉が、あなたと誰かの間で共有できる素晴らしいものでありますように。
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