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【短編小説】タイムトラベラーイヌイ
イヌイさんは誰も信じてないけど自称タイムトラベラーだ。社長の古い知り合いらしく、たまに会社の飲み会にやってきて好物の刺し身を遠慮なく食べて変わった話をするおじさんだ。何をしている人か知らない。聞いてもタイムトラベラーだとしか言わない。
今年は新入社員が来なかったけれど、五月病は新人じゃなくてもあるし、まあ頑張りましょうというふわっとした会社の飲み会にイヌイさんもやってきた。今どき会社の飲み会なんて若い人は出ないなんて話もあるけれど、社長の奢りで美味しい海鮮を出すちゃんとした和食のお店でやるので、殆どの人が出席する。食い物に釣られているだけかもしれないけどうちの会社は珍しい方かもしれない。知らない自称タイムトラベラーまでやってくる。
今夜はイヌイさんが珍しく未来の話をしている。未来のペットの話。
イヌイさんいわく、未来の猫はモモンガのように空中を滑空するそうだ。どのくらい未来かを聞くと「企業のネットが星を覆いつくし、情報が駆け巡っても、国家や民族が…」なんて早口で言うばっかりで、タイムトラベラーでなくただのオタクじゃないですか、そう言って欲しそうなニヤケ顔でこっちを見る。
現代でも人間が交配して作り出した品種のペットはたくさんいるだろ?それが行き着くところまで行っただけなんだ。どこかの国でモモンガみたいに前足と後ろ足の間に膜がある猫が産まれたんだ。それがたちまち世界中で大流行した。未来って感じするだろ?
昨日テレビ番組で観た話のようにさらさらと喋るから、嘘かどうか分かりにくいけど、よくそんなこと思いつくものだと思う。未来のペットといえばロボットだろうに。AI搭載とかで。なんだよ膜のある猫って。本当みたいじゃないか。
猫って高い所にのぼるのが好きだろ?そして飛び降りるだろ?あれが滑空して少し遠くまで行くんだよ。器用な猫だと高いところから少し離れた高いところに移動するんだ。滑空して行くんだ。
それでキャットタワーが沢山売れるんだよ。あっちのタワーからこっちのタワーに滑空するのが見れるから。商売上手いなって思ったよね。
モモンガ猫を飼ってる友人の家に見に行ったもんね。部屋の四隅にキャットタワーがあってさ。本棚をわざわざ動かしてタワーを置いていて。そこは本棚で良かったんじゃないかと思ったけど、言わないでおいたよ。
しめ鯖を食べながらイヌイさんは楽しそうにおしゃべりを続ける。未来にも僕らの知っているキャットタワーや本棚があり、部屋も四角らしい。透明な素材に囲まれた楕円形の部屋みたいなものではないようだ。最近でも電子書籍が普及して本棚が無い家も珍しくないのに。
家から逃げだして野良になっちゃったモモンガ猫もいるのよ。夜中に歩いてると空中を横切るんだ。右側にある街灯からシューッと空中を横切って左側の塀の上に着地したりして。びっくりするよね。自動車にひかれてしまう事故は減ったらしいけどね。上を通るから。
イヌイさんは嘘みたいなことを話す。そして美味しそうに刺身を食う。
猫がそんなならワンちゃんも変わった品種がいるんですか?
誰かが軽口をたたいた。深く考えずにした質問だったのに、イヌイさんにはヒットしたらしい。イヌイさん、生エビへ伸ばしていた手を止め、ニヤリと笑って生エビをつまみ、さっと醤油を付けて口に運んで笑顔で答えた。
ワンちゃんはねえ、人間そっくりなのが出来たんだよ。あれは衝撃的だったね。そうと知らなきゃ人間にしか見えないようなヤツなんだよ。犬に服を着せる人いるだろ?あれが人間の服になるんだぜ。もちろん言葉も話すんだワン!あ、いや話すんだよ。
話を聞いていたみんながどうしていいか分からなくて下を向く。猫と違いすぎじゃないか。バランスとって嘘つけよ。話すんだワン!ってなんだよ。
その隙にイヌイさんは残りの生エビを全部まとめて食べた。ご満悦の表情だった。犬はそんな顔、きっとしない。未来の犬でもきっとしない。
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