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承認欲求って、悪?/北野武著「人生に期待するな」を読んだお話



■承認欲求モンスター

今まで生きてこれたのは奇跡の連続だったな。
しみじみそう思う今、この頃。皆様はいかがお過ごしでしょうか?


ところで私は、”人の叫び”が好きだ。


それは例えば絵や音楽や映画やエッセイや小説などから伝わる”叫び”で、

平和であれとか頑張れとかオレも悲しいんだとか滅びろこんな人類!とかエロ大好き!みたいな、それはそれは様々な人間の心から生まれる叫びの形で、それらを見ていると、自分も影響されるというか、心に響く、っていうのはベタな表現だけど、心に響いて、これからはもうちょっとがんばろとか、もう少し生きてみようかな、とか、そうやって今まで生きてこれたのだと思う。だから私が生きてきたのは誰かの心のお陰様でもあるのだ。心というのは生き物みたいで、どこかで繋がっている気がしている。

そういうエネルギーっていうのはこの地球上でもっとも必要なエネルギーな気がする。

例えば誰も住まなくなった家があっという間に朽ち果てていくように、その、人間の創造がなくなってしまえば、この世界もあっという間に朽ちていくんだろうなと思う。

それが、承認欲求と言われればそうかもしれないけれど、みんな誰かしら、誰かに認められたい、褒められたいっていう気持ちがあるのは人間の本能の一つだし、大体の大人なんて、大きな中二病だと思ってる。時々その大人の中二病のお陰で大作が産まれてくれて、私の娯楽が増えてくれたりもするんだけれど。そのカタルシスがたまらなく好きだったりするから。

だから良いエネルギーに循環されるのなら、承認欲求も創造における大事な要素の一つだとは思う。

神様が本当にいたとして、もしかしたら神様にも承認欲求があって、初めて世界を創った時、「神様すっげーな!」って言われて鼻高々だったかもしんないしね。でもそんな神様だって、「こんな世界創りやがってバカヤロー!」ってバッシングを受けたりもしちゃう。最初は神すげーな!っていう目で見ていても、地球の事を大切にしなかったのは人間なのに、住みづらくなったり、人同士が殺し合う姿を見て、「神は地獄をつくった」なんて言われちゃうんだからね。あ、私もこの世は地獄ってずっと思ってたけど(笑)。創作という点でだけ見たら、こんな完璧で不完全な世界、やっぱり神作。

はて、問題なのはその承認欲求が肥大しすぎて化け物みたいになっちゃって、子供の顔をSNSに晒したり、派手な嘘をついたり、寿司屋の問題みたいにバカなことをしてバズってやろうって、悪い方悪い方に考えが向いて行くことなんだろうけど、最近のSNSをタタっと見ていると、そうゆうモンスターが産まれてしまうのも無理がないなと思うことがあるよ。
学歴至上主義や顔面至上主義者、話し上手、上手な絵、美しい写真、人形級の美人、暴露や晒しや中傷…。
流れてくるものを見て、羨ましいなとか、こうなりたいな、とかっていう気持ちと、中傷などを読んでる内にまるで自分のことのように感じて、気持ちがだんだん黒く渦巻いていって、鬱積した怒りが爆発しちゃったり、注目を集めようとしてしまったりしちゃうんだろうなって気持ちはわからなくもない。

全てが中途半端な私には、SNSはまるでスーパーマンだらけに見えて、私は生きててダメな人間なんだ…くらい落ち込むこともあるもんね。かといって、前に挙げたことらをしようとは一切思わないけど。それに、落ち込みそうになったら、人は人、って思考を切り替えてさっとスマホを閉じればいい。実際、人は人。

それで先日、自分の顔をブルースカイにアップしたんだけど 
きっと、今の世の中顔を出すなんてバカだ、とか、可愛いと思ってんのかな?ブスが、とか、加工wとかそれぞれいろいろ思うんだろうなと思いながらもアップしたんだけど、私の目標はずっと、”自分に自信を持って生きる”ことだったので、ダイエットして、憧れのコスプレを目指して、絵も描きつつ、コラムや小説も書きつつ、何が一番自分にとって輝ける場所なのかを模索しながら、恥ずかしくないように胸を張って生きたいんだ!って気持ちがたまに表に出てしまう。すぐ恥ずかしくなって消しちゃったりもするんだけれども。
別にインフルエンサーになったり目立ちたいわけでは全くないんだけれど、自信を持って堂々と良い笑顔で生きている方達に励まされたり、憧れたりしている節がありますね、人。私もそんな風に生きたい気持ちが溢れちゃう時があって、困っちゃうんだよな。

そしてまだ模索中の人生半ば。だらだらしすぎて死にたくないと思ったら、何かいろいろやりたくなっちゃったけど、やっぱり少しは絞らなきゃダメですね。一つの事を極めてる人たちは心底尊敬しています。好きなものは1つ2つあれば充分。断捨離を考えなければな…。

とにかくそうゆうわけで、かくゆう私も承認欲求モンスターなんだろうけれど、同じモンスターでも、できるだけマイナスイオンモンスターでありたいなとは思っています。

そういえば語呂のせいで思い出したけど、きゃりーぱみゅぱみゅのファッションモンスターのPVめちゃくちゃいい、可愛い。


・北野武著「人生に期待するな」を読んで


■言葉の意味

SNSというは人の不幸の方が共感を呼びやすい傾向があるし、頑張ってる人が大嫌いみたいな人もいるし、一つの意見の違いで、今までの愛情の分憎しみに変わる場合もあるのも怖い。

相互作用の波が狂い始める時が一番恐ろしいのだけど、SNS上ではよくあることだ。


ある日、全く知らない人のポストなんだけど、流れてきたポスト
一字一句覚えてないのでうろ覚えだけど、
【明けない夜はない】
という言葉について、
”きっとこの言葉を考えた人は辛くなかったんだ。私は本当に辛い時、夜は明けないでと思っていたから”
という内容のポストだった。
それに対して大人数が共感していたんだけれど、
私は20代の頃、パニック障害や適応障害で、毎日が真っ暗闇で、孤独で、死にたい死にたいと思いながら生きていた。そんな時に当時の唯一の友人が、「明けない夜はないっていう言葉があってさ…」と言って励ましてくれて、なんとか生きていた記憶があるので、このポストを見て???となったのだった。明けない夜はないの”明けない夜”っていうのは、死にたいほどの絶望の事なのに、本当の夜明けみたいな意味になっちゃって、それに大人数が共感する時代になっちゃったんだ。というか、解釈をあえて変えることが洒落てるみたいな感覚なのかもしれないけれど、とにかく???となったわけです。

それでですね、最近私、北野武著の『人生に期待するな』という本を買って読んだんですけど、


全体的にとっても興味深いことばかり書いていてとてもおもしろかったんですけど、私が疑問に思っていたそのことと同じ内容の項目がありまして、
”言葉の意味さえ変わってしまう”という項目なんだけど、

「武士は食わねど高楊枝」という言葉が、元々の意味から単なる貧乏な人の戯言になっちゃった。からの数行なんだけれど、本当にそうだなと納得したのである。ザっとまとめると、

自分本来の生き方をするのが難しくなっていて、あえて何も言わないほうがいい時代になっちゃったのかな。

と言っていて、それは本当にそうかもなと思った。
とらえる側が、全く違う意味に受け取ってしまって、それに大人数が共感してしまえば、もう何をしても言っても無駄で、ただただ批判の的になってしまうのだから、たけしの言うように、寡黙でいて、表面は共感したふりして、心の中で今に見てろって思っているのが一番いいのかもしれない。

実際、人間というのは勝手に偶像を創り上げる生き物だから、わーわー騒ぐような自分と意見が違うやつよりも、寡黙で何を考えてるかわかんない人のほうが、たとえ意見が違っていても、相手が勝手に、きっと同じことを思ってくれてると勘違いしてくれるんだから、その方が良いに決まってるし、賢いやりかただと思う。

大昔のスターとか人間ってわりと寡黙だったから、勝手に周りが神様みたいに偶像を創り上げて今でもカッコいいままだし。なんでもかんでも喋るのは、あまり品良く感じないですしね。

だから私ももう黙ってようかなと思ったんだけど、私みたいなもともと陰で上手くもない絵を描いてるような人間が黙ったら、本当に影の者になっちゃうじゃない(笑)。誰かが見つけてくれて、勝手に愛してくれなんてものはおこがましい話で、私のような半端者は遠吠えして気づいてもらうしかないのだ。


北野武の本は、ファンだからではとかではなく、共感出来ておもしろかったです。数学好きで頭が本当に良いのにお笑いもやってきた方なので、理論的でわかりやすくてユーモアがあってそれでいて真剣で哲学もあって根底のどっしりした愛情で物事を見ているのが伝わってきました。特に神様に対する考えの下りとかおもしろかったな。


エッセイって、こういう考えもあるのかーっていろんな考えを見れるから好きなんですけど、最近は一般の方たちのエッセイやコラムを読むのも好きです。なんてことない日常でも、それぞれの考え方によって違ったドラマが展開されるから。
それこそnoteでも楽しませていただいております。

まあそんなこんなで今回はSNSについて思っていたことをつらつらと書いてみましたが、SNSはハマりすぎたり見すぎたりすると病気になっちゃう可能性があるので、時には離れることも大事ですね!(できそうもない人)

もう3月なのにビックリですが、季節の変わり目は風邪をひきやすいとか…花粉症もありますし…お体お大事にお過ごしくださいませ。



























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