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【読書感想文】老後とピアノ/稲垣えみ子

久々にこの本は読んだ事を覚えておきたいなぁ、と思う本に出合ったので感想を書きます。
読むきっかけは同年代(50代前半)の著者の方がご自分を「老後」と言い切っているのに興味があったからです。私はまだ老いの入口じゃない?とかごにょごにょ割り切れていない状態です。

この本は著者の方のピアノ習得奮闘記なのですが、私は「老いる心構え」みたいな意味で読みました。忘れたくないポイントをいくつか。

頭を空っぽにして無心になったとき、余分な「力み」を抜いた時、それがふわっと表に出てくる。「力み」とは、ああしてやろうこうしてやろうというガッツである。今の自分じゃダメなんだ、もっと頑張らなきゃという切羽詰まった決意である。ずっとそれがなけりゃ何も成し遂げられないと信じて生きてきた。ところがそれを取り去ったとき、まるで水道管の詰まりが取れたように、生の自分とでもいうべきものが表に出て来たのである。
で、その生の自分というものが「美しいもの」であることに驚く。

「よっしゃコレだ!」という弾き方を体得したと思った次の瞬間から、それは「そのように弾かねば!」という欲に取って代わられる。つまりはすぐに力みが生まれてくるのである。

物事を「会得した!」と思う瞬間ってあると思うのですが、それがなかなか定着しない。
人生は階段を上がるみたいに一段上がったら落ちないものかと思っていたけれど、そんな事はなくて、3歩進んで2歩さがるなのですね。
そんな自分を悲観する事はない。
人生は階段ではなくて、ジャンプみたいな事でしょうか。
ずっと飛んでいると少しずつ高く飛べるようになって、少しずつ遠くの景色が見えて来る。
でも高く飛べる日も飛べない日もある。
大切なのは飛び続ける事。

ピアノを弾くという行為は、いろんな脳の回路が瞬時に繋がってしまうという、異次元に高性能な事。そしてこのような脳は、子供の頃の鍛錬で出来上がるもの。大人になってからはかなりの限界がある。

マジックハンドで1メートル向こうのリボンを蝶結びするような感覚をいつかは脱することができて、まるでピアノが自分の体の一部になったかのうように弾ける日が来るかもしれないとずっとユメ見ていたけれど、そんな日は多分、来ない。

今まで歳をとったって頑張ればできるはず!できないのは私の努力が足りないからだ、と思っていました。
でももう頑張ってもできない事はできないのですね。
これまた自分を責める必要はない。出来ないのは努力が足りないからではなくてもう「歳」だからなのだ!そうか。何だか安心した。

とにかく老いに対しては自分をまるっと受け入れる事の大切さを知りました。
最後に私の老後指針↓

遠くに目標は持たず、今目の前にあるミクロのことに全力をかける。野望を持たず、今を楽しむ。自分を信じて、人を信じて、世界を信じて、今を遊ぶ。そこに思いもよらない美しいものが現れるのである。それをただただ楽しめば良いのではないだろうか。

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