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映画レビュー『ゴジラ−1.0』

ちょっと前にプライムビデオの配信が始まって、夫から是非一緒に見ようと誘われた。
夫は映画館で視聴済みで、私にも当時これは映画館で観るべきだと促してはくれたのだけれど、私は同時期にゲ謎を観に行く時間をもらったからまぁいいかなー、と流してしまっていたのである。ゴジラという作品にそこまで思い入れもなかったし。
そういえば、シン・ゴジラは一度観たなぁ。
これも夫に誘われて、その時は映画館だったかな。それも面白かったので、別に嫌いとかそういう話ではないのだ。そこからどハマりするほどの熱にはならなかったっていうだけの。

あ、でもシン・ゴジラのシーンって、視聴後かなり経ってる割に結構覚えてるな。
ゴジラに向かって電車で全力で突っ込んでったり、たった1人の通行人のおばあちゃんの為に苦渋の決断で作戦破棄したり、家電屋に1人残されたコジマ店員がいたり、そんでゴジラが好きすぎる博士が選んだ最期とかさ。こないだ友人に『来る。』のレビューnoteを送りつけたんだけど、私あれ自分で自分のnote読み返すまでかなり内容忘れてたんだよね。あんなにエグく感情揺さぶられたはずなのにな。
そう思うと、やっぱりシン・ゴジラってすごい作品なんだなぁとか思ったりする。


というわけで、今回の『−1.0』もレビューを残しておくことにした。観たのがひと月前だけど、記憶を掘り起こしていくぞ。


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最初に夫に確認したのは「なんか前作見とかないとわからん話とかある?」だった。
「ない」と即答だったし、実際全然困るところはなかったので、ゴジラシリーズ未視聴勢も安心してほしい。


以下、ネタバレも含むのでご了承くださいな。


主人公:敷島浩一(神木隆之介)。
なんか見終えてからクレジット見て「えっ、あれ神木くんだったんだ?!」ってびっくりしちゃった。いやあの、普段そういう界隈に詳しくないっていうのもあるんだけど、なんかもっと年下っていうか少年のイメージが抜けなくて……えっ、今31歳……?そっかぁ……(しみじみ)。
いきなり話が脱線した、ごめん。

話を戻そう。
えーと、舞台は戦後。
丁度終戦間際からスタート、くらいの感じで良いかな。敷島は特攻隊だったんだけど、結局怖くなって逃げ出して、結果生き延びてしまった人。今の時代からすれば「生き延びてしまっただなんてひどい、それで良かったんだ」って言いたくなるけど、彼はそのことを周りに責められるし、時間と共に責められなくなった後も、誰よりも本人が己を許せずにいる。そのことがこの敷島というキャラクターの芯の部分になっていて、神木隆之介が役作りで多分一番大事にしたとこなんだろうなと思う。

これたまたま見つけたインタビュー記事なんだけど、鏡を見ながらの自己暗示はマジのマジで危険だからやめた方がいい(本人も辛くなって途中でやめたって話らしいので良かった)。


でもわかるよ、敷島っていう男はそういうやつだよ。顔も良くて周りへの対応に丁寧さが滲み出ていて、早く幸せになればいいのにってみんなが思うような好青年なのに、ずっとどこかで『自分は幸せになっちゃいけない』って思ってて、ずっと地獄の淵で穴の底を見つめているような、そういうキャラクターだ。

そんな敷島が、特攻から『逃げてきた』シーンから物語が始まる。
逃げた先の小さな島に、突如出現するモンスター。島で『ゴジラ』と呼ばれているらしいそれは、島にいた整備兵たちを蹂躙する。敷島はここでも恐ろしさから戦えず、そして生き残る。

暗い気持ちのまま帰郷した敷島。
そこで、彼は典子(浜辺美波)と出会う。彼女は1人で赤ちゃんを抱えているけど、その赤ちゃんすら実は彼女の子ではない。戦後で自分のことだけでも精一杯のはずなのに、それでも小さな存在を見捨てられなかった、そういう女性だ。
典子は敷島の家にそのまま居座る。散々文句を言いながらも、隣の澄子さん(安藤サクラ)が助けてくれたりして、みんなで赤ちゃんを育てていく。赤ちゃんの名前は明子。

この明子ちゃんがまた凄いんだよね、上記リンクのインタビューでもどこから連れてきたのって書かれてるけど、ほんとなんでキャストページに名前ないの……?
赤ちゃん期も(すげぇ!どうやってこのシーン撮ってんだ?!)ってびっくりした。泣くシーン、泣かないシーン、すやすやと典子さんの腕の中で眠るシーン、マジでどうやってんだろこの年齢の赤子で。ひたすら寝るまで待ってから撮影してんのかな。そこから大きくなっても、物静かでおとなしいお嬢さんでな……その彼女が感情を爆発させて泣くシーンとかな……全国の保護者が泣くわあんなの。やー、どの映画でもちっちゃい子を使った撮影は凄いなと思うけど!凄かったなぁアキちゃん。

敷島と典子と明子、いつしかまるで家族のような絆が生まれていくけれど、あくまでも敷島は上記の前提があるので、ガンとして「自分は家族ではない」と言い張る。少なからず互いの好意も感じているだろうに、周りからも「早く迎えてやれよ、のりちゃんかわいそうだろ」と言われるような状況で(こういうデリカシーのなさや、そう言いながらも炊事を典子さんに任せきりなところや、明子がいるにも関わらず男性陣が飲み歩いているようなシーン。このへんは、そういう時代だなーって思う)、「おとうちゃん」と呼んでくるアキちゃんにすら「俺はお父ちゃんじゃないんだよ」って言い続ける。
お前、それは残酷だろうよ、こんなちいちゃい子によ……!俺には弟はいねぇって言い続けた不死川実弥かよ。

それでも2人を養うべく、敷島は働く。
働いて、稼いで、更には典子さんも自ら働きに出ることを決意する。最初やばい浮浪児みたいな出立ちで登場してるのに、どんどん『若く美しい良妻』になって『銀座に勤めるモダンなおぜうさん』みたいな存在になっていくの、これは浜辺美波さんが凄いなって感じ。
そうやって、敷島はいつまでも一線を引くものの、段々と小さな家族として、幸せの形ができ


──てきたのを、蹂躙・破壊するのが『ゴジラ』なのだ。



シン・ゴジラの時もそうだったけど、作中のゴジラってずっと謎のままなんだよね。
何故ゴジラが生まれたかとか、何から進化した生き物だとか、何故破壊を繰り返すのかとか、そういう生物学的な面はあまり語られないし、よくわからない。というかまぁ、みんなそれどころじゃない。ある日とんでもない災害が、悪意も理由もなく街を襲う。人間は相手がどういう生物かよくわからないままに、あるもので戦うしかない。相手がよくわからないままだからこそ、ゴジラは依然として不気味だし、神性すら漂わせてくる。怖い。怖いけど、生き物であるからには行動パターンも考えられるし、生き物であるからにはこれは流石に効くのではとか、めちゃめちゃに頭を使って対策を講じることもできる。ものすごい身体能力の超人によるアクション映画も爽快だけれど、このどうしようもない厄災に対して等身大の人間が知性と信念だけでやりあっていくドラマ、このへんがゴジラという作品の面白さなんだと思う。

作中、みんな知ってるであろう『ゴジラ』のテーマ曲、あれが流れるシーンがあるんだけど。
挿入箇所が完璧だった。曲が流れ出した時ぞわっと鳥肌立ったし、テーマに合わせて思わず体も揺れるし、めちゃめちゃ高揚した。
あぁーーー、これしっかりオーケストラ呼んで弾いてますね?!特に主旋律たるバイオリン奏者(詳しくないけど多分)、これの収録もう泣きそうなくらい楽しかっただろうな、テレビからの音ですらめちゃめちゃに伝わってくる。いやここ映画館で聞きたかった欲は確かにある。この数分の為だけに映画館に行きたくなるやつ……!


そろそろ3000文字超えてきたし語りすぎるのもよくないのでここまでにするけど、メイン3人だけじゃなくて、敷島の周りの人達もみんなすっげぇ良いです。キャラも演技も良い。
まだ観てない方は是非。

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