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傷の先に見えるもの。

今まで、いくつかのnoteを書かせて頂きましたが、今回は過去に書いたものを連動させるような記事になります。

そして、心の傷(トラウマ)に関しても少し触れる内容になります。
読みたくないなと思われた方は無理をなさらないでください。


①トラウマ
私自身は心に関する仕事をしており、心に傷ができた様々な人と関わります。
トラウマ(心的外傷)という言葉を耳にしたことがある人は少なくないと思いますが、言葉が一人歩きしているような印象を受けることはしばしばあります。

厳密にトラウマを定義すると、『人の生命や存在に強い衝撃をもたらす出来事を外傷性ストレッサーと呼び、その体験を外傷(トラウマ)体験と呼ぶ』ことになります。
”生命や存在に強い衝撃をもたらす出来事”は日常生活の通常の失敗や挫折ではありません。
『告白して玉砕したの、トラウマだー』という言葉は本来適切ではありません。

トラウマに起因する強い精神症状が一定の基準を満たして認められるものを心的外傷後ストレス障害(PTSD)と呼びます。

②外傷性ストレッサーのパターン
トラウマの原因となる外傷性ストレッサーにはいくつかのパターンがあります。

①自然災害
地震・火災・火山の噴火・台風・洪水など
②社会的不安
戦争・紛争・テロ事件・暴動など
③生命などの危機に関わる体験
暴力・事故・犯罪・性的被害など
④喪失体験
家族・友人の死、大切な物の喪失など
文部科学省HPより

①の災害は日本は少なくないものの一生の中で出会わずに済む人も多いと思います。
②の社会的不安に関しては、日本が世界の中でも稀なほど治安の安定している国なのであまり出会いません。
④の死別や喪失体験に関わることもそれなりにありますが、一番多いのは③です。

外傷性ストレッサーにどのように接していたのかは、その後の回復に大きく影響します。

一過性に強いストレッサーに曝されたのか
長期間に渡ってストレッサーに曝されたのか

一般的には長期間に渡ってストレッサーに曝される方がケアに難渋することが多く、PTSDの診断基準を満たしている場合には複雑性PTSDと呼ばれます。

③PTSD

PTSDに関してはリンクを貼りますが、症状や診断基準が決まっています。
なので、はっきりと診断がつく方はかなり症状に苦しんでいて、生活そのものに強い支障がある方ということになります。

ただ、PTSDとは診断されないものの、PTSDに類似した症状を示す方も少なくありません。
医学的な診断は下らなくとも、PTSDに近いような心の状態で燻っている方もいるということなのだと思います。

私のところに相談に見えるケースで多いのは『いじめ』と『不適切養育(虐待を含む)』、『性被害』です。

私自身は深刻で重症度の高い方へのセラピーは現在のところ行っていません。人員や時間の制約、そして私自身が一時的にでも全てを引き受けるキャパシティに不安を感じるためです。
その状況の中で無理に引き受ける形になると、クライアントを治療するつもりが却って余分な傷を与えてしまいかねないと考えています。

④性被害といじめ
性被害については100%ではありませんが、被害者の多くが女性です。そしてこれも100%ではありませんが、男性が加害者であることが多いのは現実です。
レイプなど深刻度が高いケースは基本的に女性治療者が担当すべきと考えているため、私自身が関われるケースは限られています。

性被害に遭った女性は外傷性ストレッサーとして男性を認知するようになることが多く、防衛反応として性的な事柄や男性を嫌悪・回避するようになります。性被害に遭った女性がミサンドリーの感情を持つことはある意味自然なことだとも言えるのです。

適切なケアがなされた環境で、安心して話し合え、信頼できる男性に巡り会うことでミサンドリーは薄まっていくことが多いのですが、心のケアが受けられる場所へのアクセスが難しい環境では、ミサンドリーが固定化されることもしばしばあります。
日本という国は残念ながら心のケアが気軽に受けられる環境とは言えません。このため、男性への怒りや性嫌悪が燻った女性がそれなりの数いるのだろうと思います。
SNSでのジェンダークレーマーの攻撃的な言葉の中にはそんな背景があるのではと思います。

一方でいじめに関しては、男女関係なく加害者・被害者になります。
女性集団からのいじめに遭った被害者は女性の攻撃性に嫌悪・回避が生じます。
女性からの集団攻撃を受けたことがある人達の中でミソジニーが形成されるのも不思議なことではありません。そのいじめが長期間に渡る場合にはミソジニーも当然固定化されるでしょう。

ミサンドリーにせよ、ミソジニーにせよ、強い性別嫌悪が生じる背景にはトラウマの存在が関わることが少なくないのです。

SNS上のやりとりで、ある女性のツイートに対して、反発する女性達からバッシングが起こったことがありました。トラブルの中で一年以上前の彼女のツイートを引用して拡散させた人物がおり、その人物のフォロワーである女性達が強く反発したのです。

ツイート主の女性は過去に女性から自殺を考えるほどの集団いじめに遭い、ミソジニーを抱くようになったと述べています。そして、色々な人達との出会いで1年かけてゆっくりとミソジニーが薄まったとも述べていました。

バッシングした女性達の言い分が理解できない訳ではありません。ミソジニーをぶつけられた感じがしたのでしょう。

しかし、複数の女性からバッシングされた彼女にとっては、かつての集団いじめの再体験にもなります。先のリンク先にもある侵入体験が生じたのです。フラッシュバックが生じるのも無理はありません。
フラッシュバックに伴って過覚醒となり、強く攻撃的にならざるを得なくなり、相互に攻撃し合う状態に陥り。
そんな状態だったのだと思います。

お互いの防衛反応ではありますが、強いて言えば引用した人物には悪意を感じました。

反出生の人達も実は同じ傾向にあるのではないかと思います。ストレッサーは親子関係ではと思うのです。
自分の親子関係にトラウマがあるので、それを想起させるものを無くしたい。
子どもという存在に対してではなく、親子関係のつまづきである親の愚痴に強く反応する方が多いのはそんな風に見えるのです。

⑤トラウマと認知
トラウマを抱えた人は一般的にトラウマの原因になりそうな存在に『嫌悪』の感情を抱きます。
対象に特定の感情があれば、認知は簡単に歪みます。


認知の歪みに関しては、記事に書きました。
認知の歪みが生じることで、

過度の一般化(またいじめ・被害に遭うかもしれない)
心のフィルター(賛同してくれる人だけを集める)
感情的決めつけ(相手に嫌悪を感じだから、相手は自分を憎んでいるはず)
レッテル貼り(あいつはミソジニスト・ミサンドリストで最低な人間だ)

のような言動に繋がります。

特に”心のフィルター"は厄介で、自分と同じ嫌悪を感じる人達が周囲に集まることで『皆がそう思っているから、自分が正しい』と歪みを強化します。
『正しい』ことで、自分の言動を正当と考えるようになりますし、相手へのレッテル貼りが歪んだ形で強化されます。

こうなると話し合いが出来なくなります。
『正しい』自分が相手の考えを聞いたり、価値観を受け入れる『必要がない』と考えるようになるからです。

実は、この『正しさ』という感覚こそ、対人交流の中で厄介なものでもあるのです。


⑥厄介な『正しさ』
自分が『正しい』と感じている時、人は相手にも同じ考えを求めます。
感じている『正しさ』に画一的に従うことを望むのです。

しかし。
正しさはそもそもそんなに普遍的なものなのでしょうか?

正しさについて、哲学をざっくり取り扱った本で『正義の教室(飲茶 著)』という本があります。
本来はたくさんの哲学の本から学ぶべきなのだと思いますが、入門としては良い本だと思います。

こちらの記事で本について触れましたが、本来なら正しさは人それぞれ違います。
絶対的な正義はないと言うことにもなります。

先程述べた『画一化された正しさ』の強要はパターナリズムです。
行き過ぎたパターナリズムは全体主義、原理主義に繋がります。
全体主義が集団運営には最も効率的ですが、それが本当に理想なのでしょうか。

少なくとも、自分はそう考えてはいません。

それぞれの考えを伝え合い、取り込める部分を取り込み、妥結していくことが人の成長に繋がると思うからです。
そして、全ての人がそれぞれ違う正しさに基づいて判断することが許されること。
それが『多様性』であるはずです。

集団の中では正しさの名の下に異分子に対して攻撃し、服従を求めるような行動も見られます。それこそ、正義の暴走のような状態です。
これが『いじめ』の原因になることはよく見受けられます。

集団いじめの加害者や擁護者は『いじめられる側にも問題がある』と言うことがあります。
これは決して受け入れてはいけない主張です。集団いじめに免罪符はありません。

『正しさ』が厄介なのはこのような側面もあるからです。


⑦安全に議論すること
本来、議論することは相手の価値観を聞きながら自分の意見を述べ、妥結点を探し、自分の考えや価値観をアップデートできるチャンスでもあります。

議論を行う際には、自分の『正しさ』にどのようにブレーキがかけられるかどうかがキーになると思うのです。

お互いが意見を全く聞き入れたり、変容させる気がない話し合いは水掛け論です。
水掛け論はお互いに疲弊し、感情を逆撫でされ、時間や気力・体力を消耗します。

正しさは人の数だけあります。
だからこそ、嫌悪の感情を持ったなら『それは嫌』と言う方が良いのです。

感情を無理やり正しさに繋げることは、建設的な議論の前提を崩します。

私が議論を打ち切る時は、大抵このような時です。

⑧最後に、自分を見つめ続けること
少し長くなり、かつ、まとまりに欠ける文章になったかもしれません。

今回の記事でお伝えしたかったことをまとめると、

◆自分の正しさにブレーキをかける
◆正しさの暴走の裏には認知の歪みがあることがある
◆その認知の裏にはトラウマがあることもある

と言うことになります。

トラウマについては、同じような認知の人達が集まると認知の歪みを強めてしまうことが多いので、適切なケアを受けられる方が良いと思います。

最近、Twitterでジェンダークレーマーの女性に酷い誹謗中傷や死ねなどのDMが送られたことがありました。
彼女の言動に怒りを感じても、言動は正当化されません。
彼女もこの社会で安全に幸せに暮らす権利のある1人の人間であることを忘れてはいけません。

自分の正しさを見つめ続けることができれば、このような言動は回避できる、そう思います。

そして、攻撃的な言動の裏に、トラウマがある人も少なからずいます。
攻撃の応酬は何も産み出さず、新たな傷を作りあうだけです。

ほんの少しだけ、自分の正しさにブレーキをかける。
自分の言動が激しくなる裏側のトラウマを知り、ケアを受ける。

傷の先に見えるもの。

傷つけあった先に見える世界が少しでもお互いに優しさやいたわりを与え合える場所に変えていけると良いなと思います。

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