認知の歪みと色眼鏡。

SNS上では、色々な衝突が生じます。
衝突自体は緩やかであれば、論議のきっかけになり、新しい何かをお互いに吸収できるチャンスでもあります。

ただ、炎上のような状態になることもしばしばあります。
何でこんなに伝わらないのだろうと思うことも良くありますし、それを繰り返す中で口調が強くなったり、イライラしてしまうことも少なくありません。

私もTwitterでの友人女性2人が渦中に入ってしまい、何故なのだろうと思いました。彼女達に非があるわけではないのに、なぜこんなに噛みつく人がいるのだろう…と。

パターンは違うのですが、どちらも認知の歪みや認知バイアスが大きく関わっているようでしたので、心理学的な面から考えてみたいと思います。

①そもそも認知とは?
心理学上、認知は『人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程』と定義されます。
『外界にある対象』はまずは知覚(五感)で処理されます。この時点では単なる情報なので、そこには意味づけはありません。
その後の判断・解釈の過程が認知のメインプロセスになります。

判断・解釈に影響する要素は様々です。
個々の感情や経験・学習、情報の正確さ、所属する社会集団と帰属意識、その時の気候や体調すらも影響を与えます。
それくらい人の判断・解釈は動揺しやすいものであり、認知に関しては絶対性を求めることは不可能な領域と言えるのです。

②認知の歪みとは
人間が知覚情報を判断する時、基準は個々により違います。
特定の情報に触れた時、『〇〇である』『〇〇な気持ちになる』傾向が強く現れることはしばしばあるのですが、それが強まり過ぎて自分自身や他者に影響を与えてしまうことがある場合、認知の歪みが生じていることがあります。認知そのものが『歪んでいる』ので、情報を非合理的に解釈しやすく、自分を傷つけたり、他者に攻撃的になったりします。
また、歪みは自分からは『見えない』ので、本格的に修正したい場合には認知療法など心理療法やカウンセリングが必要となることが多いのです。
(多くの認知の歪みにはトラウマなどの存在が関わっており、自身でコントロールすることは難しいことが多いのです)

認知療法の研究者である精神科医のBurnsは以下の10パターンを挙げています。

・全か無かの思考
グラデーションを作れず、極端な解釈をすることです。自分に向くと完璧主義で自己卑下が生じやすくなりますし、他者に向けば要求水準が高く、フラストレーションを抱えやすくなります。
例…パートナーの求めに完璧に応じなければいけない
  フェミニストは常に男性に攻撃的である

・行き過ぎた一般化
ひとつの言葉や出来事を元に、経験や根拠が乏しいままに普遍的な事柄として扱います。
例)挨拶にそっけなかったから、絶対あの人に嫌われた
  デートの誘いを断られた、自分と付き合いたい人なんてこの世にいない

・心のフィルター
物事の良くない点ばかりに目が行き、良い点を見なくなります(選択的抽象化)。
例)テストで5点も落としたから叱られる(95点取ったのに)
  自分の妻は料理が苦手だ(他のことはとても上手なのに)

・マイナス化思考
良いことは『まぐれ』と感じ、失敗は『やっぱりそうだ』と考える傾向のことです。
例)好きと言われたのに裏があると思い、些細な喧嘩をするとやはり愛されていないと落ち込む

・論理の飛躍
心の読み過ぎ…行動や表情、口調からネガティブな可能性を先読みし、相手に確認しないで傷つくことを防ごうとします。
例)やりとりをしている相手が「自分を憎んでいる」と考え、攻撃的になる
先読みの誤り…悪い結果を推測し、一人で悲観的な結論に傷つきます。
例)支持している候補者が選挙で負けたから、この国は終わりだと思い込む

・拡大解釈、過小解釈
失敗・弱み・脅威を過大に感じ、成功・強み・チャンスを過小に評価します。
例)相手の失敗には寛大でも自分が失敗すると無能だと思い込む

・感情の理由づけ
感情だけに基づいて判断してしまうことです。怒りに振り回されることが多く、「怒りに我を忘れる」ようなところがあります。
例)〇〇するような嫌悪すべき政治家が言うことは全て腐っている

・~すべき思考
他者に対して、『〇〇するべきである』と自分の考えが当然であるとする思考パターンです。
例)母親だから〇〇すべき、男は〇〇であるべきなど

・レッテル貼り
行き過ぎた一般化のせいで自分や他者に柔軟性のないイメージを作り上げて固定する思考パターンです。
例)〇〇なことをした政治家だから、引き摺り下ろすべきだ
  被害にあったから、男性は全て加害者である

・誤った自己責任化(個人化)
失敗や不合理は全て自分(または相手)の責任であると考える思考パターンです。
例)〇〇がうまくいかないのは全部自分の責任だ
  こんな状況になったのは全部あいつが悪いのだ

Twitterでの友人女性が公衆浴場関係のTweetをして、過剰に攻撃される経緯があったのですが、極端な絡み方をしている人達を観察すると、以下のような思考パターンがほとんどでした。

①心のフィルターで発言の気に入らないポイントだけを拾う
(男湯が汚いのは事実だけれど、女湯の話はデマ、デマを流して女性を貶めようとしていると解釈。本来のTweetは男湯の話があっても男性全部を主語にするのは拡大解釈ではないかと言う内容)
②歪められて拾った情報で『怒り』の感情が惹起され、理由づけを行う
(こんなデマを流す奴は最低の人間だ、こんな女がいるから男からの被害が後を絶たないのだ、と理由づけする)
③レッテル貼りを行い、人格否定を繰り返す
(こんな女は女の風上にも置けない、そもそもネカマではないか、晒してみんなで攻撃してやれ、と拡散し始める)

もちろん、間違えた情報を指摘しつつ、「このように伝えると誤解されないと思う」と建設的なやりとりをしている方もいらっしゃいました。それでもなお、認知の歪みに基づいて人格攻撃のような拡散を繰り返す人がいるのも事実です。この辺りはSNS特有の問題なのかもしれません。

③表現と認知
「表現」とされるものはあくまで情報のひとつです。情報をどのように切り取って相手に伝えるかが「表現」というプロセスだとも言えます。
その際に、どのような形で物事を伝えようとしても、相手の認知に『強い歪み』がある場合、前述のとおり、こちらの意図とは大きくズレた解釈をされることがしばしばあります。

前述の友人とは別の友人女性が胸が大きいことが性的消費につながると批判された茜さやさんというタレントさんの話から、胸が大きいことを理由に広告から排除されることや同性である女性から攻撃された経緯を踏まえてTweetをしました。
それに対して、演劇関連の男性から性的な強調にならないように配慮をするべきと言う内容の返答があり、読んでいる側から見ても「何で?」と思わされる状況となりました。

経緯などは彼女のnoteを参照していただければと思いますが、そもそも彼女が論じていることと、相手の男性が論じていることが不思議なくらい噛み合わないのです。

彼女は一貫して、「巨乳をいやらしいものと捉えるのは見る側の認知の問題が大きい」「見る側の認知の問題が中心なのに、巨乳であることを理由に広告から排除されることは巨乳女性への差別にあたる」と述べています。この点は前述した認知の歪みに関連づけできるものですし、実際に個々の認知に左右されることは明らかであると考えます。

一方で相手の男性は「表現者である自分」のフィルターを通して物事を考えているように思えました。表現者であることに加え、彼が女性差別などに関心が強い人であることも影響しているのでしょう。「性的と捉えられる表現は避けるべき、そのようにならないように表現者が工夫するべき」という話になり、彼女のTweetを訂正することを求めたいと考えたようです。

自分の立場からこのやりとりを拝見して、「そもそも全ての人間が問題ないと感じる表現は存在しないのでは」と思いました。それは認知の歪みはどのようなパターンでも存在し、様々な歪みの全てを受け止められる表現がないからとも言えます。

例えば、歌手のマドンナなどが胸を強調した服を着ていることは多いのですが、茜さやさんを攻撃した人達がマドンナをバッシングするのでしょうか。
叶姉妹が美しい体のラインを強調した服でTVに出ることを同じようにバッシングするのでしょうか?
彼女達は自分がセクシーであることを否定していません。一方の茜さやさんはボーダーラインのシャツを着て、電話している姿の写真でも「性的に強調している」とバッシングを受けています。

この辺りが認知の歪みの最たる例なのだと思います。どのような画像であっても性的な連想をする人はします。それを加害行為に繋げることは間違いなくアウトです。
しかし、ある人が胸の大きさでバッシングされている中で、他の人の胸の露出はとやかく言われないこと、そしてバッシングされた人は広告などの仕事を行うべきでないと考えることが差別的なのではと思うのです。

最後に彼女の言葉を聞いて思ったこと。
自分の体を愛おしみ、胸を張って、自信を持って、安心して表現できる世界であって欲しい。そして、自分の認知に歪みがあるかもしれないことは常に意識して、不要な攻撃をしない世界であって欲しい。

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