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いやらしいおっぱい?〜でけえおっぱいでマジすまんけどすまんくない〜

はいりょ
【配慮】
《名・ス他自》手落ちのない、または、よい結果になるように、あれこれと心をくばること。
 「―に欠ける」

配慮という言葉は決して「悪い」言葉ではない。

おじいちゃんおばあちゃんが横断歩道を歩いていれば、周りの人も気を配りながらゆっくり渡るし

白杖を持つ人のために、点字ブロックを塞がないように気を配るだろう。

だが、使い方によっては「配慮」という言葉も差別性をはらむことがある。

それが今回のお話だ。

前提の共有


このnoteは古川さんとの議論に向けて、論点を整理するために書いたものなので、あんまり面白くはない上にめちゃくちゃ長い。

それでもお付き合いいただけると嬉しい。

事の発端は、以下の私のツイートにある。

大前提として、宇崎ちゃんの献血ポスターの件からはじまる巨乳バッシングを念頭においての発言だということを理解してほしい。

具体的に、皆様に巨乳差別の歴史を思い出してほしいので、以下に簡単に列挙する。(特定の誰かを刺さないよう、さまざまな人のご意見をまとめている点に注意してほしい)

宇崎ちゃんポスターは、環境型セクハラであり、
Jカップという奇形のような巨乳の属性を付与された表象である。故に性的誇張された存在である。
また性的誇張された女性の乳房をアイキャッチに使うのは、女性蔑視で女性差別であり、公共の場にふさわしくない。

宇崎ちゃんが性的消費されている様に
悔しくて涙が出る
女性としての尊厳を失われた。

そして、私や私のフォロワーである実在巨乳女性の多くはこのように警鐘を鳴らしていた。

そしてその後起こるべくして起こってしまったのが、茜さやさんの一件だった。

詳しく書きたくないほど、目を覆いたくなるほど、あまりにもひどい言葉の数々で、彼女へのバッシングがはじまった。理由は


ボーダーのTシャツを着たフリー素材写真が、
転職サイトの広告に使われた
からだ。


巨乳は胸を目立たせたくないから、
ボーダーの服なんか着ないのに、
この人が着てるってことは
胸を強調させる意図があったんだ。
胸を小さくする手術もあるのにしてないってことは、
性を売りにしているってこと。

みたいな、マジで「クソ」なご意見がたっぷりあふれていた。
最近だと

巨乳の女性やキャラがダメなんじゃなくて、
意図と関係ない広告に巨乳の描写を持ち込んだり
TPOに合わない巨乳広告を選んだ
「企業や企画責任者」が問題なだけなんだけど。
巨乳の女じゃなくて
巨乳の女を意図的に選ぶ精神が批判されてるんだよ。

このような「ご意見」も散見される。


ここからが本題


最初に載せた私のツイートと、それに対する古川さんの反応について思うところをまとめていく。

巨乳を「いやらしいもの」にしているのは、ボーダーの服を着て広告に出る人でも、それを採用する人でも、それを良しとしている人でもなく、「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」「性的誇張だ!」という人ですよ。

このツイートに対し、古川さんからこのような引用リツイートをいただいた。

これに対しての私の返答2つが以下だ。

順当に考えて、女性差別反対というお題目で巨乳女性を広告から排除したり、特別な対応を必要とするなんていう「差別」してたら元も子もないよね。
何言ってんだか。
Q. 巨乳女性の広告に文句をつけたり批判する人がいなくなっても、巨乳が「いやらしいもの」であるという価値観は無くならないのでは

A. だからどうした。まずは差別反対と声高に叫びながら、私たちのおっぱいを踏んでる足を退けさせようとして何が悪いんだ。

まず大前提(2つ目)として、私は巨乳がいやらしいものであるという価値観を無くしたいわけではない。

巨乳が、おっぱいが「いやらしいもの」「性的なもの」だという価値観のもと行われている産業もあり、それでおまんま食ってる女性もたくさんいる。

さらに言えば、思うだけなら人を殺したい願望が許されるように、内心の自由であり、好きにしたらいいと思う。

私もこんな人がタイプで性的興奮を覚える、という対象は存在する。

問題にしているのは、

「巨乳はいやらしいものである」
という価値観がはびっこているから
広告、表現物に使用する際には配慮が必要だ。

という意見だ。

よく考えてほしい。

胸の小さい人であれば必要のない配慮を、規制を、
巨乳である、巨乳はいやらしいものという価値観があるという理由で、「配慮」という名の修正や表現を行うということの意味を。

それ、「巨乳=いやらしいもの」という価値観の補強であり、規範を強化してるにすぎないよね。

もっといえば、小さい胸であれば許される表現が、ある一定の大きさになると許されないのは、めちゃくちゃど直球の巨乳差別でしかない。

差別反対!差別を無くそう!女性に権利と平等を!と叫びながら、「巨乳がボーダーのTシャツを着るのは、性的誇張だし、ダメだよね〜」という。おかしいだろ。

次のツイートに行こう。長くなるよ〜。

ちょっと待ってほしい。さっきと言ってることが変わってないか。

私の批判の対象については上で述べたので置いておいたとして、古川さんの私への最初のツイートの趣旨は、

巨乳女性の広告に文句をつけたり批判する人が
いなくなっても、
巨乳が「いやらしいもの」であるという価値観は無くならないのでは

こうだ。批判することそのものをおかしいと呼ぶなら間違っている、ではない。
そもそも私は批判することそのものをおかしいと呼んでいない。
その批判の内容があまりにも差別的で、それに無自覚なことに怒りを覚えているんだ。


次。

…巨乳がボーダーのTシャツを着たら、性的に強調されている、って本気?

小さいお胸の女性なら、彼女が着ているのと同じボーダーのTシャツを着てもいいの?

性的に強調されていたら公共の場にふさわしくないならば、私たち実在巨乳はボーダーのTシャツ着てスーパーに行けませんけど、本当にその理由で大丈夫?

また、これに対し別のフォロワーさんが

巨乳=いやらしいものって勝手に読み取って批判するひとがいるし、モデルを批判するひとがいるんですが…

しませんってしてるひとがいるのに。

こう伝えると、古川さんは

少なくとも僕はしません、という意味でした。言葉足らずでした。申し訳ないです。

こう答えていらっしゃるが、上に書いた通り私からすれば「巨乳の広告だから」反対しているようにしか読み取れない。

次のツイートに行こう。

>> 配慮を求める方が実際の巨乳女性の方を傷つける可能性があることは認めましょう。

傷付けるかどうかは、正直どうでもいい。それはお気持ちベースなので。
問題なのは差別かどうかだ。

>> あなたは「巨乳を『いやらしいもの』にしているのは、ボーダーの服を着て広告に出る人でも、それを採用する人でも、それを良しとしている人でもな」いと断言していますよね?これは間違いですよね。


断言しているから、なんだというのだろうか。
他のツイートでも触れている通り、「他にいやらしいものにしている人がいない」などとは一言もいっていない。
いっていないことで間違いだと言われても困っちゃう。

>> 仮に胸の大きい女性を起用するとして、まず広告の制作に関わる者がすべきことって「巨乳=いやらしいもの」というメッセージを与えないように、慎重に表現に工夫を凝らすことではないのですか?

これがCMや何かの宣伝だったなら、おっしゃることもわからんではない。商品が目立たないとダメだしね。
(それでも差別的な発言だと感じる人は多いし、その証拠にこのツイートの引用の数がはんぱない。)
ただ今回は、表現に工夫を凝らすと言われても、フリー素材サイトにアップされた画像であり、それを改変することはできない。
そもそも、何度もいうがボーダーのTシャツを着ているからといって、「巨乳=いやらしいもの」というメッセージを与えていることにならない。

そして最後は別の方のツイートではあるが、古川さんが「いいたいことはそういうことだった」という趣旨のリプをされているので、こちらにて考えを述べたいと思う。

結局、このツイートに関しても言うことは変わらない。

巨乳を「いやらしいもの」にしている人がいるなかで巨乳であることを理由に男性から加害されている人がいるからといって、巨乳であることを理由に服装や仕事内容に制約が出るのは巨乳差別に他なりません。
差別の再生産を肯定するのやめてもろて。

である。
茜さやさんの写真を見て、性的な被害にあった時のトラウマが出てしまう。そういう人もいるのかも知れない。
でもそういう人に必要なのは、カウンセリングであり、内省だ。
巨乳表象への配慮という名の排除ではなく。

排除を求めているのではない、とおっしゃる人も多い。
過度な性的強調をやめてほしいだけだ、と。

でもボーダーのTシャツで「過度な性的強調をやめろ」と言われるならば、私たちに残された道はヒジャブくらいなものだ。

このような「ご意見」が多発し、そのたびに企業のTwitterが炎上させられれば、おそらく巨乳表象の起用は避けられていくだろう。

配慮しろというご意見によって、最終的に排除されていくのを私は黙って見ていることはできない。

メガネ男子の広告で、性的興奮を覚える人がいるように、巨乳女性の広告でいやらしさを、性的興奮を覚える人もいるだろう。

だが、その先にある性嫌悪や、巨乳嫌悪、トラウマのフラッシュバックの解決を、巨乳女性や企業に求めては行けない。
それは表現の問題ではなく、自分の認知の問題でしかない。

大人を大人として認めるというのはそういうことだ、と私は思う。

大人である私たちに必要なのは、パターナリズムによる配慮で傷付きから守ってもらうことではない。

傷ついた過去の現実から目を背けさせて、感情を麻痺させることではない。

それでも、きっと、一瞬は救われた気持ちになるだろう。

でものちのち、配慮をされた、ということは「あなたがあった性被害は巨乳のせいだよ」というメッセージを感じ取ってしまいかねない。

私たちに必要なのは、巨乳という身体的特徴が悪いのではなく悪いのは加害者である、という社会の意思表示だ。

決して差別の再生産である、「配慮」ではない


最後に古川さんへ

あなたの発言もまた誰かを傷つける可能性があることを強く認識してください。僕が指摘した点に反論するつもりがないなら、あなたの元の発言が信頼の足らないものであるということです。

このツイートは正直めちゃくちゃ腹が立った。
そもそも反論してるし。

私は古川さんのように、表現者として熱い思いがあるわけではない。
しかし、おそらく私も俳句をはじめて、入賞をした高校生の時から一般的には表現者と呼ばれる立場であったと思う。今でも趣味で続けているし。

その上で、これまでの人生ずっと誰も傷つかない表現などないと思っているし、そんな驕った考えを持ったことはない。

私が彼氏とラブラブしてるツイートでも傷つく人はいるだろうし、私が自分の体に自信を持っているとツイートしたことで、傷ついた人もいる。

だから、余計なお世話だったよ。

というお気持ちでした。

ここまで読んでくれてありがとう。

これからも、「でけえおっぱいでマジすまんな」って本気で思わせられるような世界と戦おうね。

愛と敬意を込めて
大親友


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