見出し画像

心理学と哲学、SNSにおけるフェミニズム。

自分はココロに関わる仕事をしています。なので色々なクライアントさんと向かい合う時は常に自分の立ち位置を意識するような癖があります。

心理学としての色々な考え方はそれこそフロイトから始まって、一時期話題になったアドラーまで色々な理論があり、それに伴った手法もあります。

ただ、忘れがちなのは心理学という学問の基礎の部分に哲学があるということ。
認知行動療法(CBT)の際に用いられるスキーマという言葉があります。育った環境や自分の性格傾向によって生じる認知の歪みのことですが、哲学的な理念もスキーマを構成する要素になります。私自身は哲学を専攻した人間ではないので、心理学やその辺縁に影響する概念としての哲学を表面的に見ただけになりますが、哲学が人の心のありように与える影響は大きなものだと実感することが多いです。

Twitterで紹介したのですが、飲茶さんという作家さんがわかりやすく哲学を語る本がいくつかあります。その中でも、「正義の教室」という本は、心理学や集団心理に大きく影響を与える「正義」の概念について考察した面白い本でした。

「正義の教室」の中では、正義は「3つの正義」に分類されると語られます。
①幸福になれる人が多いことを正しいとする「功利主義」
②それぞれの人が自由を尊重されることが正しいとする「自由主義」
③宗教や伝統などの価値観に沿った考え方が正しいとする「直観主義」

功利主義においては、すべての人が均等に幸福になれることが最善。共産主義などのベースになる考え方です。たくさんの人が幸福になることを目的としていることは美点なのですが、1人の人間が犠牲になって他の全員が救われる場合は犠牲を出すことは仕方がないことと取り扱われます。「全体主義」と呼ばれる方向に向きやすいのはそのためです。

自由主義は他の人の自由を侵害しない限り、自分の自由が全て尊重されるべきという考え方。そもそも自分と他者とが違う存在であることから考え方がスタートしています。自由を得られることは良いことなのですが、自分から破滅していこうとする(自死など)場合の自由はどこまで制限していいのか。そしてほぼ全ての結果が「自己責任」と片付けられるため、貧困などを救済する方法が非常に少ないことも特徴です。

直観主義は宗教など特定の概念や理論に沿った「絶対的な正しさ」を概ね無条件で受け入れる概念です。幼少期から刷り込まれた倫理観や道徳観もここに入ることが多いのでは。問題点は「絶対的な正しさ」に疑問を持った時点でこの正義が受け入れがたいものになること。そして直観主義を信じている人からすれば、相容れない相手を許容できなくなることが多いこと。イスラムやキリスト教の原理主義は宗教的な直観主義に基づくことも多いのです。

フェミニズムを例に考えてみます。

フェミニズム自体は当初は古典的な家庭概念(男尊女卑、女性は家庭で家事や育児に従事するべき、家父長制など)から離れ、女性が自由に生きることを目標として提唱されたものです。
しかし、「自由」を与えられるということは、「どのような選択をしてもよい」と言うことでもあります。女性達の中でもフェミニズムに傾倒していく人々、旧来の価値観の中で生きたいと思う人、様々なそれぞれの思いが表面化します。

その中で一部のフェミニズム活動家達は、「旧来の価値観に縛られた女性達により、女性全体の幸福が阻害されている」と言うようになります。自由主義から始まったはずのフェミニズムがいつの間にか功利主義に変容します。功利主義は「全体の利益」が最優先。違う価値観の女性達のせいで自分たちの思い描く女性全体の利益が損なわれると考えた彼女達は「名誉男性」なる言葉を生み出します(この言葉は南アフリカの人種差別政策であったアパルトヘイトにおいて、経済力が強い日本人のことを有色人種であっても差別対象にしなかったことから生じた「名誉白人」という呼称から成立した、正直不名誉なものです)。

そしてSNSなどで誰でも気軽に薄くつながりを持てるようになった現在。SNSなどでは自分と考えが近い人々が結びつき、違った考え方をする相手を批判・非難したりすることが日常にありふれるようになりました。自分にとって都合がいい集団を形成し、敵対すると認識した集団を非難・中傷・攻撃することが増えたように思います。ここで男性や「名誉男性」呼ばわりされた女性などを一部のフェミニストが集団で攻撃するようになります。反論されると「性差別」「ミソジニー」と断定し、男性が諸悪の根元であるかのような話や、反出生主義など妊娠・出産した女性を敵視して攻撃する人さえいます。これらの攻撃的な人達に攻撃性の理由を問うても「正当なこと、正しいことをしているだけ」「理解しない男どもが全て悪い」と「絶対的な正しさが自分にある」と考えているようです。功利主義からいつの間にか直観主義に変容しています。

直観主義の暴走先は「原理主義」。つまり、外からの概念による抑圧から解放されることを目指したはずのフェミニズムが、違う概念として他の人たちを抑圧しようとする状況が生まれてしまっているということにもなります。SNSなどで行動する日本のフェミニズムを見ていると、何かが輪廻しているように見えるのが私の実感です。

このことはヒトの持つ習性を指し示しているようにも見えます。ヒトという生き物は、社会集団を形成し、自分が優位な状況にあることで安心する本能を持っているという習性です。
おそらく宗教というものは、その習性の中で抑圧された人々が救いを求めることで生まれた概念。行き過ぎた本能を「善悪」などの理念で抑えたり、コントロールするために生まれたものなのかもしれません。アメリカを例に取れば自由主義の権化のような国で貧富の差があれだけ大きい中で、富裕層がキリスト教の「施す」価値観に基づいて、様々な寄付や社会活動を行うことで、抑圧された人々が救われた気持ちになれているように感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?