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Twitterとフェミニズムと依存。

SNS依存という言葉を耳にすることが増えました。
依存症の定義はある意味拡大的に解釈されることが多く、ココロ畑で働いていると、クライアントさんやご家族から『〇〇依存だと思うんです…』と言われる度に言葉の独り歩きに不安を感じることも多くあります。

そもそも依存症や嗜癖の定義に関しては、『日常生活や対人関係に大きく支障をきたす』ことが必須です。
以前、Twitterでペドフィリアについて嫌悪に基づいて書き散らかしていた方がおり、指摘をしたら逆ギレされてブロックされました。
指摘した点は『直接的な行動をとっておらず、葛藤していない人』を精神障害に勝手に分類することは、批判する相手への侮辱だけでなく、精神障害者への侮辱にもなりうること、でした。

対象がリアルな人物である盗撮や児童ポルノに関しては収集も含めて性加害に加担する『直接行動』なので、制限されて然るべきです。
性的なマンガやアニメなどについて嫌悪感を抱くことは自由ですが、そこを精神障害に括るのはとても乱暴であり、精神障害者への偏見に繋がりかねないことだと危惧します。


なので、依存についての今回のまとめは『疾患』『精神障害』としての『依存症』ではなく、そもそも依存とは何なのか、どうしてそうなるのか、何が依存を減らし、何が依存を強めるのかについて考察しました。

①『憂さ』晴らしとドーパミン作動性ニューロン

私達は日常生活の中でたくさんのことを『楽しみ』ます。食べることや飲酒・喫煙、芸能人やアニメ・漫画の推し活、買い物、仕事、人付き合いや恋愛、セックス…。どれも『気晴らし』や『リラックス』、『安心感』を満たしてくれうるものです。
これらがあることで、人々は日常生活で積もりやすい『憂さ』を晴らし、気分転換をし、不安や心配ごとだけに捕らわれずに生活が行いやすくなります。
私自身もコロナの緊急事態宣言で飲食店が閉まり、大切な人達と美味しいお酒や料理を楽しみながら、笑ったり、泣いたり、話したり出来なくなることで『憂さ』が澱のように積もっていく感覚を今も体感しています。
これらの気晴らしに繋がる存在に、少なからず支えられて私達は生き長らえています。

気晴らしが成立する理由は動物の脳の構造に起因します。脳は欲求が満たされる時に報酬系と呼ばれる回路のドーパミン作動性ニューロンが働き、『高揚感』が発生します。この時の高揚感と言う快楽を求めるため、人間は同じ行動を繰り返します。『〇〇が最高の気晴らし』になるのは、脳が気晴らしの快楽を記憶しているから、と言い換えることもできます。

②疾患としての依存
依存症でも、ドーパミン作動性ニューロンは強く影響します。アルコールや覚醒剤などの物質依存はその典型ですし、その他のプロセス依存でもドーパミンは関わると報告されています。
中でも覚醒剤は脳を刺激して、ドーパミンを分泌させるための薬。脳の記憶もとても色濃いものです。

『脳は快楽を求めて、同じ行動を繰り返す』

この習性は時に際限なく快楽を求める行為に繋がります。そのために人間関係も、家庭も、勉強も、仕事も、全てを犠牲にして、快楽を求める状況。これが疾患としての依存症です。

③依存症は孤独の病
そもそも、依存という日本語の意味は『何かに頼って存在、生活すること』です。私達はたくさんの人や物事に広く浅く依存することで、均衡を保ちながら生きています。

人が過去を記録して振り返り、未来を予測するようになったのは、不安を少しでも減らしたいからです。人は神ではないので、正確に未来を予測することはできません。なので不確定な未来の形をたくさん考えるほど、具体的にイメージできるようになった不安が重くのしかかります。
未来への不安や苦悩に押しつぶされそうな時に、気晴らしできる何かがあることが、私達に生きる希望や楽しみを与え、未来を切り拓く力を与えてくれるのです。

依存症に陥った人々はひとつの何かに強く依存することで、たくさんの何かを失います。均衡が取れなくなるのです。
大切な人が離れ、仕事や居場所を失い…強い孤独に苛まれるのは当然のこと。
強い孤独に苛まれると脳は苦痛を和らげるために、快楽の記憶を辿ります。
そして、一時的に苦痛を緩和してくれる対象への依存をどんどん深めていく。

実は孤独に苛まれていない人が単回で覚醒剤を使っても、それだけで依存になることはほぼありません。それを繰り返さずにいられない脳と心のメカニズムが依存を作り上げているのです。

④イネイブリングとは
イネイブラーという言葉をご存知でしょうか?
英語のenable(許可する)から生じた言葉ですが、依存症者の依存を無意識に助長する人をイネイブラーと呼びます。
依存症者を守り、支え、世話を焼く。好意を元にした行動ではあるのですが、その結果、依存症者は依存をより深める状況に陥ります。

そして、イネイブラー自身も共依存と呼ばれる依存症であることがほとんど。相手を支える健気な女性、相手を守り支える騎士のような男性…そのような存在であることで自身の存在を確認しているような状況になります。そして、大抵の場合、イネイブラーは共依存の自覚はありません。
『自分は人として正しいことをしているだけ』と自身の状況に疑問を持ちませんし、指摘されると怒り出すことがほとんどです。
理由は簡単で、『善意』で動いているからです。

⑤TwitterやSNSと依存
TwitterなどのSNSやインターネットにも依存性があります。

SNSが当初満たしてくれるものは承認欲求です。承認されることは当然快楽なので、報酬系のドーパミン作動性ニューロンも活発に働き、脳は快楽を記憶します。
イイねを沢山もらった、フォロワーが増えた、賛同してくれる人がいる…脳にとっては貴重な快楽の記憶です。

しかし、SNSの世界の中では必ずしもどの人とも意見が合う訳ではありません。
所謂『アンチ』と感じる存在はたくさん現れます。

この記事で述べたように、SNSの上では容易に『スプリッティング』と呼ばれる状態が生じます。
全か無か、完全な味方かそれ以外(=敵)か。
今まで仲の良かった誰かに批判されると、急に相手を『脱価値化』し、一気に敵認定することが増えます。

そして敵にならずに集まる人達の多くは無条件に庇ったり、支えたいと感じるような共依存の傾向がある人も少なくありません。
イネイブラー集団に守られる状況になる可能性があるということです。

励まされ、守られて彼らに依存する一方で、他の人達とぶつかり、傷つき、孤独を深めていくことになります。孤独が深まった先は…依存。

SNS依存は承認欲求への依存と共依存への依存が拗れた結果であるように見えます。

Twitterフェミニストが先鋭化していく背景には、彼らの内側の葛藤や共依存が存在するのかも知れません。

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