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思春期心性とアクティビスト。

某フェミニストさんの悪意ある恣意的な切り取りと的外れな攻撃を指摘したら、的外れな逆ギレ→ブロックされて苦笑いしました。
彼女(少なくともTwitterでは女性を名乗られています)のような自分の中での勝手な答が先にあり、それの整合性を他の人を恣意的に巻き込んで担保して的外れな攻撃をする人って結構いるんですね…(呆)

彼女に出来るだけAとして振る舞おうとしましたが、相手のFCが強すぎて少し自分がCPに振れてしまったかもしれないと振り返り。

ただ、彼女だけでなく、Twitterなどでは自分の意見だけで他者を攻撃する人が少なくないなぁと見受けます。なんでだろうと数日考えておりました。

まずTwitterなどのSNSは基本的に『個人の私見の垂れ流し』です。
私のTwitterしかり、noteしかり、基本的には『私』の私見です。
ここはどんな専門家であろうが、なんであろうが、データや思考を取り扱う以上、私見の塊であることが前提です。
何故なら統計学データは数字に過ぎないので、整理して人間の私見(=認知の歪み)によって解釈はいくらでも出来てしまうからです。


例えば『心理職の男女比は25/75で女性が多い』と言う文章。

①『思ったより男女比が大きいのね』
②『逆の男女比の仕事もあるよね』
③『女性が活躍しやすい職場なのかな』
④『女性は繊細だから心理職が多い』
⑤『女性が多いから男性差別だ』
⑥『恐らく心理職の収入が低いから男性が避け、女性が引き受けている。女性への差別だ』

色々な解釈ができます。

①は純粋な感想です。
②は他のデータを用いて、反証しています。
③はデータにから感じるポジティブな印象を述べています。
④はデータから感じるポジティブな印象を過度に『女性』に一般化しています。(繊細な男性もいれば、繊細ではない女性もいます)
⑤はデータに関連づけたネガティブな印象を過度に『男性差別』に一般化し、レッテルを貼っています。(『男性差別』に関連づけたい印象を受けます)
⑥はデータから『思いついた』こと(推測)を、過度に『女性差別』に一般化し、レッテルを貼っています。

①や②は誰かへの攻撃には繋がりにくいものです。あくまで私見であることを理解している『感想』や、単純なデータの提示による『反証』は他者の考えを批判したり、言い負かそうとする感情を惹起しないからです。
③と④は多くの人には何とも思われませんが、④に関しては『女性』への一般化を拒絶したい人には攻撃的になることがあります。
⑤と⑥は考え方の異なる他者への攻撃に繋がりやすい解釈です。根底の部分には『男性差別』『女性差別』への被害的な感情が大きく存在し、それに伴って極端に偏った(全か無か)考え方に至って相手への攻撃に至ります。

⑤や⑥の考え方は心理学用語で『分裂』『スプリッティング』とも呼ばれる認知の歪みに基づきます。
・完全な善か悪か
・完全な味方か敵か

スプリッティングはR.Fairbairnが提唱した対象関係論から発展した概念です。
もともと子どもはスプリッティングをすることが当たり前であり(ママ大好き→ママは怒るから大嫌い)、成長のプロセスの中で他者の良い面も悪い面も引っくるめて全人的に解釈できるよう成長する力を持っています。
男女とも思春期はスプリッティングが課題になりやすい時期であり、他者との関係につまづきやすい時期でもあります。

友達の些細な言葉が気になって『裏切られた』と感じて衝突し、絶交してみたり。
恋した相手を盲目的に讃えたと思ったら、想像と違う一面を見て勝手に幻滅して傷ついたり。
親に反発して怒りをぶつけているのに、『何で味方になってくれないの』と絶望してみたり。

思春期にスプリッティングでうまくいかない現実をちゃんと体験して葛藤し、様々な人の多様な意見を取り入れることができると、大人になってまでスプリッティングをすることがなくなります。でも、近年はスプリッティングをしたままの大人をSNSで見かけることが増えたように思います。
相手を自分の理念に基づいて批判するのに、自分が批判されると唐突に被害的になり、攻撃的になる。完全に味方してくれる相手以外は受け付けない。批判された途端に仲間が敵に変わる。

思春期の子どものまんまで大人として過ごす人が増えたように感じる。数の増減はともかくとして、とても目立つようになった。

これは『私』の私見ですが、『SNSはスプリッティングを促進する』と思うようになりました。

リアルな人付き合いでは、小さいですが色々な衝突、そして理解と共感、新しい邂逅を繰り返しています。そして深い人間関係が作られていく。
一方でSNSの基本は広く浅い表面的な付き合い。そこから理解し合う中で関係が深まり、求め合うことも生じるでしょう。しかし、多様な考えがある中では必ず衝突も生まれます。
リアルな人付き合いではそこでお互いを理解しようとする力が否応なく働きます(それを外圧に感じることすらあるのかもしれません)。
しかし、SNSの世界では…『ブロック』して終了します。考えの異なる相手は好きなだけ攻撃し、ブロックして排斥してしまえば良いのです。理解や共感してくれるのはもともと似たような考え方を持つ相手だけ。
個人のスプリッティングが、集団のスプリッティングを作り出せるのがSNSでもあるのです。
集団のスプリッティングを『分断』と呼びます。


昭和、平成をくぐり抜けてきたフェミニズムのアクティビストとして、上野千鶴子氏や田嶋陽子氏がいます。
私は彼女達の主張に同意はしていませんし、共感もしていません。
ただ、自分が相手を徹底的に批判する代わりに、自分が批判されることにも覚悟を決めている。自分の理念に反する価値観があることは前提に意見を発信する逞しさがあるなとも思っています。
その点は単純に『すごいなー』と思います。


勝手に相手を攻撃し、反論されると罵倒してこき下ろして、排斥する。
相手を散々攻撃しているのに、返されると急に被害的になり、悲劇のヒーロー・ヒロインに浸る。
SNS界隈のアクティビストを名乗る人達に共通する傾向です。

でも、これって。

校則が気に入らないと反発するけれど、処分されたらどうしようと思う中高生

親に反抗して叱られたり、突き放されたりして感情に浸る中高生

と同じことをしているのです。

私は『トーンポリシング』と言う概念に懐疑的ですが、少なくともSNSアクティビストの方々がこの言葉を持ち出す時は『私は怒りや不満をぶつける!でも言い返したり、怒ったり、無視したりしないで!とにかく私の言うことを聞けー!』と駄々を捏ねられているように感じるから、余計にこの言葉に懐疑的になります。
別に世間はあなたの親になれないし、なる必要もない。



SNSアクティビスト(を名乗る人)達を見ていると、『厨二病だなー』と感じるようになりつつあります(あくまでも私見です)。
物事を判断する時にあまりこの陰性感情に引っ掻き回され過ぎないように、文章化しました。

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