ジャッキー・チェンと勝負する(番外編6)

さて、この「ジャッキー・チェンと勝負する」も終盤戦に入ったわけだが、ここらで、ディアゴスティーニ社の「ジャッキー・チェンDVDコレクション」に収録されなかった作品群を紹介しておきたい。

ジャッキーのブレイクポイントが1978年の「スネーキーモンキー」であることはいまさら言うまでもない。その後はずっとトップスターだ。

だが、その前に下積み時代があったこともまた、ご存じのとおり。

それらの作品群(脇役時代と売れない主演時代)を本欄では「アーリー・ジャッキー・チェン」として紹介してきた。まあ、かなりアレな出来栄えの作品が多かったけど、それも時代というものだ。

ところが、これらはじつはジャッキーの、本当の意味の下積み時代ではないのだ。

「アーリー・ジャッキー・チェン」の諸作では、そうはいってもジャッキーにはちゃんと役がつき、セリフもある。主演や準主演作もあり、早い話が、ちゃんとジャッキーが出ていることが、比較的よく知られている作品なのだ。日本でもソフト化されたり劇場上映されているくらいだからね

ところが、ジャッキーにはそれよりもさらに前の段階、いわば「アーリー・アーリー・ジャッキー・チェン」とも呼ぶべき時代がある。今回のコレクションに含まれなかったのは、これらの段階の作品だ。

そこでのジャッキーは、チョイ役であったり、エキストラに過ぎなかったり、あるいはアクション監督だけで出演していなかったり。当然ながら、クレジットもされていない作品が多い、「幻のジャッキー映画」なのだ(だから私もほとんど実物を見てはいない)

それでは、前にもちょっと紹介した自伝『I AM JACKIE CHAN』の巻末に掲載されている、ジャッキー自らが語った作品譜「僕の映画」を参考に、年を追って、一気に紹介してみよう。

ただ、この資料、困ったことに英語タイトルと、刊行当時の邦題しか載っていない。そこで独自に調査した中国語題その他を加えてみたので、お楽しみください。

まずは1962年。

この年が、記念すべきジャッキー・チェンの映画デビューの年。当時のジャッキーは、ええと、8歳か。例の中国戯劇学院に入学してわりとすぐの時期なのだが、学院では子役として映画に出演するのは普通のことだったらしい。

【1962年】「Big and Little Wong Tin Bar」(中国語題「大小黃天霸」あるいは「橫掃江南七霸天」) これが、初めて映画に出たデビュー作。当然ながら子役での出演。台湾の人気女優リー・リーファの子ども役だったそうだ。この後の数年は子役として映画出演をしていたようだ。

【1963年】「The Love Eterne」(中国語題「梁山泊與祝英台」)

【1964年】「The Story of Qin Xianglian」(中国語題「秦香蓮」)

いずれも子役での出演だという。前者は中国四大説話のひとつ「梁山泊と祝英台」を原作とした大ロマンス。

さて、『I AM JACKIE CHAN』に掲載のこの資料、じつはジャッキーの記憶だけに頼ったもののようで、はなはだ心もとない。そこで、香港映画データベース(HKMDB)やインターネット・ムービー・データベース(IMDB)でジャッキー出演作を検索してみたら、これ以外にもけっこう出てきた。たとえば、これ。

【1966年】「The Eighteen Darts」(中国語題「兩湖十八鏢」) これは香港では前後編に分けて上映されているので、相当の大作だったようだが、データの間違いか、それともジャッキーが忘れているのか? HKMDBによると、「七小福」全員での出演とあるので、ジャッキー本人には印象が薄いだけなのかも。

そして、こんな有名作品に出ていたりもする。

【1966年】「Come Drink with Me」(中国語題「大醉俠」) 香港映画の名匠(香港のクロサワともいわれる)キン・フー監督の名作。「大醉俠」のタイトルで日本でもソフトが発売されているので、今度確かめてみるかな。まあ見てもわからないんだろうが。

【1967年】「DRAGON INN」(中国語題「龍門客桟」) これもキン・フー監督の名作。日本でも公開され「残酷ドラゴン/血斗竜門の宿」という邦題もあり、カンフー映画ファンならご存知だろう。この名作にジャッキーが出ていたとは知らなかったが、本人の言によれば「カメオ出演」 たぶん「チョイ役」のことだろう。用語が違うんじゃないか、ジャッキー。

【1970年】「Lady of Steel」(中国語題「荒江女俠」) これも『I AM JACKIE CHAN』には未記載。だとすると、大した役ではないんだろう。

【1971年】「Fist of Fury」(中国語題「精武門」) 言うまでもないだろう、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」である。この作品にスタントマンの一員として参加し、庭への大ダイブでリーに褒められたのは、本人もお気に入りの逸話。

【1971年】「The Heroine(A Touch of Zen)」(中国語題「俠女」) ジャッキーの回顧によると、子役でない初の出演映画で、日本人の悪役を演じたという。そんな映画じゃなさそうだが。

ジャッキーの記憶にはないようだが、この1971年は、ほかにも映画に出ているらしい。HKMDBには2作品があった。

【1971年】「The Blade Spares None」(中国語題「刀不留人」)

【1971年】「The Angry River」(中国語題「鬼怒川」)

前者ではチョイ役、後者はどうかかわったかが不明。ノラ・ミャオ主演の「刀不留人」のほうは「レディ・ブレイド」としてDVD発売されている。

【1972年】「Police Woman」(中国語題「女警察」) 邦題「ドラゴンファイター」【こちら参照】 本作は1973年の作品のはずだが、ジャッキーの記憶では1972年らしい。撮影したのはその年なのかな。

【1972年】「Hap Ki Do」(中国語題「合氣道」) 日本でも公開された「アンジェラ・マオ/女活殺拳」だが、ジャッキーはチョイ役出演。

【1972年】「The Brutal Boxer」(中国語題「唐人客」) これもチョイ役出演らしい。ジャッキーの記憶にはない模様。

【1973年】「The Cub Tiger from Kwangtung」(中国語題「廣東小老虎」) のちに「必殺鉄指拳」に仕立て上げられる映画ですね。【こちら参照】

【1973年】「Not Scared to Die」(中国語題「頂天立地」) 「ファイテイング・マスター」です。【こちら参照】

【1973年】「Enter the Dragon」(中国語題「龍爭虎鬥」) ブルース・リーの「燃えよドラゴン」にワンシーン出ているのは有名な話。本編でも顔がちゃんとわかる。ちなみに、サモ・ハンやユンピョウも出ている。

そしてこの1973年には、このほかにも、たくさんの映画に出たり、アクション監督をしたりしている。いずれも本人の回顧には出てこないが、HKMDBでは以下の作品を拾えた。

【1973年】「Facets of Love」(中国語題「北地胭脂」) チョイ役らしい。

【1973年】「Ambush」(中国語題「埋伏」) これはエキストラ出演。

【1973年】「The Awaken Punch」(中国語題「石破天驚」) チョイ役出演。

【1973年】「Freedom Strikes a Blow」(中国語題「碼頭大決鬥」) 邦題「空手ヘラクレス」 アクション監督をつとめたこの作品ではエキストラ出演も。

【1973年】「Fist to Fist」(中国語題「除霸」)

【1973年】「Fist of Unicorn」(中国語題「麒麟掌」)

この2作品では、ともにエキストラ出演。

【1973年】「None But the Brave」(中国語題「鐵娃」) HKMDBによれば、これも日本人役で出ているようだ。ひょっとしたらジャッキーは、前出の「俠女」と混乱しているのかも。日本から出演した宍戸錠の子分役かなんかで出たんじゃないかな? 

【1973年】「Supermen Against the Orient」(中国語題「四王一后」) これはイタリアの映画会社と香港のショウブラザーズが合作した珍品アクションコメディで、ジャッキーはアクション監督をつとめたらしい。本人は忘れているようだが、ちょっと見てみたいぞ。

1973年の反動か、翌年からは出演映画が激減している。

【1974年】「The Golden Lotus」(中国語題「金瓶雙艷」) 中国の古典ポルノ『金瓶梅』の映画化。チョイ役出演したようだ。

【1974年】「Village of Tigers」(中国語題「惡虎村」)これもチョイ役出演。

【1975年】「The Young Dragon」(中国語題「鐵漢柔情」) 本人曰く、スタントコーディネイターをつとめたそうだ。 

【1975年】「All in the Family」(中国語題「花飛滿城春」) ジャッキーの言によれば「馬鹿げた映画」 セックスシーンも演じたそうだが、本人は見てほしくないそうだ。

【1975年】「The Dragon Tamers」(中国語題「女子跆拳群英會」) スタントコーディネイターをつとめた。

【1975年】「No End of Surprises」(中国語題「拍案驚奇」) これは本人の記憶にはないようだが、チョイ役出演しているらしい。

このころに、いったん映画をあきらめてオーストラリアの移住していたりしたから、出演が少ないのかな。

そんなわけで、1976年からは、「レッド・ドラゴン」を皮切りに、主演に昇格していく。そのかたわらで、主演した「少林寺木人拳」「ファイナル・ドラゴン」「少林門」の他にも、けっこうたくさんの映画に参加している。

【1976年】「The Himalayan」(中国語題「密宗聖手」) チョイ役出演。

【1976年】「Dance of Death」(中国語題「舞拳」) スタントコーディネイターをつとめたという。

翌1977年には、主演作「成龍拳」のほかに、こんな作品もあったようだ。

【1977年】「Iron Fisted Monk」(中国語題「三德和尚與舂米六」) ジャッキー本人はスタントコーディネイターをしたと語るが、なぜかHKMDBには名前がない。

【1977年】「The 36 Crazy Fists」(中国語題「三十六迷形拳」)  スタントコーディネイターをつとめたほか、オープニングにもチョイ出演しているようだ。 

こうして1978年に「スネーキーモンキー」が大ヒットし、ジャッキー・チェンの下積み時代は終了を迎えたわけだ。

もう一本だけ、日本でもビデオ発売された「燃えよデブゴン/豚だカップル拳」(1979年「The Odd Couple」中国語題「摶命單刀奪命槍」)でもスタントコーディネイターをしたと本人は語っているが、これもHKMDBには名前がないんだよな。

いや実際、ずいぶんたくさんの映画にかかわったものだが、これが当時の香港映画では普通だったのだろう。もちろんクレジットなどほとんどされていないし、ご覧のとおり、正確さの面ではかなり怪しいフィルモグラフィなんだが、まあそんな時代だったんだ。

そこで、ジャッキーにはこんな言葉を贈っておこう。

「ジャッキー、あのころは、キミも若かったね!」

「成龍、那時,我已經得到了你還年輕!」

  ジャッキー・チェンと勝負する 目次

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