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#15. 「恋」を英訳するとして


すこし前、BBC が英語に翻訳不可能な日本語の一つとして「恋の予感」を取り上げたことについて、短い記事を書いた(「翻訳のできない日本語『恋の予感』」)。

そもそも「恋」と「愛」すら分けない英語が、「恋の予感」という(恋よりも前の)かすかな感情を訳すのに難儀するのは、ある意味必然だと言える。

英語はまず、日本語の「恋」と「愛」の違いを理解するところからスタートしなければならない。

...... と、どこか他人事のように書いたけれども、これはなにも彼ら英語ネイティヴだけに生じる問題ではない。

「日本語を母語とする英語話者」であるぼくたちもやはり、英語で話したり書いたりする際に、「恋」と「愛」の違いをいかに説明すればよいのか、あるいは(理想的には)いかに訳し分けたらよいか、という問題に時としてぶつかるのである。

もちろん love としてしまえば簡単だが、ぼくたちの中で「恋」と「愛」はどこか決定的に違うものであるから、やはりそれで満足することはできない。

「恋」を love 以外の言葉で英訳するとして、さて自分ならどんな言葉に置きかえるだろうか......

そんなことを考えていたら、ある本の中でおもしろい考察を発見した。

発言者はリービ英雄。アメリカ人でありながら、日本語で小説を書いている「日本語作家」である。創作家として活躍する一方、日本文学者としての顔も持ちあわせ、とくに『万葉集』に造詣が深く、『英語で読む万葉集』という本まで出している。

『万葉集』を訳すとあれば、当然「恋」の英訳は避けて通れない。とある本の中で彼は、翻訳当時に考えたことを以下のように回想している:

『万葉集』の「恋」を読んでいると、どうも下手に love として翻訳することができない。なぜなら ...... 圧倒的に多くの場合、私があなたと結ばれて幸せになったとか、その後の関係性を表現するものではなく、むしろあなたに会いたいんだけれでも会えない、あなたと一回会った、また会いたいんだけれども会ってくれない、ということを表しているからです。あるいはよく出てくるパターンで、人のうわさが怖いからあなたの家に行けない。
そうするとその「恋」は何なのか。これは love ではなくて、英語で言うところの longing である。あるいは yearning という言葉、あこがれに近いですね。でも、あこがれよりちょっと悲しいこと。

これには目から鱗が落ちる思いだった。longing といえば、英和辞書で引くと「切望」という訳が当てられている言葉である。

Merriam Webster によれば、その意味するところは "a strong desire for something unattainable" (手にすることのできないものへの強い欲求) であり、

語源を辿ると、この語の元となった古英語の langung には、先述した現代英語の longing にあたる意味の他、"weariness, sadness, dejection" (もどかしさ,哀しみ,落胆) というニュアンスもあったようである。

これは、日本人の抱く「恋」のイメージにかなり近いのではないか。

「恋」の英訳としてはこれまで、"love at first sight" (一目惚れの愛) や "the beginning of love" (愛の始まり)、あるいは "one-way love" (一方通行の愛 ≒ 片思い) というものを聞いてきた気がするけれども、

恋は一目惚れから始まるとは限らないし、それが愛に発展しないこともある。またお互いが恋し合っている状況もあるので、一方通行とも限らない。

そういった二人の間にある関係や結ばれた後の結果ではなく、恋とはむしろ、それまでの過程で個人が感じる「あの人に会いたい」という至極純粋で私的な感情を表す言葉なのだろう。

『万葉集』の中には、「こひ」に当てる漢字として「恋」だけでなく「孤悲」というものも見られるそう。やはり「恋」する感情の焦点は、独り悲しむ個人の心ということか。

リービ英雄が『万葉集』を翻訳する中で辿り着いた longing という言葉は、「『恋』を英訳するとして」という問いに対するひとつの答えなのではないだろうか。

日本人の根底にある感情の機微を理解するのに、古典にあたるのはいい方法かもしれない。こうした話を読んでいて、『万葉集』が読みたくなった。

「初春の令月にして気淑く風和」ぐこの時代には、それもおあつらえ向きだろう。


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