#86. 信じることは、愛することか
「信じる」の believe と「愛する」の love は、語源の上でつながっている。
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現代英語の believe は、むかしの英語(古英語)では belyfan などとつづられており、これをさらに(英語やドイツ語などの祖先である)ゲルマン祖語までさかのぼっていくと、もともとは *ga-laubjan という単語が大元であるとされている。
この *ga-laubjan は、(ユーラシア大陸の多くの言語の祖先)インド・ヨーロッパ祖語の *leubh- という語に *ga- という接頭辞がくっついたもの。
そしてこの *leubh- という要素こそが、「気にかける,欲する,愛する」という意味を持ち、のちに現代英語の love につながる部分である。
*leubh- → *lubojanan → lufian → love
↘ *ga-laubjan → belyfan → believe
見かけの上では、believe の "-lieve" の部分が love と同語源ということになる。
ここで気になるのは、believe の残りの "be-" の部分、すなわち元々ゲルマン祖語の *ga-laubjan で、love を意味する *laubjan にくっついていた接頭辞 *ga- は、どういう意味を持っているのかということだろう。
接頭辞には、その後ろに付く部分(語根という)にさまざまな意味を付け加える役割がある。たとえば impossible の "im-" や unexpected の "un-" はそれぞれ、possible と expected に否定の意味を加えているし、post-corona の "post-" のように「~の後の」という意味を加えるものもある。
では、*ga-laubjan の *ga-(つまり believe の "be-")はどういった意味の接頭辞かというと、これは「強意の接頭辞」。
「強意」とは読んで字のごとく「意味を強めること」で、日本語でいえば「とても~」や「めっちゃ~」、「超~」などが強意語と呼ばれるものである。
*ga-laubjan の *ga-、believe の "be-" が強意の接頭辞であるということはつまり、believe(信じる)というのはある意味 love(愛する)の意味を強めたもの、すなわち「強く愛すること」であるというような感覚が、むかしの人にはあったのかもしれない。
たしかに、だれかを「信じてみよう」と思うとき、「愛している」とは言わないまでも、その人を一心に思う気持ちは、決して弱いものではない。
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だれかを「強く愛すること」が、その人を「信じること」になる。
ということは、だれかに対しての信頼を失ったとき、その人に向けて抱いていた愛情も消えている ...... ?
単語の後ろに眠る歴史と、そこに見え隠れする先人たちの発想に、さまざまなことを教えられている毎日である。
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