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【今の私ができるまで⑥】食わず嫌いを卒業し、「人の役に立つ」ことに生きがいを感じた大学生

ども、にこさんです。

アイキャッチは、大学2年生の時に、家族から「お前は海外にいけ!!」と背中を押されて行った欧州での一幕。川があれば石を投げる。鉄則ですw
この旅に行くまで、私は「言語の通じない国に行きたくない症候群」でした。つまりは海外を自ら遠ざけていたのです。
正直フライトが終わり、街の中を歩いているときは不安でしょうがなかったですが、旅が終わる頃にはすっかり好きになっていたのでした。
改めて両親・家族に感謝です。

そんな食わず嫌いをブレイクしたことも含め、貴重かつ一瞬で通り過ぎた大学生活を振り返ります。

1年のみ自宅から通学(片道3時間ですよ・・・)、2年から卒業までは一人暮らしという過ごし方でした。
通学はもはや毎日が旅行。通学定期も最短経路ではとても高く、少しでも家計の負担を減らすように、超遠回り&徒歩も含めて通学に3時間かけて通っていました。(朝6時に家出て、帰りは終バスの23:00すぎ。すごい1年生w)

大きく動いたのは「はじめて実家を出て一人で暮らす」ということにチャレンジしたこと。これはもともとやりたかったことの一つでした。誰の助けもなく(家賃は甘えましたw)、自立した生活。衣食住、どうすれば良いか。金欠の学生はやはりアルバイトから学ぶことが多かったです。

「できないことをやろう」と決めて飛び込んだのは、完全未経験での「キッチン」。都合3年間、業態を変えて続けてきた結果、「料理をする」ということにいっさいの抵抗がなくなりました。今でもクックパッドアプリは月額で利用させていただいております。
(実はこんな記事も出てますw)

それにもまして取り組んだのは、「友人の手伝い」。何かと便利屋気質はこの頃からかもしれませんが、本当に気心知れた野郎ども(本当に男たちです)20人くらいで、研究室違えど、みんなそれとなく集まり、いつも行動をともにしていました。この時の仲間たちが本当に最高でした。

手伝いはというと、ここは何かと根っからの真面目気質が出て・・・いわゆる「勉強を教える」というものでした。必修科目をことごとく落としてしまう仲間達(全員ではありませんよ)。卒業ギリギリまで「ニコチン(当時のニックネーム)!!どうにかしてくれ!!」とよくせがまれました。
(私は早々に単位を取り終えていましたよw)

自分で言うのもなんですが、かなり熱心にやったと思います。今だから言いますが、課題も、本人よりも多くの割合(もしかして全部?w)をやってしまっていたものもあった・・・のかも。
しまいにゃ早めに出した自分のものより評価がいいものも出てきて、胸中複雑でしたw
やった後には友人からの感謝の言葉。そこが「人の役に立つ」ことの喜びを強く感じた原点だったのかも知れません。

さらにそこで思ったのは、「それだけ同じ課題に対して取り組む機会が自分にあった」と言うこと。確かに提出してから訂正を求められると、その都度まっさらからやり直さねばならないと言うことがありましたが、その点すでに自分は課題を終えていましたので、その後やることというのは「プラスアルファ」です。自分の力となっていくことをメキメキと感じました。PDCAを回しながら、対策を練り、試行錯誤する。気づけば、最初3日間かかっていた課題が、最後には3時間で書き終えていました。(製図です。土木・都市計画系出身です)
それって、すごい成長ですよね。(めっちゃプラスに捉えてる!!)

ゼミ長として3年4年をまとめ、時には学科を巻き込んだ懇親イベントを企画・運営したり。この頃から、「人から頼まれる」「自ら飛び込む」「みんなとワイワイする」ということを前のめりで行っていくという今の素養は見えてきていたのかも知れません。

戻れるなら戻りたいなぁ。あの頃に。

バイト先を含め、かなり恋愛してたことは内緒です笑
(フラれてばかりですけどね!!(TдT))


では続き(大学生:就活編)はまた明日。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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