【短編小説】秋、即身仏になりかけた女

 ――秋。
 今、わたしの頭の上に、一つのトマトが乗っている。ミニトマトではなく、トマト。一般的に市場で見かける赤くて大玉の、〈桃太郎トマト〉。岡山県産。
 それから左耳の穴にはインゲンが三本突き込まれており、右耳の穴には四本のインゲンが突き込まれている。ドジョウインゲン、あるいはサヤインゲン。つまりインゲンと聞いてだいたいの人がまず思い浮かべる筈の、いわゆるインゲン。千葉県産。
 口には群馬県産のキュウリを一本咥えている。あまり強く歯を当ててしまうとキュウリが傷ついたり最悪折れてしまうので、少し受け口にして、歯というよりは、唇とベロでキュウリを支えている。キュウリを地面とほぼ平行の角度で保つよう指示されており、わたしはその指示を忠実に守っている。
 左肩には桃(岡山)が、右肩には紫のナスビ(群馬)が、それぞれひとつずつ乗っている。桃が安定しないので、左に首を傾げて頬と肩で挟むようにしている。更に、左手に真っ赤なパプリカ(中央アメリカ)を掴み、右手にはオレンジ(カリフォルニア)を持っている。
 服装に関しても一応言っておくと、普通に制服だ。高校の制服、半袖のセーラー服。
 運動公園の中の、いちょう並木の道と桜並木の道が十文字に交わるところ、喫煙所近くの石のベンチにわたしはひとり、今述べた状態で座っている。
 かれこれ一時間ほどこの状態で放置されている。
 人々が行き交う。子どもがわたしのことを指さして、それをママがやめさせた。何匹か、犬が匂いを嗅ぎに来て、飼い主がそれをやめさせた。わたしは子どもにも犬にも無反応。動けないし、キュウリのせいでしゃべることもできない。いちょうの落葉で視界はちらちらと黄色い。
 何でこんなことになってしまったのか。

 三日前の二限と三限の間の休み時間に、
「藤原(というのがわたしの名字)さん、ジュゼッペ・アルチンボルドって知ってる?」
 と、近藤君は話しかけてきた。わたしは近藤君のことが死ぬほど好きだったので、話しかけられたことが嬉しく、ジュゼッペなんちゃらというのは初耳だったけど、多分画家の名前なんだろうとは検討をつけて(だって近藤君は美術にしか興味がないんだ)、
「ジュゼッペ? ああ、いいよね。割と好き。近藤君も好きなの?」
 とつい知ったかぶって答えていた。
「うん、最近よさに気付いたんだ。それでさ、今度の土曜日、暇?」
 ! 来たのでは? これは来たのでしょう。デートに誘われようとしているのでしょう? というか、でしょ。それしかないでしょ。でも暇暇暇暇! なんて言うのはがっついてるみたいになってあれなので、ドキドキする心臓に手を当てたいのも我慢しながら、
「土曜か~。うん、まあ、暇っちゃぁ暇だけど、何で?」
 デートする? 映画行く? ああ近藤君のことだから美術館とか? っていうかそっかジュゼッペの展示会とか近くで開催されてるのかな? 話の流れ的に開催されてるんだよね? ジュゼッペなんだよね?
「俺さ、今度の高校生コンクール、ああいう感じの油絵で、挑戦してみたいなって思ってて、でもモデルを頼めるような人、他にいなくてさ」
 ああ、そっちか。なるほど。ちょっと思ったのとは違ったけど、まあまあまあ、要するにそれはそれでデートみたいなもんだしいいよ、やる、わたしモデルになって上げる。
「えぇぇぇモデルなんてわたしできないよぉ。こんなふとっちょだし」
 太ってなんかないよ、と言ってくれるかなとも思ったけどそれは言ってくれず、
「太ってるのは大丈夫。ほんとお願い」
「ええー。太ってるもん」
「うん。太ってる人がいいんだ」
「でも太りすぎだよ・・・・・・」
「そんなことないって。ちょうどいい太り方なんだよ、頼む!」
 結局太ってないとは言ってくれなかったけど、一応太りすぎ、→そんなことない、とは言ってくれたのでこの辺でわたしは引き下がる。
「じゃ、やってあげるよ。モデル」
「マジ助かる!」

 というわけで、土曜日、星丘台地公園に朝九時集合、石のベンチに座ったわたし。
 近藤君はエコバッグに持参したトマト、インゲン、キュウリ、桃、オレンジ、パプリカ、ナスビをそれぞれわたしの色々な所に配置して、わたしがくすぐったくて「やん」みたいに身もだえたりすると真顔で「動かないで」みたいなことを言って来たり。十時過ぎにはすっかりわたしはジュゼッペ。っていうか、これ、ジュゼッペじゃなくない? と伝えたくもあるけどキュウリのせいでわたしはしゃべることができない。
「うーん。いい感じなんだけど、何か足りないんだよなぁ」
 と近藤君は真剣なまなざしで首をひねっている。土曜の区立の運動公園。人通りはまあまあある。わたし達(というかわたし)はかなり注目を集めていると思う。恥ずかしい。けど、近藤君と二人で注目されて、傍目には高校生カップルのように見えているのだろうと思うと悪くない気もする。それに、今日、本当にわたし達はカップルになるかも知れないのだ。わたしは今日、告白するつもりで来ているのだ!
「まぶたとか頬が、すっからかんなんだよなぁ。レモンスライスとか、キュウリスライスとか張ればいいかな。でもキュウリはかぶっちゃうからだめか」
 と近藤君は言っていて、わたしはそういう問題じゃないよ! と叫びたいけど、キュウリを落とすとまた真顔で怒られるので、目だけで気持ちを訴えようとするけど近藤君には通じない。
「ちょっと、スーパー行って、色々買い足してくるわ。そのまま待ってて。絶対動かないでね」
 と近藤君は言って、公園の西側の出入り口の方へ駈けてった。それから一時間、わたしは近藤君の帰りを待っている。

 というのは、本当は、嘘。
 わたしはもう彼が戻ってこないということを知っている。だって西の出入り口に駈けてった近藤君は、途中で謎の美少女、ではなくて、同じクラスの美少女、伊藤ミカちゃんとばったり出会して、わたしは遠くの景色としてそれを見ていたに過ぎないから会話の内容までは分からないけれど、なんだか一瞬深刻な間があった後、近藤君がちょっと自分の頭を掻くような仕草して、ミカちゃんが二、三度ぴょんぴょん飛び跳ねて、すごく嬉しそうに近藤君に抱きついて、近藤君も抱き返して、ぴったりしっとりくっつき合っていて、つまり二人は付き合い始めたのだろう。
 
あれがわたしの幻覚でなければ。
 ・・・・・・幻覚の可能性は高い。だっていくら何でも、わたしにモデルをさせた状態、それも普通のじゃなくてジュゼッペさせた状態で、放置して、他の女の子と付き合い始めるなんていうことが、現実に起きる可能性と、全てがわたしの幻覚であるという可能性、この二つを冷静に検討してみれば、常識的に考えて後者の方が可能性高いでしょ。。幻覚だったに一票。この投票に参加しているのはわたしひとりなので、満場一致の可決。。。ハイ決まっちゃいましたぁ幻覚で決まり~。なのでわたしはトマト乗せて、インゲン刺してキュウリ咥えて近藤君を待ってる。いつまでも待ってる。そしてわたしは即身仏になる。

 筈だったのだが。

 ハア、ハア、すんすん。っはぁ。はぁ。すんすん。
 
 という息づかいとともに視界の左端に何か白っぽい気配。   
 犬かな? 白い大きな犬が来た、と思ったらそれは白装束を着た女のヒトで、ああ、変な人に目を付けられちゃったな、でももしかしたら、わたしの方が変な人なのかな、、、ひとり投票して、可決して、きゅうり、咥えて、インゲン・・・・・・、刺して、桃を。。オレンジを。。。変なのはわたしなんだとそろそろ泣こうと思ったときに、その犬のような女性がわたしの咥えてるキュウリの反対側をほむ、と咥え、。キュウリを挟んで見つめ合う。え? ポッキー?
 と言おうとしてわたしが口を開けると、犬のような女性は、キュウリを咥えたまま、「あぁぅぉいおぃ」
 と言った。そしてその目が一気に。。人の泣き顔をこんなに間近で見たのは初めてのことだった。
「え? 何ですか?」
「あはぅよ」
 わたしは失礼にならないように、「あの、抜きますね」と一言添え、犬のような女性の口から丁寧にキュウリを引き抜いて、初対面の大人の口からキュウリ引き抜く感触にちょっとぞわっとしながら、もう一度、なんですか? と尋ねた。
分かるよ。気持ち
 とまっすぐの目ではっきり言った。つぶらな瞳だった。なんだか本当に分かってくれてるような気がした。果物と野菜がわたしから全部落ちて散らばった。
 わたしはわんわん泣きながらその白犬のような小さな女性の綿生地の胸のあたりに遠慮なく涙を染ませた。その間女性はわたしの背中をめちゃくちゃにこすりながらわたしよりももっと泣いていた。
 それからキュウリとトマトと桃とオレンジ、公園の水道でちょっと洗って二人で分け合って食べた。

 帰宅してスマホ見たら【ごめん、急用できた。悪いけどもう帰っていいよ。果物と野菜は上げる】と近藤君からメール入ってたけどなんかそれはもうどうでもいいや。

 後で知ったことだけどあの白装束の女性は、「練馬の犬女」とか「痴女」とかって言われてる人で、SNSとか掲示板とかで結構有名人らしい。でもわたしにとってはそんなこともどうでもいい。わたしのキュウリの向こう側を咥えてくれた唯一の人。一緒に泣いてくれた人。泣かせてくれた人。会話はあまり通じない気もしたけれど、また会えるといいな。みんなが彼女のことをどう言ってようとわたしは大好きに一票、可決。
 了

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