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世界設定資料集 2.3 認識


 世界をありのままに認識することはできない。人間が認識できるのは、人間の感覚器官を通して知覚できる範囲だけだ。その狭い範囲を人間は現実だと思っている。

 例えば赤外線まで網膜で捉えられたなら、世界はもっと透明で、温かい紅茶は仄かに光を放っていたかもしれない。その世界こそが現実であり常識であり真実であると思っていたかもしれない。

 知覚した情報はさらに脳あるいは精神のフィルターを通って意識の舞台に上がることになる。先入観や欲によって、見たいものしか見えなくなる。あるいは恐れのあまりそこにないものまで見える。

 また知覚や脳は簡単に誤作動するものでもある。目の錯覚で短いものが長く見え、人工甘味料に砂糖のような甘みを感じ、患部とずれた位置が痛くなる。少しの薬品や酸素の不足や単純な疲労でも普段のような判断ができなくなる。

 そうした穴だらけの情報を基に、人は自らの内部に世界を構築する。それは本人としては外側の世界を正確に写し取った模型だが、実のところかなり偏っていてファンタジーが入り混じっている。この内側の世界像がその人の感じている現実そのものである。これまでの経験において傷付けられることが多かったり辛いことにばかり注目してしまっていたりすればその人の内部世界は冷たく危険なものだろうし、その逆であれば安全で優しさに満ちた世界かもしれない。

 しかし、世界像は一度出来上がったら終わりではない。新たに知覚された情報と照合され、より外側の現実に近いものへと常に修正され続けるものである。

 したがって、世界は辛く厳しいものだと思っている人であっても、温かみをもって接してもらえる環境に身を置いたり、世界を見る角度が変わったりすれば、内部世界の色彩が変わる可能性はある。偶発的な出来事によって全く予期しない方向に変わっていく可能性だってある。

 世界にはまだ知らない側面がいくらでもある。我々は世界の断片しか知ることができないからだ。人はそれぞれ外部世界の異なる側面を見て、それぞれ異なる現実を生きている。誰の世界も間違っているし、誰の世界も正解である。

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