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毎日が修行であってほしい

 修行という言葉は魅力的だ。修行と名付けられた瞬間、苦難はただの苦しみではなくなる。避けるべき苦痛が、乗り越えるべき試練に変わる。耐え抜くことに意味が与えられる。

 出口があると知っているから陰気なトンネルも歩いて行ける。報いがあると信じられるから努力できる。

 楽しいばかりではない日々を生き抜くことが修行だとしたら、到達点はどこだろう。この山を登った先に何があるというのだろう。道は霧に消えている。登ること自体を楽しめないなら、山頂に希望を見出すしかないというのに。

 あるいは山登り自体を好きになることが成果として得られるものなのかもしれない。霧の中に光を幻視しながら力尽きる幸せもあるのかもしれない。その先に何があるのかわからなくても、必ず何かがあると信じて歩み続けるしかないのかもしれない。

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