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「退屈」は贅沢な感情
何もしていない、イコール退屈、ではない。高熱で寝込んでいる時に退屈なんて感じない。
疲れて傷付いている時に退屈なんて感じている暇はない。何も生産的なことをしていないように見えても、体と心は自己修復のために全力で働いている。
手持ち無沙汰になって、スマホを手に取る。
退屈だから?
本当に?
暇に怯えているのではないか?
意識の空白に侵入してくる、未消化のタスクからの脅迫、不快な記憶、後悔、自己嫌悪。来てほしくない明日。嫌なものに付け入る隙を与えないため、楽しいとされている刺激を詰め込む。
疲れた脳をさらに疲弊させ麻痺させる。傷口の周りに針を刺し、傷の痛みから注意を逸らす。
本当に必要なのは休息だ。安全な暇だ。退屈を感じ、新しいことを始めたくなるまで、疲れて傷付いた僕らには暇が必要だ。
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