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『そうだ、ミニマリストになろう。:不便さを受けいれる』

断捨離界で永遠に続く絶対的なお題とは、とどのつまり「何を基準に処分するか?」なのだと思う。ときめくかどうかという精神的なものから、使う頻度という合理的なものまで、いろいろあるけれど絶対的な正解はなく、自分にとってピンとくるものを「マイルール」にしてやっていくしかない。

それでも、その時の気分でぶれるし、「いや、確かにこの3年一度も使ってはいないんだけど、やっぱりどうしても捨てられない」モノもある。

つまりは、仮置きのルール。

さて、私自身、もう何がマイルールなんだかよくわからず、どうせきちっとしたものを決めたところで厳守できないだろうし、なんとなく「使ってないもの」「無くても困らないもの」「気に入ってないもの」を手放すようにしてやってきた。

究極的には「本当に好きなモノをひとつだけ」にしたい。が、場合によっては「複数ないと不便で困る」モノや、「それほど気に入ってはないけど使っている」モノは、キープしている。

だけど最近思うのは、こういう「捨てると、ちょっとは困るかも」というモノまで手放さないと、ミニマリストにはなれないんだな、ということ。

つまり「時には不便を感じる(が、何とかやれない事は無い)」というところまで踏み込まねば、ミニマリストの壁を越えられない。

今まで処分した中でこれに当たるのはヤカン、コーヒーメーカー、プリンターなど。年に数回、「やっぱ買いなおそうかな」と思ったりはする。だが、その気持ちの嵐が過ぎれば、「まあ、いっか」で落ち着いたりもする。

「あって当然」と思っていたから手放さずにいたけれど、なければないで工夫して乗り切れないこともない。それをゲームのように楽しんでいくこと。

思えば、たいていの不便さは買えば解決はするのだけれど、最近まで(例えば戦前とかね)存在してなかったモノは結構ある。それでも人々は生活してきたし、おそらく自分もやっていけるのだろう。年に数回の不便さぐらい、受け入れてみるか、と思ったのでした。

今日処分したのは、こちら。塵取り。ほうきと柄がセットだったのだけど、汚れた個所をこするのに使った濡れペーパータオルで、一緒のゴミも拾い上げることに。やってみたらまったくもって問題なかった!というわけで、ほうきのみキープすることに。

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ところで、ヤカンとコーヒーメーカーを処分したのは、家で温かい飲み物を飲む習慣があったのは私だけで、コーヒー断ちをしたかったから。カフェインが欲しいときは、電子レンジでお湯を沸かし紅茶を淹れてました。

それでもどうしてもコーヒーが飲みたいときにはコーヒーショップまで運転していくか、あるいは、近所のガソリンスタンドへ散歩がてら出かける。

ガソリンスタンド?へ?

と思うかもしれませんが、アメリカのガソリンスタンドにはだいたいコンビニ的なお店があります。日本よりももっと品ぞろえが偏っていて、メインはお菓子やスナック(チョコバーやクッキー、ポテトチップスなど)、後は水や炭酸飲料、コーヒーの飲み物。お店によってはビールなどのお酒を扱ってるところもあります。

もともとガソリンスタンドのコーヒーっていわゆる「アメリカンコーヒー」で、出がらし風、薄くてまずくて飲めたものじゃなかったのですが、最近はコーヒーに力を入れるお店も出てきました。

コーヒー1杯のためにわざわざ外出ってめんどくさくはありますが、まあ、カフェインを減らすこともできるし、そんなに大変でもない、ってとこです。

つい最近オープンしたガソリンスタンドがあったので、先日立ち寄ってみました。

右がコーヒー売り場。

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左の棚は全部甘いお菓子。

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こちらの棚はチップス類。

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サンドイッチぐらいはおいているところもありますが、生鮮食品はかなり少なく、日用雑貨もペーパータオルや頭痛薬など、運転中にどうしても必要になるものがメインですね。雑誌や文房具はほとんどなし。

オリンピックで東京に派遣された記者が「感染対策で競技会場とホテルの往復ばかりだったが、なんでも揃ってる日本のコンビニに救われた、日本のコンビニバンザイ!」という記事を書いてました。

むっちゃよーわかるわぁ。

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