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コモディティとブランド ~代替化か差別化か…?~

代替できる画一化されたもの、コモディティ
代替できない唯一無二のもの、ブランド

代替ができる、スペアがある、マニュアル化…。
どこで買っても同じ「モノ」や「サービス」。

代替ができない、即興的でアドリブが利く…。
そこでしか手に入らない「モノ」。
その人ならではの「サービス」。

本記事では、この二つの考えについて
考えたことを書いてみます。

まず、語源や定義を確認しましょう。

コモディティ、commodity。
経済学では
「完全または実質的な代替可能性を持つ
経済的価値またはモノまたはサービス」。

15世紀には英語ですでに使われていた。
「快適さ、利便性」というフランス語の
「commodité」から来ており、元々は
ラテン語の「commoditas」から派生。
「適合性、利便性、優位性」の意味です。

便利と言えば、コンビニ、ですよね。

日本全国どこに行っても、
基本は同じモノとサービスがある店。
コンビニの店員さんなら、
基本は全国共通のマニュアルに従って
接客をしてくれます。
(もっとも最近は「差別化」されている
コンビニも増えてきていますが)

その行き過ぎたマニュアル化、
コモディティ化をテーマにして、
村田沙耶香さんが『コンビニ人間』
という小説を書きました。
2016年に芥川賞を受賞した作品です。

一方のブランドはどうか?

英語ではbrand、直訳すれば「銘柄」。
元は牧場の所有者が家畜などに施した焼印、
北欧の言葉に由来しています。
競合他社(他者)のものと区別、差別化する。

「これは私ならではのもの」と主張する。
「ブランド物」「セルフブランディング」など、
そういったものにもつながる言葉。
要はその物「でしか」味わえないもの。
その人(場所)「でしか」できないこと。

例えば「シャネル」など。
ファッションに疎い私ですら知っています。
人のイメージでは
大谷翔平選手や藤井聡太八冠。
唯一無二。誰も真似ができない…。

さて、ここから
この両極端に見える「コモディティ化」と
「ブランド化」について考察します。

まず「二者択一」ではないと思いました。
すべてのものがコモディティの要素を持ちつつ
ブランドの要素も持っている。

例えば「製鉄」という技術は、当初は
門外不出、秘密の奥義のような
「唯一無二のブランド」でした。

古代トルコに「ヒッタイト」王国があります。
炭を使って鉄を鍛造し、鋼にする技術。
これを発展させて「鉄器文化」をつくった。
鉄の武器で武力が格段に上がり、
エジプトなどの強国とも渡り合う。
まさにヒッタイト・ブランド!

(篠原千絵さんの名作漫画
『天は赤い河のほとり』などには
詳しく描かれています)

しかし紀元前1200年頃に、
「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる
社会変動が起きまして、
海の民の襲撃によって滅亡する。
ヒッタイトの製鉄の秘密が
周辺の民族に知れ渡ってしまう。

便利なものはどんどん伝播するものです。
紀元前800年頃からは中央アジアのスキタイ、
アフリカでは紀元前五世紀頃に
ナイジェリアで溶鉱炉を使った痕跡があり、
中国でも殷代にはすでに鉄器が使われた。
春秋戦国時代(『キングダム』の頃)には
さかんに鉄製の武器がつくられています。

…このように「ブランド」として
唯一無二のものであっても、
優れていれば秘密が暴かれ、模倣者が現れ、
普及し、「コモディティ化」してしまうもの。


人の「スキル」もそうです。

今は大谷翔平選手も
藤井聡太八冠も「無双状態」ですが、
考えてみれば昔はベーブ・ルース選手や
羽生善治さんが大活躍していた。

特定の人物「だけ」が未来永劫、
活躍するということはない。
「追いつけ追い越せ」とばかりに
次世代の選手や棋士が頑張る。
憧れを捨て、対等に渡り合えるよう挑戦する。
その技術を探り、取り入れ、模倣する…。

もちろん、誰にでも簡単にはできない
スキルと思考と精神を身に付けているから
大活躍をしているわけですが、
「二刀流」も「AI活用」も
それ自体は模倣が可能なもの
なのです。

このように考えていけば、
「ブランド、唯一無二のものであっても
コモディティ化はされうる」
「コモディティ化したものであっても
極限まで突き詰め強みにすれば
ブランドとして成り立つ」とも言える。

二者択一、二極分化ではない。
区切りの無いスペクトラム状態で
「両方の要素を持つ」…。


さあ、そう考えていきますと、

世の中のものにはすべて
「コモディティ化『しやすい』要素」と
「ブランド化『しやすい』要素」とが
混在している
、とは思いませんか?

例えば「過去の決断」「体験」などは
他者や他社に模倣されにくい。
唯一無二っぽい要素です。
商品や会社の「沿革」や人の「経歴」などは、
他のモノや人にはないストーリー、
ドラマを秘めている。

対して「歴史の教訓」「失敗談」などは
模倣して活用をすることができる。
誰にでも当てはまりやすいから。
『しくじり先生』の失敗を抽出して
応用できるものに昇華することにより、
「誰にでも役に立つ」便利でコモディティな
ものに変容させ、実用させられる。

具体的な「モノ」「ビジネス」でも、
この考えが援用できます。

例えば「マクドナルドハンバーガー」
どこにでも手に入る食材で作られています。
ですが同時にブランドとして確立している。
あの恐ろしいほどの提供速度のシステムは、
まさに唯一無二。
「ユニクロ」もそうです。
どこにでもあるコモディティに見せて、
ブランドとして立派に確立している…。

「マニュアル化しなきゃいけない」
「差別化が大事」と、どちらかだけを
両極端に決めつけるのではなく、

まずは有している要素を分解、
どれがコモディティ化しやすいのか、
どれがブランド化しやすいのかを確認し、

「この部分は」他人に代替させ、
「この部分では」唯一無二の存在を目指す…。


そのような合わせ技をこそ
「外の目」で考えることが重要だ
と思います。
コモディティ化されやすい部分は、
手伝ってもらいやすく、外注もしやすい。

自分では「唯一無二」のものが
外から見れば実はありふれたもの、
ということはよくあります。
逆に「取るに足らないこと」が
他人にとっては実はレア、
ということもよくあるものです。

最後に、まとめます。

本記事は、コモディティとブランドという
考えから書いてみました。

コモディティの経済上での欠点は、
他でも手に入りやすいので、
「買い叩かれる」「捨てられる」こと。
ブランドの経済上での欠点は、
他では手に入らず、イメージ先行がゆえに
「休みにくい」「縛りがある」
「下手は打てない」
こと。

読者の皆様は、どんな要素を見出し、
どう打ち出していきますか?

それ、本当に自分にしかできないことですか?
それ、本当に他人にもできることですか?

※大谷選手と藤井八冠の共通点の記事も、ぜひ↑

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