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とある会社で引継ぎを受けた時の話。

やたらと複雑な手順…。
その人でないとわからないような方法…。
いわゆる「属人化」している仕事が、多かった。

「なんでこんなにその人に特化したような
仕事の仕方をしてきたのだろうか?」
「標準化(マニュアル化)して
くれれば、手間も省けるのに…?」

引継ぎを受けた側の私は、
その時は、よくわかりませんでした。
ですが、いざ自分がその仕事を担当
していく中で、気が付いたのです。

「…もしや、あの人は
自分でしかできないように仕事を
あえて属人化させることで、
会社から解雇されないようにしたのでは?
保身のために属人化させていたのでは」と。

会社からすれば、
その人でないとわからない案件なので、
いなくなる=案件が消える、につながる。
ゆえに、その人を辞めさせづらくなります。

…こういうことは、
「組織」にとっては害悪ですよね。しかし
「個人」にとっては保身、防衛手段、
生き残るための生存戦略
、とも言えます。

どちらの観点に立つかによって、
善と悪が立ち替わる問題です。
なかなかに、複雑な問題。

「組織側」、会社側に立てば
仕事の過度の属人化は避けたいところです。
「情報の共有」を図り、
「組織の財産」としてストックし、
「他の人でもできる」ようにしないと、
いざ何かあったときに会社として対処しづらい。

ところが、

「個人側」の観点に立った時には、
「替えが効く」=誰でもできる=お払い箱になる
という考えが成り立ってくる。
「自分でないとできない」という仕事を
増やすことによって、自分の身を守っていく。

自分をこそ、頼ってほしい。
すぐに首をすげかえることは、しないでほしい。
契約打ち切り、お払い箱に、しないでほしい。

…この「属人化」と
「標準化(マニュアル化)」との
せめぎあいは、どんな組織/個人でも
起こりうる問題、です。

ではここから、問題をもっと鮮明にするために、
「標準化(マニュアル化)され尽くしている」
仕事のことを考えてみましょう。

例えば「コンビニ店員」のお仕事。

コンビニ店員の業務には、マニュアルがあります。
それに従って、業務を行います。
「代替可能」が基本ですよね。
誰でもできるように、工夫されている。
勝手にレジ打ちや品出しの手順を
「属人化」されては、成り立たない。
「ああ、お支払いはツケでいいですよ!」
なんてことは、勝手には言えないわけです。

組織側(経営側)としては、
いつ何時でも首をすげ替えられる。
代替が効く仕事
、です。

個人側(店員側)としても、
いつ何時でも首をすげ替えられる仕事だと、
割り切ってやっている(はず)。
逆に、自分にしかできない属人化した
仕事だと、シフトを変わってもらえない。
バイトを辞めることもできない。
不自由、になりますよね。

では、その真逆のケース、
「属人化され尽くしている」
仕事のことを考えてみましょうか。

例えば、芸能人や俳優さんのお仕事。

『半沢直樹』は(今は)堺雅人さんが
演じるからこそ「倍返しだ!」という
セリフがしっくりきます。
これが違う人が言うと、
「コレジャナイ感」が漂ってしまう。
(何十年か先はわかりませんが)

ですが、制作側としては、
「その人にしかできない」という
代替の効かない不自由感
が出てきます。
その人のスケジュールに、左右されてしまう。
その人が来ないと、仕事が始まらない。

個人側、俳優側としては、
「私がいなきゃ始まりませんよね?」と
責任感と主導権を持つことになる。
特に大河ドラマや朝ドラなどの主演の
ロングスパンのお仕事は、そうです。

もちろん、何かのアクシデントで
演じることができなくなった場合は
「代役」ということも考えられる。
しかし、その代役がうまくハマらない場合、
仕事自体が立ち行かなくなることもあります。
脇役やモブなら、誰でもできるかも。ですが、
主演となると、なかなか代替は難しいのです。

ここで、ドラマ『相棒』を思い浮かべて下さい。

主人公たる右京さんは、やはり、
水谷豊さんでないと、しっくりきませんよね。
「属人化」の極致です。
しかし「相棒役」は、けっこう替わっている。
「標準化(マニュアル化)」とまでは
いかないかもしれませんが、
「相棒」でさえあれば、どんなキャラでもいい。
代替は、効く。
(しっくりくるかどうかは別として…)

もう一つ。『水戸黄門』を思い浮かべましょう。
(ネタが古くてすみません)

東野英治郎さん、西村晃さん、佐野浅夫さん、
石坂浩二さん、里見浩太朗さん、武田鉄矢さん…
このように、黄門演者が移り変わっています。
それぞれの味のある演技がありましたが、
代替が効くのは、やはり
「黄門マニュアル」がしっかり確立している、
「役柄」「やること」「立ち位置」が
明確になっているから
ではないでしょうか。

助さん役、格さん役も、同じですよね。

しかしながら、「お銀」「弥七」「八兵衛」
などは、代替が効きにくい。
なぜなら、この役は「属人化」がかなり
進んでしまっていたから。

さあ、これらの事例をもとに、
本記事をまとめていきましょう。

◆「属人化」
=顔が見える、特定の人ならではの仕事。
◆「標準化」
=顔が見えない、誰でも代替の効く仕事。

これは基本で、しかも組織と個人の
どちら側に立つかによって違うのですが、

それぞれのデメリットを踏まえて、
その対応策を考えておく必要がある。
組織も、個人も。

組織にとって、「属人化」のデメリットは
◆組織の財産にならない
◆個人の代替が効かない
=人事的に不自由になる
が挙げられます。

個人にとって、「属人化」のデメリットは
◆自分がいないと始まらない
◆休めない、すぐに辞められない
=行動的に不自由になる
が挙げられます。

組織にとって、「標準化」のデメリットは
◆役柄やマニュアルの固定・制作コスト
◆マニュアルから抜け出せない
=創造的な仕事をしてくれない
が挙げられます。

個人にとって、「標準化」のデメリットは
◆すぐに首を斬られる危険性
◆他の人でもできる仕事に変える手間
=他人の能力を想定する手間
が挙げられます。

これらを踏まえて、
どのように組織と個人は動いていくべきか?

どれが善で、どれが悪とは言い切れない。
ケースバイケース。
ことに、相手によって左右される
仕事にとっては、正解など、ありません。
相手にとっては、属人化だろうが標準化だろうが
仕事さえしてくれればいいような
コンビニ店員的な業務、かもしれないし
「やっぱり黄門様は西村晃だよね!」
と思い込んでいるかもしれないのですから。

さあ、読者の皆様の
今やっているお仕事はどうでしょう?
標準化されたお仕事ですか?
属人化した、あなたならではのお仕事ですか?
その混在? ケースバイケース?

読者の皆様の組織ではいかがですか?
標準化、属人化、どちらの仕事が多いですか?

そんなことを、『相棒』が十四年ぶりに
「亀山薫」こと寺脇康文さんになる
、という
ニュースを読んで、考えてみた次第です。

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