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開く/漬ける ~活け造りと南蛮漬けと情報加工~

「開化(かいか)と閉漬(しめづけ)」
という言葉を使って
日本史を解釈した記事を先日書きました。

かいつまんで書けば、島国である日本史は、
◆「オープン&チェンジ」=開化
◆「クローズ&ピクルス」=閉漬

を繰り返してきたのでは?という視点。

ただ、考えてみますと、
「国のようなマクロの素材だけでなく
個人のようなミクロの素材にも
これは当てはまるのでは…」とも思った。

個人のキャリア。家族という集団。
会社という組織。地域という共同体。


これらも、時にはオープン、
時にはクローズ
、反復横跳びをしながら
徐々に変わっていくのではないか?
それが変わっていく生き物、人間…?

集団であっても「人間」が基本である以上、
時には社交的、時には内省的になりますよね。

ただ「全振り」し過ぎていると
デメリットもまた大きいのではないか…?
バランスよく使うことが、大事。
オープンとクローズ。「開化」と「閉漬」。
特に、情報公開という点において
その違いは顕著にあらわれていく。

概論的に、まず書いてみます。

「なんでもオープン! 隠すことなし!
すべて思ったことは言っちゃうよ!
俺は正直者。王様は裸! 俺も裸!」

という、主観的なオープン全振りな人と、

「は? 隠すよね、ふつう。TPOもあるし。
誰が見ているかわからないところで、
自分のことを全部さらけ出すわけないよ。
不必要なことは言わないのが、品格…」

という、主観的なクローズ全振りな人。

この両極端がいると仮定しまして、
どちらが良いかという二者択一ではなく
それぞれのステージ、ケースにおいて
使い分けている
、というお話です。

情報公開のスタイルは人それぞれ。
SNSの中だけを見ても
様々なスタイルの人がいますよね。

「えっと…。ここまでプライベートのことを
赤裸々に公開してしまって、大丈夫?」
と、読む人に心配させてしまう人。
「この人…。ほとんど自分のことを明かさずに
淡々と一つのことばかり書いている」
と、読む人に謎と疑惑を生じさせてしまう人。

「魚の調理」で例えて言えば、
「活け造り」と「南蛮漬け」の
違いのようなもの
でしょうか?

活け造りは「開く」。オープンです。
いけすの魚をそのままさばき、
身を切り、あらわにしていく。
対して南蛮漬けは「漬ける」。クローズ。
衣をつけて揚げて、唐辛子甘酢に漬ける。
骨も柔らかくなり、丸ごと食べられる。

…どちらが良い悪いではない。
それぞれの味がある。欠点もある。

もう少し例えを広げてみれば
例えば同じ「サバ」という魚でも、
三枚におろして「開いて」焼くのと、
西京漬けにして「漬けて」焼くのとでは
味も手間も違いますよね?
どちらも美味しい。しかし風味は違う。

さらに言えばアジなら「開いた」上で
「干物」にする
こともできます。
しかし小さなアジなら開くのが難しいので
「南蛮漬け」のほうがいいかもしれない。

「情報」とりわけ
「SNSで公開する情報」を「魚」に例えるなら
様々な調理法がある、と言いたいのです。

活け造りや刺身のように
素材を新鮮なまま切ってあまり加工せず
どんどん流す
人がいる。
その一方、衣をつけて揚げて、漬けて、
中身がほとんど外から見えないように
加工をしっかり施してから流す
人もいる。

私自身は、と言えば、
素材そのまま(思ったまま)を
書いているので「活け造り」でしょうか?
しかし、すべては明かさず、
加工して書くこともあるので、
その点では「南蛮漬け」とも言えます。
バランス良く、色々な調理法を
身に付けようと、思うほう。

さて、皆様は、どちらのスタイルですか?

…え、デメリットを書いていないので
まだどちらとも言えない?
では、デメリットについて。

活け造りは新鮮な食材を「開く」がゆえに、
血まみれになったり、内臓を取り出したり、
そういったことが必要です。
もちろん、その過程を全部人前に
さらけ出すことはないにしても、
生臭さが苦手な人もいるでしょう。
あまりにリアル。
皿の上でぴくぴくと動いていたりする。
日本ではあまり忌避感はありませんが、
世界では「野蛮な料理!」と捉える人もいる。

一方で、「南蛮漬け」は、手間がかかります。
衣をつける、揚げる、漬ける、
この工程は外すことができない。
しかも外見からは正体が分かりにくいので、
もしかしたら他の魚なのかもしれない。
「得体の知れなさ」があるんです。
文字通り「腹を見せていない」…。

つまり「情報の公開」という点から言えば、

◆開く:オープン過ぎて生臭くて引かれる
◆漬ける:隠し過ぎて怪しまれ警戒される

そういったデメリットが考えられる。
(それを読者に共感しやすいようにするのが
料理人たる発信者の腕の見せ所ですが)

…中には、あえて骨を残してさばいて、
食べた人の喉を傷つけることを狙ったり、
あえて産地偽装の怪しい食材を使って
人を疑惑の渦に巻き込む人も、いる。
フグの毒の部分をそのまま出すかもしれない。

「悪意の調理人(悪意の情報発信者)」ですね。

それは、魚の調理、つまり、
「SNSにおける情報」の上では、
完全には避けられないことでもあります。
だからこそ、意識して気を付けたい。
怪しい情報、怪しいアカからは、離れる。


…最後にまとめつつ
「提案」をしていこうと思います。

本記事では「開く」と「漬ける」、
「活け造り」と「南蛮漬け」の例えで
「情報の加工」について書きました。

ただ、忘れてはいけないのは、
魚を「調理する」人がいれば、
魚を「食べる」人もいることです。
「情報」で言えば出し手ではなく「受け手」。

「ネットリテラシー」などと言いますが、
出し手だけではなく、受け手、読者のほうも
そのような「加工の裏側」を踏まえて
情報を吟味し、味わうべきだ、と思うのです。
すぐ口に入れたり、無批判に勧めたりしない。

見る専、食べる専、ではなくて、
実際に自分で書いて(調理して)発信すれば、
その裏側がわかってくる
ものです。

綺麗な皿の上の「活け造り」に目を奪われて、
血は拭き取られ、内臓は除かれているのに
「魚そのもの」だと誤解してはいないか。
丁寧で美味しい「南蛮漬け」だからと言って、
魚はやはりこの味付け「しかない」と
思い込んではいないか。


引かれそうな部分を隠しているだけでは?
かかる時間やコストは?
もっと良い素材が他にもあるのでは?
産地偽装はしていないだろうか? 毒は?

…そんなことを考えましたのも、
ヨッピーさんの「土佐市のカフェ」に
関する記事を読んだからです。
SNSにおける情報の加工と公開について。

その調理法や、産地まで確認すること。
取捨選択され除かれたものを想像すること。
意識的部分的に味付けされてはいないか。

色々と考えさせられる記事です。ぜひ。
(土佐市の新鮮な魚料理も載っています)

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