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「漢字のバリアー」という言語障壁は、
日本だけで過ごしていては
分かりにくい感覚があります。

日本の小学校では、約千字を習う。
常用漢字まで入れると、約二千字。
これに加えて、ひらがな、カタカナ、
ローマ字、さらに英語などを身につけます。

ひるがえって、他の言語は?
「文字数自体」はさほど多くありません。
もちろん単語の綴りや文法の複雑さは
ありますけれども、文字の数は少ない。

漢字圏だけが、異常に文字数が多い。

…そう考えると、例えば英語が母語の方が
東アジア圏の社会や文化を
「漢字の原文から」解き明かすのは、
難しいことだと思いませんか?
ほとんど「無理ゲー」だと思う。

…ですが、この難題に取り組んだ人が
第二次世界大戦後の英国にいた。
ニーダムという人。
1900年生まれで、1995年に亡くなる。

本記事ではニーダムの話から始めて、
「世界をどう捉えるか?」という話題を
書いてみたい、と思います。

ニーダムは1900年、ロンドン生まれ。
お医者さんの子どもでした。
ケンブリッジ大学に進んで医学を学ぶ。
在学中に生化学を志します。

…しかし、1936年頃から彼は、
「中国の科学史」にも関心を持ち始める。
1942年から4年間、中国に滞在。
帰国後に「中国の科学と文明」という
英語の本を編纂します。
1954年にケンブリッジ大学で第1巻を出版。

…以来、1995年に没するまで、
計16冊も出版する。

英語圏に生まれながら
「漢字の原典」にあたって英訳…。
しかも、30~40歳頃から。
日本語や漢字に慣れ親しんだ私たちには
想像を絶する過酷な作業…。
ネットもAIも翻訳アプリも無い時代に、
「無理ゲー」を成し遂げてきた人
なのです。

中国は西欧にとって「謎多き国」でした。
西欧より遅れた国、意味不明の国という認識…。
その歴史の一端を解き明かし、紹介した。

「…えっ、中国にはこんな歴史、
社会、文化や技術があったんだ!?」

彼の研究は、西欧の学識者たちに
大きな衝撃を与えました。
彼が研究の中で発した問いは
「ニーダム・クエスチョン」と呼ばれる。

『中国は、古来から優れた技術を持っていた。
なのになぜ近代科学はヨーロッパで生まれ、
中国では生まれなかったのだろう?』

「紙」「印刷術」「火薬」「羅針盤」
いずれも中国で最初に発明。
天文学も、数学も医学も優れていた。
なのに、なぜ?
1840年に中国は「アヘン戦争」で敗れる。
以来、西洋に圧倒されることが多かった…。

ニーダムは、その理由の一つを、
中国と西欧の「地理的な条件の違い」と、
「社会的な違い」に求めました。

◆中国は大陸の国だ
◆巨大な灌漑、そのための人員が必要だ
◆彼らを指導・管理する権力、官僚が必要
◆官僚は科挙に合格した「文官」が担った
◆官僚は新規の理論や技術の研究はしない

◆西欧は半島的な国だ
◆遠洋航海・商業経済が必要だ
◆官僚ではなく「商人」が力を持っていく
◆商人はより高い生産や技術を追い求める
◆商人は新規の理論や技術の研究に向かった

…一定の説得力はありますが、
本当にそれだけか?というと
議論の余地がありそうですね。
この「ニーダム・クエスチョン」を元に、
たくさんの学説が生まれます。
同時に「世界の捉え方」「世界の仕組み」
についても、様々な意見が生まれる…。

例えば1960年代には「従属理論」
途上国は先進国に対し、貿易上で
弱い従属的な立場に置かれた。ゆえに、
良い条件で貿易ができなかったという論。

1974年には「世界システム論」
ウォーラーステインという学者が提唱します。
「覇権国家(ヘゲモニー国家)」が
大航海時代以降、世界のシステムを
圧倒的に支配してきた、と捉える。
オランダ・イギリス・アメリカなど。
中央・半周辺・周辺に分かれて、
各国各地域が「分業」したという考え方。

…しかし、この考えには、あまりにも
「西欧中心」的な考えでは?
という批判も起こりました。

古くは、ニーダムの中国研究。
中国には西欧とは異なる世界があった、と。
また、1998年には『リオリエント』という
本が出されて「近代以降においても」
世界経済はアジアが中心だったのだ、
という解釈も出現しました。

ポメランツという歴史学者は、
The great divergence、
『大分岐』という本を2000年に出す。

これは、18世紀までは
ヨーロッパと中国の経済や生活水準は
「ほぼ同じ」で「似ていた」。しかしそこから
「分岐した」「差が開いた」という説。

彼はその理由を「新大陸の資源の活用」と
「英国内の石炭の活用」に見出します。
産業革命が起こって科学技術が発展した。
そこから「分岐」したのだ!と。

最近(2020年)では、
オブライエンが『大分岐論争とは何か
中国とヨーロッパの比較』
という
本を出して、考察を深めています。

…以上をまとめます。

◆1954年 ニーダム『中国の科学と文明』
◆1960年代 従属理論
◆1970年代 世界システム論
◆1989年 『リオリエント』
◆2000年 ポメランツ『大分岐』
◆2020年 オブライエン『大分岐論争とは何か』

第二次世界大戦後、世界の軸は西欧から
米ソの超大国・第三世界へと移りました。
さらに「日本の経済発展(と停滞)」
「中国の経済発展」も相まり、
米中が世界経済の軸になっている。
中東、インド、アフリカ、南米も成長。

そんな推移の中で「世界の捉え方」や、
「どこから中国と西欧は分かれたのか?」
という問いも答えも多角化してきた
のです。

最後にまとめます。

本記事では「ニーダム・クエスチョン」から
「多角的な世界の捉え方」の推移を書きました。

…ただ、これらの論争すら、
西欧中心に対する中国・アジア中心の
二項対立に過ぎない、という意見もあります。

西欧でも中国でもない日本、
「八百万の神」の日本では、
その感覚は馴染みやすいかもしれません。
漢字もかな文字も英語も使いますから。

例えば、近代アジア史専門の岡本隆司さんは
『そもそも中国やユーラシア各地域では
「遊牧」と「農耕」という
「二元世界」を持った文明が発達したので、
農耕一元的な西欧や日本の感覚、解釈だけでは
説明がしきれない
』と主張されています。

それぞれの地域なりの解釈が必要だ!と。

…世界の歴史をどう捉えていくのか?
…どのように関連し合ってきたのか?
…未来の世界をどう捉えていくのか?

現在のかたちからも影響を受けて、
過去の解釈や未来の実相は変わります。

これはひいては「世界」だけでなく、
「個人」のキャリアも同じ。

世界は無数の個人で形成されています。
個人「だけ」の解釈や説明では捉えきれない。
ゆえに私たちは「言葉」で世界の共有を試みる。

ぜひ皆様も、ご自身なりの言葉で、
世界や個人を捉えてみてはいかがでしょう?

※松井透さんの『世界市場の形成』
という本もオススメです。ぜひ↓

※ニーダムの『中国の科学と文明』解説記事↓

※「世界システム論」についてはこちらも↓

※オブライエン『大分岐論争とは何か』↓

※岡本隆司さんのインタビュー記事↓

※岡本隆司さんの動画、
『「初期条件から俯瞰する世界史」』↓

※手前味噌ですが、16世紀の中国の科学技術書
『天工開物』について書いた私の記事はこちら↓

合わせてぜひどうぞ!

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