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『たいへいの ねむりをさます じょうきせん
たったよんはいで よるもねられず』

…と詠まれた「黒船の来航」
1853年。アメリカのペリー。
『西洋の衝撃』、ウェスタンインパクト!

「泰平の眠り」のスリープ状態の日本は、
長崎などの例外は除き、
いわゆる「鎖国」状態にあった。
1603年に徳川家康が幕府をひらいてから、
1853年まで約250年、江戸時代。長い。

それにしても「黒船」です。
「開国」「攘夷」で世論も分かれ、
ついに「大政奉還」「王政復古の大号令」!
倒幕、明治維新が起きたのでした。

ただ、一息おいて考えますと。

「西洋の衝撃」と言ってもこれ以前に
西洋に出会ってなかったわけでは、ない。

1543年、イゴヨサンかかる鉄砲伝来
1549年には、イゴヨク広まるキリスト教
火縄銃。ザビエル。
そもそもオランダとは貿易を継続していて、
「蘭学」なども発展していった。

これらは「西洋の衝撃」とは表現されないの?

そう考えますと、
日本が江戸時代だった約250年+15年の間に、
「西洋」が圧倒的にパワーアップしていった…

ということではないか。

そこで本記事では、日本が江戸時代の間に、
西洋で何が起こったのかを書いてみます。
※私なりの主観と取捨選択によります。

まず一言、まとめて書きましょう。

◆『ケンカばかりしていた』

これに尽きる。だから強くなった。

1600年代(17世紀)から
1850年頃(19世紀半ば)までの西洋は、
もう戦争に次ぐ戦争の歴史。戦国です。
「泰平の眠り」の日本とは、真逆。
例えて言えば「昼寝しているのび太」と
「常に争いの中に身を置くジャイアン」。

そりゃあ、のび太より、強くなりますよ。

とりあえず、歴史の教科書から
この頃の戦争や革命を列挙しましょう。
全部は書ききれないので、有名どころだけ。

◎三十年戦争(1618年~1648年)
◎ピューリタン革命(1642年~1649年)
◎英蘭戦争(1652年~1665年~1672年~)
◎名誉革命(1688年)
◎ファルツ継承戦争(1689年~)
◎スペイン継承戦争(1701年~)
◎オーストリア継承戦争(1740年~)
◎七年戦争(1756年~)
◎アメリカ独立革命(1776年~)
◎フランス革命(1789年~)
◎皇帝ナポレオンの戦争(1804年~1815年)
◎七月革命(1830年)
◎二月革命(1848年)

…戦い過ぎ、革命が起こり過ぎ、では?

泰平の「江戸時代の日本」と比べて
バチバチ戦っていたのが西洋、なのです。

概略を書いていきましょう。

「鉄砲伝来」「キリスト教伝来」の16世紀。
覇権を握っていたのは、
ポルトガルやスペイン。カトリックの国です。

しかし次第に、オランダが強くなっていく。
こちらはプロテスタント、新教の国。
スペインから独立したオランダは、
長崎で貿易を行うほどの勢いを持っていた。
これが17世紀半ばまでのこと。

(ちなみにアメリカのニューヨークも
元は「ニューアムステルダム」
であり、
オランダが1614年に作った植民地です)

17世紀前半の
「三十年戦争」や「ピューリタン革命」は
このカトリック対プロテスタント、
「宗教戦争」の側面があります。

とはいえ、ヨーロッパの外を見れば、
オランダが貿易の覇権を握っている。
それに待ったをかけたのが、イギリスです。

「英蘭戦争」はイギリスとオランダの戦争。
徐々にイギリスが優勢になっていきます。
ニューアムステルダムも奪って
ニューヨークと改称する。

…と言っても、いきなりチャンピオンに
登り詰めたわけではない。
段階があります。

契機の一つは、
スペイン継承戦争の講和条約である
1713年の「ユトレヒト条約」でした。
ここでイギリスは「アシエント」と呼ばれる
一つの貿易許可権をゲットするんですよ。
もともとはスペインが持っていた権利。

「アフリカの黒人を黒人奴隷として
アメリカ大陸のスペイン領に送ることを認めた
奴隷供給契約(許可状)」の権利!

…大航海時代の後、スペインは16世紀に
アステカ帝国、インカ帝国を滅ぼし、
アメリカ大陸に大きな植民地を形成しました。
過酷な労働や伝染病。
住んでいたインディオの人口は激減…。
そこで代替の労働力として
運ばれたのが、黒人奴隷
なのです。

18世紀になりますとイギリスは
武器(銃)や綿織物をアフリカへ供給、
アフリカから黒人奴隷をアメリカ大陸へ運び、
アメリカから煙草や砂糖、珈琲を運びます。

いわゆる「太平洋三角貿易」
これが儲かった。この莫大な富により
『産業革命』が進行したとも言われます。
蒸気機関が生まれ、蒸気船もできていく…。

黒船は、黒人奴隷貿易の犠牲の上に
成り立って誕生した
、とも言える。

もちろんこれは人道的な問題のある貿易です。
「人権意識」の高まりもあって、
1807年に、奴隷貿易は禁止されます。
1833年には、イギリス全土で奴隷制度廃止。
それまではやっていた、ということですが)

「産業革命」の勢いに乗ってイギリスは
中東にもインドにも中国にも勢力を伸ばす。
いわゆる『大英帝国』を作り上げる。

このイギリスの躍進を他の国は
指を加えて見ていたのでしょうか?

いや、そんなことはありません。
特にライバルだったのがフランス。
イギリスと戦う。
「第二次百年戦争」。1689年~1815年。
ヨーロッパ内でも、各植民地においても…。

フランスでは「太陽王」と呼ばれた
ルイ14世が絶対的な力を持っていました。
ヴェルサイユ宮殿を作った人です。
これに対してイギリスでは、
名誉革命以後、議会が力を持っていた。

『絶対王政の王様 VS 議会制度の王様』!

名誉革命~フランス革命~ナポレオン、
そのあたりでひたすら戦っているんです。

その結果、フランスで革命が起きます。
王様はいなくなります(後に復活しますが)。
イギリスでも、アメリカが独立!
北米の大部分の植民地を失います。

…戦争には、お金がかかりますからね。
フランスもイギリスも、税金を増やす。
その結果、不満が高まって革命や独立が起きる。


そんな流れを踏まえた上での、
アメリカからのペリーの黒船来航です。
これが、1853年のこと、なのです。

最後に、まとめます。

本記事では、日本が江戸時代の間の、
西洋の(主に戦争の)概略を書きました。

戦争ばかりやっていて、その結果として
「近代国家」が誕生した西洋の諸国。
明治の日本は「文明開化」「富国強兵」政策、
欧米の技術や思想を取り入れて
近代化を図り、何とか追いつこうとします。


国ぐるみでやらないと
追いつけないほどの国力の差。これが
「泰平の眠り」の間についていた。
例えて言えば、圧倒的なジャイアンに対して、
(道具を借りながら)対抗する
のび太のようなもの。
果たしてその結果は…。

本記事は複雑な世界史の一断面を
取捨選択して書いたものです。

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