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戦国時代は、日本史の転換点の一つ。

◆1543年:イゴ ヨサンかかる 鉄砲伝来
◆1549年:イゴ ヨク広まる キリスト教

鉄砲とキリスト教が日本に伝わった。
これを背景として、織田信長は
「鉄砲の大量使用」と
「キリスト教徒の国との貿易」を行い、
天下布武に向けて大きく前進した…。

そんな感じで、戦国時代が終わることに
大きく影響を与えた二つの出来事です。

…ただ、もう少し広いスパンで考えた時、
この二つの出来事は、その後の日本史にも
また世界史的にも大きな意味を持っている。


本記事では、鉄砲とキリスト教の伝来と
「フィリピン」の事例をからめて、
広めに解釈してみます。

早速ですが、フィリピン。
東南アジアの島国。
国名の由来をご存知でしょうか?

フィリピン=フェリペ。

「太陽の沈まない国」とも言われた
スペイン最盛期の頃の国王、フェリペ2世。
彼の名前にちなんでいます。

彼の頃のスペインというのは、
それはもう、勢いがありまして。
『大航海時代』とそれに続く
『植民地獲得』の時代。16世紀頃です。

「世界一周」で有名なマゼラン
1521年に、この地に到達します。
ところが「ラプラプ」という部族長が
見事にマゼランを討ち取った。
マゼラン本人は、世界一周の半ばで死亡。
世界一周をしたのは、彼の部下たちです。
(ラプラプは、この地の英雄です)

しかし、スペインの
進出(侵略)の手は、ゆるまない…。

1543年、日本に鉄砲が伝来した年、
ビリャボラスという探検家の
スペイン船団が、ここに到着。
(その頃は王子だった)フェリペにちなみ、
この島々をフィリピンと名付けました。

紆余曲折がありましたが、
1600年、日本で言う関ケ原の戦いの
前あたりまでには、この島々の多くは
スペインの植民地になってしまいました。

…つまり。

日本はこの頃、信長・秀吉・家康などが
天下統一へと邁進していくのですが、
ちょうど同じ頃、
同じ島国のフィリピンはスペイン人たちに
占領されてしまっていた。


ということは、もしかして、

日本もスペインの植民地になっていた、
その可能性はあった
、ということですよね。
大陸の東にある同じ島国ですから。
そうなっていたら「ノルテ・フィリピン」
(北のフィリピン)と呼ばれていたかも…。

日本が支配されなかった理由は、何か?

戦国時代であって、戦意がさかん、
日本を占領するには大きな犠牲が
ともなったかもしれないこと、
「中国(明)」という大きな国が
すぐ西隣にあったこと、
フィリピンよりは遠かったこと、

様々な理由が、考えられます。

ただ、一番の大きな理由は、
秀吉~家康~江戸幕府と続く中、
「キリスト教」を強く拒絶したこと、
これが大きいのではないか?


一説によると
秀吉は九州征伐の時にキリシタンたちが
「人を奴隷として海外に輸出している」
ことを知り、
宣教師コエリョを呼んで、質問したそうです。

「…お前たちは、奴隷売買をしているのか?」

コエリョは答えました。

「自分なら、いつでも
艦隊を動かすことができる」

…これは恫喝、脅し、ですよね。
(もちろん、あくまでコエリョの
リアクションであって、宣教師が全員
こんな感じではないとは思いますが)

事実、九州には「キリシタン大名」が多く、
キリスト教が大きく広まっていました。

同時にこの頃、フィリピンも占領され、
スペインの統治下に入りつつある…。

秀吉は、様々な背景を考えた上、
「バテレン追放令」を出しました。

もしポルトガルやスペインが
武力で日本に攻めてきたとき、
宣教師たちと結託してキリシタン大名たちが
一斉に呼応するかもしれないから。
ただし、貿易は続けたい秀吉は、
貿易禁止まではしませんでした。

しかし秀吉の後の家康が作った江戸幕府は、
徹底的にキリスト教を禁止、
貿易を制限していきます。

貿易相手に選ばれたのは、オランダ。
元はスペインの一部。

実はフェリペ二世、
国外では植民地を広げたものの、
国内では失敗を犯していました。

それがオランダ(ネーデルラント)独立です。
オランダは、カトリックではない。
プロテスタントの国。宗派が違うんです。

1556年に即位したフェリペ二世は
プロテスタントに対し
「血の審判所」と呼ばれる
異端審問機関を作り、恐怖政治を行います。
この弾圧に対し、1648年までずっと
「オランダ独立戦争」が行われていたのです。

その新興国オランダが、スペインに代わり
日本と貿易を行うようになっていった…。

◆1624年:スペイン船の来航禁止
◆1637~38年:島原・天草一揆
◆1639年:ポルトガル船の来航禁止
◆1641年:オランダ商館を出島に移す

こうして江戸幕府は、
日本からキリスト教を締め出しました。
この江戸幕府の治世は、1867年、
「大政奉還」まで、ずっと続きます
(幕末のあたりで「開国」しますが)。

同時に、戦国時代に伝来した
「鉄砲」も、信長・秀吉の頃には
ガンガン作っていたのですが、
(ガンだけに)

江戸幕府の平和の世の中になると、
次第に鉄砲は無用の長物となり、

鉄砲鍛冶たちは「花火職人」などに
ジョブチェンジ
しました。
(狩猟や訓練などでは使われ続けましたが
実際の合戦には、あまり使われません)

こうして「キリスト教」と「鉄砲」は
江戸期の日本では否定された。
現在の日本も、
キリスト教は特に国教ではありませんし、
銃の所持に対する忌避感は、かなり強い。


…その一方、スペインの統治下に入った
フィリピンは、というと

1898年の独立まで、植民地でした。
独立後すぐ1899年に「米比戦争」、
すなわちアメリカと戦争し、負ける。
「桂・タフト協定」という取り決めで
日本はアメリカから朝鮮半島の
支配を認められる代わりに、
アメリカのフィリピン支配を認めました。

スペインからアメリカに
統治される相手が変わったのです。


太平洋戦争時には日本軍が攻めてきて
占領下に置かれてしまいます
(この時の司令官がマッカーサー。
「アイ シャル リターン」の人です)。

…現在のフィリピンが成立するのは、
実に「戦後」の、1946年なのでした。

最後に、まとめます。

フィリピンのドゥテルテ大統領は、
国名について
2019年の演説でこう述べたそうです。

『かつて、マルコス大統領が
国名を「マハルリカ共和国」に
変更しようとしたのは正しかった!』

現在のフィリピンという国名は
植民地時代の名残だ。
「いつか変えたらいい」と。

マハルリカ、とは
サンスクリット語からきた言葉で、
「気高く誕生した」という意味。

将来、フィリピンという国名が消え、
他の名前が「気高く誕生する」可能性もある。

「鉄砲伝来」と「キリスト教伝来」。
16世紀のこの二つの出来事と、
それらへの対応は、
日本とフィリピンの歴史を分かつ
分岐点かもしれなかった。


以上、私の主観で取捨選択して
トリミングして書いてみました。

さて、読者の皆様は、どう思われますか?

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日本の戦国〜江戸時代あたりの
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-秀吉・家康・政宗の外交戦略』

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