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「大名の財政を弱めるため」ではない!?

参勤交代。さんきんこうたい。
江戸時代の歴史を学習すると、
必ず出てくる重要な「太字」の事項。
大名が行列をつくって
江戸城の将軍様に会いに行く、あれ。

「なぜ参勤交代は行われたのか?」
という理由を聞かれた時、
次のように説明されがちです。

『参勤交代によって大名の財政を圧迫し、
幕府に歯向かう力を
つけさせないために行われました。』

…読者の皆様もこのような説明を、
聞いたことがあるのでは?

江戸時代は、幕府一強時代。
江戸を強くする。各地を弱くする。
だから参勤交代によって
お金を「使わせて」大名の力を「弱めて」、
幕府に歯向かう「力をつけさせない」。

そのために参勤交代を行った…。

うん、非常にわかりやすい、というか、
「ガッテン!」とうなずきやすい理由!

ところが、この「理由」、
他の言葉で言えば「解釈」に対して、
「…本当にそうなの?」と疑問を
呈するような入試を出した
大学がある。

東京大学です。
1983年、今から約40年前の入試問題。
ぜひ、皆様も考えてみて下さい!

(ここから引用)

『参勤交代が、大名の財政に
大きな負担となり、その軍事力を
低下させる役割を果したこと、
反面、都市や交通が発展する
一因となったことは、
しばしば指摘されるところである。

しかし、これは、参勤交代の制度が
もたらした結果であって、
この制度が設けられた理由とは
考えられない。


どうして幕府は、この制度を設けたのか。

戦国末期以来の政治や
社会の動きを念頭において、
150字以内で説明せよ。』

(引用終わり)

理由とは考えられない、ですと…?
本記事では、参勤交代の制度を
幕府が定めた理由について考えます。

この入試問題を解いていきましょう。

◆参勤交代は大名の財政負担
◆都市や交通が発展


これは「理由ではなく、結果だ!」と
問題文にはっきり書いてある。

…確かに、大人数であれだけ
各地から江戸に向かって歩いたら、
その途中の都市は儲かります。
人間、食べて、寝なければいけない。
飲食関係や宿泊関係の業界、ウハウハ。
道も、整備されていきます。
そう言えば江戸時代には「五街道」と
呼ばれる大きな街道もありました。

でも、大名にお金を使わせようとか、
都市や交通を発展させようとか、
そういう理由ではなかった…。
とすると、なぜなのでしょうか?

ヒントは『戦国末期以来の政治や
社会の動きを念頭において』
という文言。
ここに触れて解答を書く必要があります。

戦国末期…と言えば、豊臣秀吉。
天下統一した彼がやったことは?
「太閤検地」と「刀狩」がありました。

地方に住んでいる大名が
中央の豊臣秀吉に逆らわないように、
まずは各地の大名の実力を
「見える化」していく。
すなわち石高、田んぼからどれだけ
お米が採れるのかを全国規模で確認する。
これが「太閤検地」

同時に、武士と農民をはっきり分ける
「兵農分離」、つまり刀や鉄砲などを
取り上げていきます。そうしないと
戦国の下剋上がまた起こるから。
秀吉、下剋上の権化みたいな人ですから、
自分みたいな者が出ないようにする。

また、秀吉は各地の大名を動員して
「九州平定」「小田原討伐」「朝鮮出兵」
などを行っていきました。
大名を集合させ、指揮の下で合戦をする。
そのつながりで、大名を大坂城に呼び、
裏切らないよう妻や子どもを
その本拠地である大坂に住まわせた。


…戦国時代を生き残った支配者としては
当然の措置だと言えましょう。
戦国時代はとにかく裏切りが多かった。
武器を手に取って、歯向かってくる。
謀反、下剋上、一揆が頻発した時代!
それを防ぐために秀吉は、強権的に
「俺に逆らうなよ!」という政治を行った。


この流れで江戸幕府はできています。
しかも江戸は関東。関東には鎌倉がある。
家康は鎌倉幕府を参考に幕府をひらいた。

鎌倉幕府、と言えば?

「御恩と奉公」がありましたよね。
将軍は、武士たちに土地を認める。
その代わり、武士たちは何かがあれば
「いざ鎌倉!」と馳せ参じる…。

馳せ参じる? …もしや!
そう、参勤交代はこの
「将軍様のところに馳せ参じる」という
意味合いがあったのです。御恩と奉公!

では「解答例」を出しましょう。
色々な書き方はありますが、
あくまで「例」として、どうぞ。

『戦国大名に対する検地と
城下町集住政策とを、
豊臣秀吉は太閤検地、
兵農分離として行った。
石高を基準に知行を与え、
石高に応じた軍役を負担させた。
江戸幕府はそれを受け継いだ。
平時における軍役に準ずる奉公として
参勤交代を大名に課し、参勤させて
将軍に対する忠誠を示させ、同時に
各地での領主権の弱体化を図った。』

一言で言えば「主従関係の確認」ですね。

将軍が偉いんだぞ、幕府が偉いんだぞ!
領主と言っても、俺が認めてるからこそ
お前はその土地を治められているんだぞ。
そこんとこ、忘れんなよ…!

それを、はっきりさせるためです。

戦国時代と違って、平和な江戸時代では
「合戦」つまり「軍役」がありません。

でも大名をずっと地方にいさせたのでは
誰が偉いのかをはっきり示せなくなる…。
だから、大名たちを定期的に江戸に呼んだ。

「大名の財政を弱めるため」ではない。
これは結果であり、目的ではありません。

ちなみに、その証拠として、
1635年の「武家諸法度」で
幕府は次のように命令を出しています。

『大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。
毎歳夏四月中、参勤致スベシ。
従者ノ員数近来甚ダ多シ、
且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。
向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ


【超訳】

『大名・小名は、自分の領地と江戸とを
交代で住むように定めたからシクヨロ。
毎年4月に、江戸まで参勤してね!
たださ、最近、従者の数が多すぎるんだ…。
その費用をまかなうのは
領民にとって負担になるの、わかってる?
それ相応の数に減らしましょうね!

幕府はむしろ、財政のために
「人数を減らせ」と言っている
のです。
確かに考えてみれば、参勤交代で
「家臣」の大名たちが潰れたら本末転倒、
困るのは幕府、ですよね。

しかし、時代が下り、平和が長引くと
年々、その人数は増えたりしています。

特に大きな大名は、あえてたくさんの人数で、
華美な装いをして参勤交代を行う。

幕府への忠誠、そして「他藩への見栄」で…。
その「結果」、財政が悪化したのです。

最後に、まとめます。

本記事は東大の入試を例にとって、
参勤交代の「理由」を探ってみました。

一言で説明する「わかりやすい解釈」は
頭の中に定着しやすいもの。
納得しやすい因果関係があればあるほど…。

しかし、わかりやすいがゆえに省略されたり
「理由」と「結果」を混同したりして、
実相とは異なる解釈が流布されることも
あったりします。
気を付けたいですね。

※詳しい参勤交代の実相については、
こちらの記事もぜひ、参考までにどうぞ↑

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