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砂押 美穂 さんがLinkedIn上で
『学び合う仲間の文学部』
というグループを結成されまして、

「東京の神田の神保町古本屋巡り」
というイベントを企画されている、
と、小耳に挟みました。
(私は残念ながら日時的な事情で
行けませんけれども)

神田。かんだ。

…東京都心のど真ん中あたり。
デジタルの牙城。最先端の都市空間!

そんな街に、なぜ紙の本の「古書店街」、
古きゆかしきアナログの極み、のような
空間が広がっているのでしょう?


…考えてみれば、不思議ですよね?

ということで本記事では、
「なぜ神田に古書店街があるのか?」
この疑問について、
歴史と地理から考えてみようと思います。
(ヒストジオっぽい記事ですね)

まずは、地理的な前提を。
神田の古書店街はどこにあるのでしょう?

「東京の真ん中あたり、でしょ?」

いや、それはわかってます。具体的には?

「…JR山手線、がありますよね。
『東京駅』は、皇居の近くだ。
『秋葉原駅』は、…ヨドバシアキバの近く?
その東京駅と秋葉原駅との間にあるのが
神田駅。そのあたり。…何か問題でも?」

問題、大ありです。
「神田はどこか」だけなら、
それでもいいんですが。

いざJR山手線の神田駅で降りてみて
「さあ、古書店街だ!」と勇んでみても、
影も形も見えませんよ?
JR神田駅と古書店街は、離れているんです。

東京駅の北のJR神田駅は、
皇居から見れば「北東」。

それに対して古書街店は、
『神保町』(じんぼうちょう)という
東京メトロ半蔵門線、
都営新宿線、都営三田線の駅が最寄りで、
JR神田駅よりも「西」にあります。
皇居から見れば「北」なのです。

その地下鉄の駅の真上にあるのが
「神保町交差点」。
東西の通りと南北の通りが、交わっている。
この交差点が、古書店街の中心!

ここから東西に目を向けますと、
「駿河台下交差点」と「専大前交差点」。
いわゆる『靖国通り』の道ですね。
通りの南には『神田すずらん通り』〜
『さくら通り』
が並行しています。
これらの通り沿いが古書店街の東西の軸。
南北に目を向けてみますと、
北の「JR水道橋駅東口」まで『白山通り』
この一本の通りが、古書店街の南北の軸。

まとめていえば、皇居の北にある
「神保町交差点」の東西南北の通り沿いに、
「神田古書店街」が広がっている
んです!

「…へ、へえ、そうですか。ご丁寧にどうも。
神田と言っても、まあ、広いですからね。
でも、なんで神田とか神保町とか
やたらと『神』がつくんでしょうか?
やはり、『紙』の古書だから?」

全く、違います。

文字通り神の田んぼ、神社のための田
あったことからつけられた。

七世紀と言えば「大化の改新」。
この頃に『班田収授法』と言いまして、
税のかかる「班田」が「輸租田」が
定められたんですが、
税のかからない「不輸租田」もあった。
免税田、ですね。

寺院用の田の「寺田」。官職用の「官田」。
貞淑な妻を賞して与えられた
「節婦田」も、税がかからない田。
この不輸租田のうちの一つ、
「神社用の田」が『神田』と呼ばれたんです。

「なるほど、ではこの神田のあたりには
神社用の田があった、と。その神社とは?」

はい、かの有名な「神田明神」です!
これは「外神田」とも呼ばれる
JR秋葉原駅に近い地域にある神社ですが、
八世紀にはすでにあった、と言われています。

十六世紀に徳川家康が江戸に入ると、
江戸の総鎮守、江戸の神社の総まとめの神社
として栄えるようになった。

一説によると、関ケ原の戦いの勝利祈願を
この神社でしていたら、ちょうど
九月十五日の祭礼の日に勝利したので、
大々的にお祭りをするようになったとか…。
これが毎年五月中旬(十五日)頃に行われる
「神田祭」(かんだまつり)の由来。

ちなみに「神保町」とは、江戸時代に
神保、という旗本の屋敷があったことから
名付けられた
そうです。

「…由緒ある土地だ、というのはわかりました。
ですが、なぜまたそんな神田に、古書店街が?」

はい、これは明治時代の最初の頃のこと。

このあたりに、学校(今の大学)が
たくさんできました。今の校名で言えば、
明治大・中央大・日本大・専修大…。
近くの駿河台には「駿台予備学校」
いわゆる「すんだい」も開かれます。

さて、ここでクイズです。
学生さんが全国から集まれば、
何が集まってくるでしょうか?

「…学生と言えば勉強、本、ですよね。
その頃は、ネットもSNSもChatGPTもない。
『紙の本』頼みだ。でも、
お金がない学生は、定価では買えない…。
あっ、なるほど、だから、古書?!」

ざっくり言えば、そうです!

年度替わりに上級生たちが
使い終わった教科書を売っていく。
新年度には下級生たちが
その安い教科書を古書店に買いに来ます。

需要あるところに、供給あり!

どんどん店がオープンし、
古書店街が形成された、と言われています。
文学者も集まる。情報も集まりやすい。
だから出版社や印刷所も、できる。
古書だけではなく、新刊も売られる…。

今では「世界最大の古書店街」
「古本の聖地」
とも呼ばれていて、
百店以上のお店が軒を連ねています。

十月~十一月の読書週間には
「神田古本まつり」も開かれて、
見渡す限りの本・本・本…。そのさまは
「本の回廊」とも呼ばれるそうですよ。

「神田祭に、神田古本まつり!
さすが神様の田、お祭りが多いんですね…」

最後に、まとめましょう。

本記事では「なぜ神田に古書店街?」
この疑問を、歴史と地理から追ってみました。
紙の本好きには、もう、たまらない街…!

ちなみに本だけではなく、
グルメにもたまらない街だそうです。
喫茶店もたくさん。カレーも美味しい!

小説家の逢坂剛さんは、
神田の神保町についての文章を書いています。
その一部だけ引用して、終わります。
(良ければリンクから全文を)

(ここから引用)

『神保町は〈本の街〉といわれ、
大型新刊書店や
大小無数の古書店がひしめいて、
独特の雰囲気を醸(かも)し出す。

しかし、神保町の魅力は
本だけにとどまらない。

この街は〈食〉に関しても、
並なみならぬ文化を持っている。

中華をはじめ、イタリア、ブラジル、
インド等の各国料理、さらに寿司、
うなぎ、ラーメン、蕎麦(そば)と
なんでもあり、
飲み食いにはいっさい困らない。

戦前、戦後の歴史とともに
歩んできた多くの老舗(しにせ)は、
再開発で街の景観が一変した今も、
なお健在である。

そうした新旧すべてを引っくるめて、
〈神保町文化〉と呼ぶことに
異論のある人はいない、
とわたしは信じている。』

(引用終わり)

読者の皆様も、ぜひ神田の神保町を訪れて、
「神保町文化」を味わってみて下さい!

https://www.aeras-group.jp/column/a624733/

こちらの神保町駅紹介リンクへもぜひ。

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