見出し画像

「地域おこし」と「キャリアおこし」。
「地域活性化」と「キャリア活性化」とを
対比させよう、と思います。

「うちの商品が高く売れるわけがない…」

そういう思い込みを捨てる。
発想する。探す。見つける。行動する。
周知する。他人の目に触れさせる。

…それが地域おこしや
地域活性化には大事、ですよね。

その地域にとっては当たり前のもので、
こんなものが売れるはずがない、
と(地域の人が)思い込んでいるものでも、
他の地域の人にとっては
お金を出してでも欲しい、かもしれない。

都会の砂漠に住んでいる人にとって、
大自然の空気や水は貴重。
その地域の人には、当たり前であっても。

個人のキャリアも、スキルも、同じ。

自分にとっては当たり前のスキル、
売れるはずがない!
と(自分が)思い込んでいるものでも、

他の地域の人にとっては
お金を出してでも欲しいもの、かもしれない。

ただこれは、自分ではわかりづらいのです。
自分にとっては当たり前だから。
自分だけではわからない。
他の人の目、市場の目が入って初めて、
それで「稼げる」かどうかがわかる…。


ここまでが、前提です。

本記事では「キャリアおこし協力隊」
という仮定から、
談論風発的に、議題を書き出します。

「地域おこし協力隊」は
都市部から過疎地域に入って
その地域ならではの魅力を発見し、
発信したり、産業化したりすることで
「地域をおこす」人たちです。

それと同様に、

「キャリアおこし協力隊」は
キャリアが豊かな人、詳しい人が、
自分のキャリアの魅力に気づけていない人、
いわばキャリアの「過疎地域」に入り、

その人ならではの魅力を発見し、
発信させたり、産業化させたりすることで
「キャリアをおこす」人たち。

まず、こう仮定してみます。

…現在では、いわゆる
「キャリア〇〇」と呼ばれる人たちが
その役割を担っています。
ただ、その在り方は千差万別。

◆キャリアコンサルタント
◆キャリアアドバイザー
◆キャリアカウンセラー
◆キャリア支援員
◆キャリア開発
◆キャリア教育 …

名称だけでもまさに百家争鳴、百花繚乱。
これは、地域おこし、地域活性化とも
似ている、と言えます。

『地域おこし協力隊』は、
その地域に居住して(住民票を移し)、
自治体に「期間限定」で雇用される形で
地域を「おこす」ことが、仕事。

これに対して
企業に雇われたままの形で
地域に「出向」して
期間限定で地域の活性化を目指す、
『地域活性化起業人』制度も、あります。

また、そんな制度にとらわれず、
手弁当、ボランティア、郷土愛、
そんなものを軸に自主的に
「地域おこし」をしている人もいる。
無報酬で。

色々とある。同様に、

キャリアおこしの対象者に
じっくりと寄り添い(一緒に住んで?)、
「期間限定」で雇用される形で
キャリアを「おこす」スタイルもあれば、

企業に雇われたままの形で
キャリアおこしの対象者に「出向」して
期間限定でキャリアの活性化を目指す、
というスタイルもある。

手弁当、ボランティア、郷土愛、
そんなものを軸に自主的に
「キャリアおこし」をする人もいる。
無報酬で。

また、そこまで密着はしなくても、

何回かの面談、アドバイス、
そういったものを通して
「キャリアおこし」するスタイルも
考えられます。

絶対的に良い悪いではない。
どれもあり。

ただ、その根底は、
対象者(キャリアに迷っている人)自身を
「おこす」「活性化させる」ことが目標
で、

その「対象者自身」がおきて、
活性化をしないといけない。

そう考えた時、
「その地域なりの自立した地域」つまり
「その人なりの」自立したキャリアこそが
大事になっていきます。

怪しい「地域おこしコンサルタント」が
「なんちゃって地域おこし」
「自立できない地域おこし」で
報酬だけをせしめるのがよろしくないように、

怪しい「キャリアおこしコンサルタント」が
「なんちゃってキャリアおこし」
「自立できないキャリアおこし」で
報酬だけをせしめるのは、よろしくない。

対象者が、その人なりのスタイルを
「自分自身で」見つける「支援」をする。


ただ、先述したように
自分自身ではわからない部分があるために

他者の目で「その人に」気付かせる、
ということなのです。

ここで、ちょっと視点を変えます。

地域活性化において、人口さえ増えればいい、
関係人口が増えればいいのだ、
というのは本末転倒ですよね。

人口がたとえ少なくても、
豊かな生活が送れていれば
それは地域活性化できている、と言える。

同様に、

キャリア活性化も「人口」さえ増えればいい、
(例えば、結婚して家族が増えるとか)
関係人口(例えば、SNSのフォロワー数)
さえ増えればいいのだ!
というのは本末転倒であって、

家族がいなくても、関係人口が少なくても、
「豊かな生活」が送れていれば
キャリア活性化ができている
、とも言えます。

…ただこの「豊かな生活」も
色々と解釈が可能でして。

「人間」、必ずしも
お金「だけ」で生きているわけではない。
何をもって「豊か」「活性化」と判断するかは
本当に人それぞれ。

他人から見れば「取るに足らない」
「なんちゃってキャリアおこし」でも
涙を流さんばかりに感謝される
ケースもある一方で、

他人から見れば「よくぞここまで」
「真のキャリアおこし!」と
言われる素晴らしいものであっても、
「私は、この人に頼んで失敗だった」
と酷評されるケースも、あり得る。

報酬が高いのか低いのかも
そのサービスを受ける人の価値観に
かなり左右される
、と言えるでしょう。

色々と書きました。
最後に、本記事の議題をまとめます。

◆自分でおきないと、意味がない
◆自分ではわからないことがある
◆だから、他人の目で気づかせる

これが基本。

◆なんちゃってキャリアおこしは×
◆人口が増えても活性化しないかも
◆何に「満足」するかは人それぞれ
◆報酬の相場、感覚も、人それぞれ
◆その人を満足させられるかどうか

これが難しい。
そう考えていくと
「キャリア〇〇」は本当に難しい。

だからこそ、
やりがいもあるのではないか?

「地域おこし」「地域活性化」が
難しいのと同じように…。

最後に一つ、付け加えを。

「地域おこし協力隊」がいなくなった後、
地域おこしが「継続」するかどうかは、
その地域に「地元住民の協力者」が
いるかどうかに左右されます。

同様に、

「キャリアおこし協力隊」の
サービスが終わった後で、
キャリアおこしが「継続」するかどうかは、
その人に、寄り添ってくれる「協力者」が
いるかどうかに、かなり左右されます。


その人のそばに支える人がいるのかどうか?
もし、いなくても
その人の「脳内」にイマジナリーフレンド、
「協力者」を持たせられるかどうか?


そこが、「継続したキャリアおこし」の鍵。

そんなことを考えながら、私はいま、
キャリア支援に関する小説を書いています。

読者の皆様は、どう思いますか?

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!