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ダイヤモンドは永遠の輝き…とは言いますが、
世に名高いダイヤは数奇な運命を
辿ることが多い。

ダイヤモンドは、とても硬いものです。
揺るぎない。
何者にも侵されない!
周りの者たちが諸行無常の変転を経る中で、
その輝きをずっと保ち続けます。

不易と流行。
変わらないものと、変わっていくもの…。

そんな歴史の一ページを、
「摂政ダイヤモンド」と呼ばれる一つの
ダイヤに託して紹介してみたいと思います。

18世紀のインドにおいて、
とても大きなダイヤモンドの原石が
発掘されたところからお話は始まります。
1700年頃のことです。

南インド、現在のテランガーナ州。
ここに「ゴールコンダ」(ゴルコンダ)
という鉱山があります。
宝石を産出する鉱山として有名で、
ゴールコンダ王国の首都だったこともある。
インドで有力だったムガル帝国の頃には、
宝石の加工技法も確立されていき、
その宝石はインドの
各地の王様(マハラジャ)の
権威を高めた、とも言われています。

1687年、ムガル帝国の第六代皇帝、
アウラングゼーブは
このゴールコンダ城を攻め、
徹底的に破壊しました。
…この都市や鉱山が生み出す、
魔力を帯びた宝石の
独占を狙ったのかもしれない。

1707年にアウラングゼーブは死去。

広大なムガル帝国は
各地で独立政権が樹立され、分裂します。
そのインドを虎視眈々と狙っていたのが、
大英帝国ことイギリス。そして、
そのライバルであるフランスでした。

その頃、イギリスのインドでの
本拠地の一つマドラス(現チェンナイ)に、
一人の商人がいました。
彼の名は、トマス・ピット
1653年~1726年の人。

イングランド国教会の聖職者の子です。
イギリス東インド会社についていって、
1674年にインド入り。

…生来、商売が好きだったんでしょうね。
もぐり(未公認)でビジネスを勝手に行う。
本国の裁判所は彼に逮捕命令を出しますが、
そのたびに逃げる。密貿易を続ける。

「奴はどうにもならん。
どうせ貿易が好きならば、
東インド会社の正社員にしてやれ!」

こうしてピットは東インド会社の
正式な職員になりました。
1694年のこと。
1698年にはマドラス総督になる。

…そのピットの元に、
とんでもなく大きなダイヤの原石が現れる。
ゴールコンダの鉱山で採れた、という。

何でも、とある召使いが持ち逃げして
(自分の足を切ってその中に隠した
とも言われています)
逃げる最中でイギリス人船長に見つかり
没収されてしまった。
その船長も首を吊り、
周囲の人々の運命を変えながら
ピットの元にやってきたそうです。

彼は、このダイヤを手に入れました。

しかし、これほどの逸品は、
ピットの運命をも変えてしまった。

カット加工をしている間の二年間、
彼はダイヤを奪われることを恐れ、
変装し、同じ場所では二度も寝ず、
疑心暗鬼に悩まされた、と言います。
命の危険すら感じた彼は、
加工が終わると、すぐに売りに出す。

ピットは長男のロバートの靴の中に
そのダイヤを隠して本国に密輸しました。
ロンドンのハリスという宝石職人が、
そこから切り分けて
いくつかのダイヤに分割しました。
何しろ元の大きさが
410カラット(82グラム)ほどの
大きなものだったので…。

最終的に、最も大きいダイヤは
フランスの大貴族、
オルレアン公フィリップ二世
手にわたることになりました。
(太陽王ことルイ十四世も
購入を考えたそうですが、
あまりに高額であきらめたそうです)

フィリップ二世は、
ルイ十五世の「摂政」を務めていました。
英語で言えば「リージェント」。
フランス語ならば
「Le Régent(ル・レジャン)」。
こうしてこのダイヤは
「摂政ダイヤモンド」として
世に知られていくことになります。

ちなみに元の持ち主だったピットは
「ダイヤモンド・ピット」とあだ名され、
そのうち帰国して、
議員として活躍することになります。
「ネイボッブ」と呼ばれる
インド成金の先駆け、とも言われる。

長男のロバートの子どもは、
後に首相を務めることになる
「初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット」。
世に言う「大ピット」です。
その子どもが「小ピット」。

…話をダイヤに戻しまして、

オルレアン公フィリップ二世が購入した
この当時「世界一」のダイヤモンドは、
フランス国王の王冠につけられました。

ルイ十五世。
ルイ十六世。
マリー・アントワネット。
フランス革命…。

国王の権力が滅び、革命の嵐が
吹き荒れるのを、摂政ダイヤモンドは
黙々と眺めていきます。

革命ののち、権力を握った
ナポレオン・ボナパルトは、
このダイヤを自らの剣のつかに
はめ込んだ、とも言われる。

ナポレオンは、その「不変の輝き」に
魅入られたのではないか。
揺るぎない。
何者にも侵されない!
その輝きに、自らの栄光を
重ねていたのではないか。

…ただ、歴史を知っている私たちは、
ナポレオンが没落することも知っています。
彼を打ち破ったのは英国、イギリス。
その指揮を執っていたのは、
ダイヤモンド・ピットの子孫、
小ピットです。

ナポレオンの妻、マリー・ルイーズ
このダイヤを持ってオーストリアに
逃げていきます。
その父親、神聖ローマ帝国の
フランツ二世にナポレオンの地位を
少しでも保全してもらうために。

しかし父親は、ナポレオンに嫁がせた
娘のいうことなど全く聞きません。
彼女の手から
「摂政ダイヤモンド」を奪います。
この知らせを聞いたナポレオンは、
フォンテーヌブロー宮殿で毒をあおぎ、
自殺未遂を起こしています。

新たにダイヤの所有者となった
神聖ローマ帝国フランツ二世は、
「オーストリア皇帝」フランツ一世として
臣下メッテルニヒなどを使いこなして
何十年もの治世を過ごしました。

…あれ、摂政ダイヤは?

ナポレオン没落後、王政復古した
フランス王家にとっとと返却されました。
フランスではその後も
七月革命や二月革命など
政情が安定しません。
「ナポレオン三世」もその手に
持っていたとも言われていますが、
彼はビスマルク率いる
プロイセンに捕まってしまいます。

最後に、まとめます。

本記事では、インドで産出したダイヤが、
イギリス、フランス、オーストリア、
再びフランス、という転変をたどった
歴史を紹介してみました。

…えっ、現在、摂政ダイヤは
どこにあるのか、ですって?
今も所有者を数奇な運命に
巻き込んでいるのか?

ご安心ください。

現在は「ルーブル美術館」で所蔵され、
その永遠の輝きを保ち続けています。

ピットやフランツ二世(一世)のように、
あまりに人を蠱惑するような宝物は
手元から離すほうがいいのかもしれませんね。
私も、心しておこうと思います。

読者の皆様は、どうでしょうか。

あまりに素晴らしい宝物に固執して、
かえって輝きを失っていることはありませんか?

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