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灯台下暮らし

お風呂に入っていると、時々天井の隅を見てしまう。

正方体の小部屋に存在する、三つのラインの合流地点。
吸い込まれるような一点を凝視する私。
その一点もまた、私を凝視している。
なんだか恥ずかしい。


生徒たちに「客観視」の説明をすることがあるが、その時私はいつもなぜかお風呂に入る自分の姿を思い起こす。

無垢で無機質な壁面に囲まれ、温もりという恩恵を受けながらも、心はさてスマートフォンの中。
身近なありがたみを忘れる時間。
まさに灯台下暗しだ。


そんな灯台の下で過ごす私を、天井の四隅はじっと見ている。

飽きることなく、怒ることなく、そして悲しむことなく。

時間を浪費するこの家の主人には目もくれず、ただ、自分たちの空間で世界の小窓を覗く存在を凝視している。


「ものには神が宿る」と言われる。
トイレにだって、シャーペンにだって、そして当然お風呂にも神様はいるだろう。
ただし、彼らは信仰の対象としてではないのかもしれない。

彼らはただ、私たちを見ているのだ。


お風呂の恩恵に鈍感な現代人を。

喉を潤した容器をぽい捨てする現代人を。

私たちの生活を豊かにしてくれる全てに神は宿り、有り難さを忘れてむげに扱おうとする私たちを、ただただ。見ているのだ。


「自分を客観視する」。
情報に囲まれた今だと、意外に難しい行為かもしれない。

そんな時はお風呂に入ってみよう。何をやっても構わない、むやみやたらに時間を使って、そしてふと天井を見上げてみよう。

少なくとも4つの目が、こちらを見ているから。

恵みをもたらす灯台の下で暮らす全ての人たちが、自分たちの立ち位置と、自らの行動につきまとう責任に気づいてくれますように。


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