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タラの干物で爆儲け?―18世紀ヨーロッパの世界商品「干しダラ」とは?―

こんちわ!TAROです!

今回は、ボクがこれまで取り組んできた歴史学の一部を皆さんにお披露目し、「実は過去にこういう世界が広がってたんだよー」ていうのを、誰に言われるわけでもなく、超個人的に世に広めていこうかなと思います!♪( ´▽`)

それで、こんなペーペーのボクの記事を読んで頂いた方々には、「あぁ、こんな世界もあったんだなあ」とか「へぇー、身近だと思ってたものって、実はそういう経緯があったんだぁ」とか思って頂けると嬉しいです。(感想やご指摘、ダメ出し、応援メッセージなどのフィードバックも頂けると泣いて喜びます( ̄^ ̄)ゞ)

それでは、話戻しますね。
今回は、タイトルにもあるように、18世紀のヨーロッパで爆売れした「世界商品」=タラについてです。

世界商品って何??

「てか、そもそも世界商品ってなんなの?」おそらく、みなさんがまず気になるのはここだと思います。超簡単なんで安心してください。世界商品っていうのは、メッチャ簡単に言うと、国際的に超需要があって、巨大な利益を生み出した商品のことを指します。「いや、そのまんまやないかい!」みたいなツッコミが入りそうですが、まあ詰まるところそういうことです( ̄^ ̄)ゞ 専門的には、ステイプル(Staple)とか主要輸出商品みたいな感じで語られることがありますが、こんなことは知らなくても大丈夫です。笑 そして、こうした世界商品は、お金になるが故に、国家的には有力な国庫の財源になるんで、国を切り盛りする偉い人たちにとっても、超重要な品目、あるいは産業だったていうワケです。

「ほぉーなるほど。世界商品は分かった。だけど、具体的にはどんな商品があったん?」次にみなさんが気になるのは、おそらくこれでしょう。例えば、一番代表的なものだと、砂糖が挙げられます。この砂糖は、基本的に、カリブ海の島々で生産されていたんですが、イギリスの場合だと、一説では、18世紀後半における砂糖の輸出額は、北米大陸本土で生産された他の商品の輸出総額よりも大きかったなんてことが言われたりします。また、砂糖以外の商品として、北米本土(特にヴァージニアやメリーランドあたり)の場合だと、タバコが挙げられます。これもイギリスの事例になってしまいますが、18世紀後半において、タバコは砂糖に次いで、2番目に大きな利益を上げていた商品でした。

砂糖
タバコ畑
おそらく、当時のヴァージニアやメリーランドでは、こういう景色が広がっていたんじゃないかなと思われます( ̄^ ̄)ゞ

この他にも、コメ毛皮などなど、世界商品的な扱いを受けていた商品はいくつかあるんですが、実は意外なことに、「タラ」もこの世界商品の1つだったと言われています。「いや待てくれ。砂糖・タバコは嗜好品的なところがあるから、利益が出そうな感じはするけど、、タラって、え?笑」みたいな声が聞こえて来そうですが、実はバリバリ儲かったんすよ。意外でしょ?笑 この謎、つまり「18世紀において、なぜタラがそんなに儲かったのか」について、これから説明していきやす!( ̄^ ̄)ゞ 余裕がある人は、ぜひ一緒に考えていきましょう!

「タラ」が儲かった3つの理由

18世紀に「タラ」が儲かった理由は、なんと言っても「18世紀」という時代が大きく関係しています。つまり、タラは、18世紀特有の3つの要因によって、世界中から広く求められ、儲かったと言うワケです。じゃあ、それらは一体なんだったのか。まず1点目は、帆船の時代の保存食として求められたんじゃないかと言うことです。

①優れた保存食=干しダラ

18世紀というと、やはりパッとイメージするのは、帆船を用いた大規模な航海・貿易だと思います。例えば、大西洋では、イギリス・フランスなどにより有名な三角貿易が展開されていましたし、アジア方面では、オランダやイギリスにより、アジア間貿易が行われていました。また、大航海時代のパイオニア、スペイン・ポルトガルも、世界中に領地を保有しており、そうした地域と定期的に長距離貿易を展開していました。実際に、18世紀の日本は、江戸時代の真っ只中になりますが、オランダと貿易を行なっていたということはご存知の方も多いんじゃないかなと思います。

しかし一方で、やはり、こうした長距離航海の際には、船乗りたちの食糧確保が問題になったんじゃないかと考えられるんですが、ここで白羽の矢がったのが、タラだったというワケです。実は、当時の「タラ商品」というのは、全て干しダラ、つまりタラの干物になります。完全に干物になったタラは、脂肪分が少なく、非常に高タンパクで、めちゃくちゃ保存が効いたと言われてますが、このように、タラ商品=干しダラが保存食として優れていたことが、18世紀におけるタラ需要に大きく関係していたんじゃないかと考えられます。

大西洋、インド洋、そして太平洋を跨いで行われた長距離航海(イメージ図)

②カトリック圏の食習慣=フィッシュ・デイの存在

続いて2点目。これは、とりわけヨーロッパ南部のカトリック圏の食習慣に関連するものです。南欧というと、スペイン、ポルトガル、イタリアが位置する地中海沿岸地域になりますが、これらの国々は全てカトリック圏になります。そして、当時のカトリック圏では、断食日みたいな祝祭日に、肉食が禁じられていたワケですが(断食日なんで当然っちゃ当然なんですが)、その代わりに、なぜか魚食はOKだったみたいです。これは、たしか体液学という当時の医学的な考え方がベースになってたんじゃないかと思うんですが、話が脱線しちゃいそうなんで、今回は省きます^^;  とりあえず、当時のカトリック圏では、宗教的なイベント日に、魚を食べるという文化が根付いてたっていうワケです。ちなみに、これはフィッシュ・デイと言われています。そして、極め付けは、当時の祝祭日は、年間の半分ぐらい存在していた(それ以上だったという記述も見かけます)と言われており、要するに、18世紀のカトリック圏では、相当な量の魚が消費されていたワケです。18世紀の南欧地域に、巨大なタラの市場が広がっていた。これが当時、タラが広く求められていた2つ目の理由です。

タラの一大消費地の1つであったスペイン(バスク地方)のビルバオ(Bilbao)
ちなみに、スペインでは、タラの干物は「バカラオ(Bacalao)」と呼ばれています。

そして、補足として、これはタラの買い手というより、売り手側の話になるんですが、特に南欧市場の中でも、重要なタラ市場は、スペインが位置していたイベリア半島にあったと考えられます。なぜならば、当時のスペインは、中南米地域の銀山などを掌握しており、銀貨、つまりキャッシュを大量に保有していたからです。そのため、イギリスなどのタラのサプライヤー的には、いかにスペインに多くのタラを売って、スペインが保有する正貨を吸い上げるかといった部分が非常に重要だったことになります。その証拠に、これは17世紀のエピソードですが、イングランド本国の議会において、次のような証言が残されています。

「(タラ交易によって)スペインから大量の金塊がもたらされる。」

Christopher P. Magra, The Fisherman's Cause: Atlantic Commerce and Maritime Dimensions of the American Revolution, p. 84.


こうした点も、タラの流通が促進された要因になったと考えられます。以上のように、繰り返しになりますが、スペインを含む南欧地域では、フィッシュ・デイの関係から、干しダラがかなり珍重されていたこと、これが理由の2つ目になります。

③黒人奴隷の食糧源としての需要

では、3点目はなんだったのか。これは、かなり18世紀的な特徴になる部分なんじゃないかなと思うんですが、それは、この時期に、カリブ海において奴隷制プランテーションが本格化したことで、黒人奴隷の食糧源として干しダラ需要が急増したことです。上述したように、当時のカリブ海の島々では、最大の世界商品=砂糖の栽培が大規模に展開されていたワケですが、この時、労働力として、大勢の黒人奴隷が用いられました。この点は、世界史を習った方や歴史好きな方であれば、ご存知の内容かと思いますが、実はその際、こうしたカリブ海の島嶼部の土地は、換金性のある砂糖生産のためだけに利用されたため、黒人奴隷の食糧源は、ほぼ外部から輸入せざるを得ない状況だったんですよね。つまり、限りある島の土地を、奴隷用の食糧生産なんかに回すんじゃなくて、金になる砂糖の栽培用地として全振りさせていたワケです。

イギリスの重要な砂糖生産拠点の1つであったバルバドス(Barbados)の風景
ちなみに、バルバドスは17世紀の段階から砂糖生産が盛んでした。

そして、ここで一躍脚光を浴びたのが、またしてもタラ。先ほども述べた通り、干しダラの保存食としての能力はピカイチで、カリブ海のような熱帯性の気象条件下でも、かなり長期間、保存が効いたと言われています。さらに、干しダラは、高タンパクで栄養価も高く、同時に原価も安いということで、砂糖農園のプランターや奴隷主たちから、めちゃくちゃ重宝されたっつうワケなんです。実際、1775年には、西インド諸島(カリブ海の島々の別称)の砂糖プランターが、イギリス本国議会で以下のような証言を残しています。

「(干しダラは)西インド諸島全域で働く全ての黒人奴隷たちの肉(である。)」

Christopher P. Magra, The Fisherman's Cause: Atlantic Commerce and Maritime Dimensions of the American Revolution, p. 20.

この黒人奴隷の食糧としての需要増大。これが18世紀にタラが求められていた3つ目の理由になります。

以上の3つの理由ーすなわち、①船乗りたちの保存食需要、②南欧における需要、③黒人奴隷の食糧源需要ーから、18世紀に干しダラは、世界商品としての地位を築いていたわけなんです!♪(´ε` )

いかがだったでしょうか。「ヘェ〜、意外!」とか「結構おもろいじゃん!」とか思っていただけたら超嬉しいです。✌︎('ω'✌︎ ) また今後も、こうした類のネタをどんどん投下していこうと思いますんで、よろしくお願いします( ̄^ ̄)ゞ

じゃあボクは、引き続き、研究に戻ります!
Peace ooouuuttt!(^^)v



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