音符に書けない音を求める ~野村雅美さんインタヴューVol.2~

 ギタリスト・作曲家・抽象画家である野村雅美さんへのインタヴューVol.2。今回は、インプロとご自身の「目にヒリヒリするような」絵画について語っていただいた。

野村さん4

インプロの音楽的意義をめぐって

————インプロの音楽的意味、インプロという表現形態の良さはうまく言葉で表現できないでいるんですけど。コラボする上では使いやすいものだと思いますが、即興の演奏会はお客さんが少なく、社会的には需要が少ないのかと思ったり。

 プレイヤーがお客だったりね。即興演奏そのものが凄いポピュラリティーを得られる様になるのかどうかは俺には解らない。今迄そう云うのは音楽史の中であまりないよね。バッハもモーツァルトもベートーベンも即興が得意だったらしいけど作曲家として世に残ったしね。伝説的になっている人は阿部薫等いるけどそれも音楽良く聴く人の中での伝説だしね。現在の俺は即興もやるけど基本的に自分で曲を創って自分で演奏して。と云うスタンスかな。この10年続けて来た作曲家としての自分を充実させたいとも考えていて。
 インプロ(即興)と音楽は別物って云う人も結構いるね。でも俺はそうではないと思う。そうじゃなきゃモーツァルトやバッハの在り方が否定される訳だから。俺の場合インプロは作曲のアイデアの元だったりもするかな。そうするとインプロが二次的なものになるけどそれはそれで良いとも思える。

————作曲上はこのようにインプロが意味あるというのと、それと別に、インプロだけをする時の、弾き手にとっての意味は何か考えられますか。

 カントのアンチノミー的な話になるけど。逆に曲出て来ないかなとインプロしながら期待しているのはあるよね。インプロしていてぽろっと曲が出て来たらラッキーだなと思ってやってる事あるね。

————作曲したものを聴かせるときと、インプロ聴かせるときのお客さんにとっての違いは何になるのかとも思うんですけど。

 それは考えない様にしているね。音楽の受け止め方は本当に色々だし自由だしね。音楽的経験とか知識のない人がインプロをバーンと聴いてインプロを好きになっちゃうケースを何度も観てるし。ヴィオロンでの俺のライヴには割と年配のお客さんが来たりするんだけど。そんな方々に向けてギターの弦ゆるゆるでがちゃがちゃと弾いてみたりする訳ね、インプロで。これは年配の方には無理かな?とか考えずに。それを受け手がどう受けるか解らないけどあまりその人用にとは考えない様にしているね。

野村さん3

インプロの「合わせない」やり方

————僕は誰かとコラボするとき、相手に合わせてしまうことが多いんです。野村さんの場合は自分のスタイルでずっとやっていながら、他の人と調和もしているんですよね。

 その合わせないやり方はね。あれはインプロで凄く養ったな。共演者が全く擦り寄らない逆ベクトルでこっちはこっちで全然違う演奏をやる。これはインプロのやり方として正しいんだとグッドマン時代に掴んだね。全然合ってないじゃんと聴くと思うけど。こっちは勝手なチェロこっちは勝手なピアノで全然合わせてないけど。ちゃんと相手を聴いているのが解る様なコラボは音空間に絶妙な立体感が出来る。お互いがひたすら自由に弾いて、しかしお互いをしっかり聴いている。そう云う演奏方法は格好いいなと今でも思うね。だから共演者が全然勝手な事やっていても全く気にならない。

————インプロやっている人は昔の方が多いんですか。

 どうなんだろう?インプロと云うよりは、フリー・ジャズで山下洋輔さんとか。フリー・ジャズで大金入ってくる世界は1970年代前半迄はあったらしい。スタインウェイに火つけて燃やしても補填できる金が入っていたらしく。全共闘の時代終わり頃だろうか。それが段々そうでなくなってきて。ジャズ界も古典回帰。トランペットのウイントン・マルサリス等のように継承するだけで先に進まない世界になっていった。でも現在も頑張ってる演奏家もいるよね。灰野敬二さんはギターとエフェクターを山の様に持って世界を廻ってるしね。灰野さん位になるとノイズ(インプロ)で食っていけてるんじゃないかな。違うかな?

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独自のグラデーションによる油絵

————ところで美術についてお聞きしたいんですけど。野村さんの絵は、ギンギンで目にヒリヒリしてくる。こんな個性的なのがあるんだと思っていて。

 あのグラデーションは俺独自のもので10年位続けてるかな。6色使うグラデーョンで。背景は青や濃い紫や銀色等色々なんだけど。その前にある図形はブルー・バイオレット>バイオレット>レッド>オレンジ>イエロー>ホワイトの6色で構成されている。それによって発光しているかの様な色彩効果が得られているんだよね。

————バクテリアの形をした太陽という気がしたんですけど。

 イメージは極力しないんだよね、絵を描く時は。作曲もそうだけど。イメージするとわざとらしい絵になるからね。自然に手が勝手に描いたんだと云う作品になる様に可能な限りしている。だから作品にタイトルは1個も付いていない。全部無題。

————絵から受けるギンギン感とギターソロのゆったり静か目というのが結構対照的だと感じるんですが。

 そう云う人は結構多いね。でも逆に同じって云えば同じだと云う人も結構いる。そこは他者に判断して貰うしかないね。俺は基本的には音楽と美術で共通のものを発している積もりではないから。音楽も美術にしてもメッセージは込めないしね。音楽も美術も作者自ら媒体にしたら終わりだと思ってる。絵なら絵が音楽なら音楽が終着駅で最終目的。音楽で世の中変えようとかないから。絵や音楽で人を癒そうとも思ってはいない。でも結果的に人を癒せたり鼓舞したり勇気を与えたりカタルシスを与えたり。そう云う力が芸術にはある事も知っている。それでもそれは結果的な事。作家が純粋に作品を創って受け手が結果的に得られたモノ。それこそが純粋な芸術な在り方だと俺は確信しているね。

————絵はいつごろから描き始めたんですか。

 絵の方が先に才能見い出されたんだよね。幼稚園生や小学生の頃。図画工作とかの成績が良くて常に褒められてた。校長室の隣の掲示板に自分の絵が貼られていたりね。立体は得意でなかったけど絵は得意だった。中学生位迄は具象絵画ばかり描いていておそらくその頃が一番巧かったんじゃないかと思う。現在は具象描かないからど下手になったね。その後はミュージシャンになったし美術の方は好きで時々絵は描いてたけど個展なんぞは考えてもいなかった。それが今はない銀座の小野画廊が年一回主催していた賞があって。出したら銅賞あたりを取ってね。36才の時だけどそれで小野画廊で個展やらせて貰って。まあこれで一生で一度個展出来たから御の字と思っていたんだけど。それをきっかけに色々な画廊から企画展に出さないかと声をかけられる様になって。展示する度に飛ぶ様にではないけど売れる様にになって。年4回銀座で個展やった事もあったな。

————野村さんの絵はクセナキス的な感覚を感じるんですけど。

 クセナキスは好きだからね。好きだからその感覚、絵にも入ってるかもね。凶暴な作曲家だよね。

————現代美術とは出会いがあったというより、やってたらそれが現代美術になっていたという感じですか。

 いや出会いはあったね。幼稚園から中学迄の同級生で20代前半迄付合いあった友達がいて。そいつが絵が滅茶巧くてね。芸大浪人を何年もやってて結局行けなかったんだけど。そいつの家が地元三鷹で彼の部屋に色々な現代美術の本あって。そいつから知らない事を沢山教わったなあ。そいつがいなかったら現代美術に心が向いてなかったかもね。でも俺は割と新しもの好きで、保守の方や古いモノの方には行かない人間だから、そいつに会っていなくてもいつかは現代美術に興味持ったかもね。処で美術の現代表現はカンディンスキー辺りからだろうけど。俺は抽象的な表現は音楽よりも美術が先だと思い込んでいたんだよね。でもカンディンスキーはシェーンベルクのピアノ演奏会を聴いて触発されて抽象表現始めたと後で知ってね。なんだ音楽の方が先じゃん!なんて嬉しくなったり。

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→音符に書けない音を求める~野村雅美さんインタヴューVol.1~

 音符に書けない音を求める~野村雅美さんインタヴューVol.3~


◇本インタヴューの主旨は、現代芸術活動のアイデア、現代芸術の魅力をどう表現できるか、また社会にあるとよいシステムについて、関係者から話を集めること。それを記事にして共有することにより、現代芸術活動のやり方の体系をつかみ、うまく社会の中で演奏家なり作曲家なり表現者が動くための素地をつくることにあります。引き続き各演奏家、作曲家等の方々にインタヴューをしていきます。


                   2020/8/29 渋谷ルノワールにて

           話し手:野村雅美 ギタリスト・作曲家・抽象画家
           聴き手:北條立記 チェロ奏者・ライター


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