わたしの作曲家としてのスタンス ~近藤浩平口述シリーズ第3回~

 第3回は、近藤氏の作曲論と作曲家としてのスタンスを述べていただいている。ヨーロッパのメインストリーム的な現代音楽とはやや距離をおき、一般のお客さん目線に立ち、しかし妥協せず他の作曲家では代用できない音楽を求めている方だ。

アリゾナでの写真 (4)

クラシック音楽は自由度あるすごい表現道具

 日本、西洋を問わず、大多数の作曲家や演奏家は、ヨーロッパクラシック音楽の継承者としてのポジションを得るために、現代音楽をやっている。ピアニストなら本物のベートーヴェンを弾けるか、オーケストラなら本物のシュトラウスを弾けるか、そこからスタートし、そのようなクラシックの延長で現代音楽をやっている。それはオーケストラやクラシックの楽器が、ヨーロッパ音楽の文化そのものであるからではあるが。
 でもわたしは、最初からクラシックファンで、現代音楽にも触れるようになった、というわけではない。クラシックより美術とかが好きだった。ベートーヴェンやショパンに憧れてというように、ヨーロッパに文化として完成された頂点を見出して、それを学びたい、近づきたいというのを自分の動機としているのではない。
 わたしが作曲を始めたのは、以下のような思いがあったからだ。
 わたしは、クラシック音楽に触れる前から、日本文化の独自の価値がある日本の山に行くことが好きだった。山にばかり行っている人間の心象風景は、どうやって表現できるか。
 日本はお祭りや伝統芸能のような集団としての芸能はあり、そこでは自然環境を含めた文化的に高い音楽が作られている。だが、ヨーロッパ音楽のように個人の自己表現として音楽が成り立つというのが、あまりない。日本のポップスでそれができるかというとそれもできない。メロディーラインやコードというルールと構造があるポップスという音楽では、自分の思い通りの音楽はできないと思われた。ポピュラー音楽は、クラシック音楽以上に、様式が固定化されていて、根本的に違う構造の音楽には踏み込みにくい。
 一方、ベートーヴェンやリゲティが作曲して楽譜に書いたものを、オーケストラなどの手段を使って、自己の表現をする、あのテクニカルな伝達の仕組みに憧れ、すごいなと思った。一人の作曲家が楽譜を書き、あれだけ伝達力をもつのはすごい。とくに、現代音楽において、楽譜を書き、特定の和声様式に従う必要がなく、かなり自由度があって、自分で作品を作りきれる、そのシステムはすごく利用価値があると考えた。オーケストラという表現手段、そのメディアとしての機能性を考えると、オーケストラはすごい道具だと思った。高校生のときに。自分が作りたい文化のために、それを使えたらいいと。クラシック音楽の楽譜という、高度な伝達システムに興味があった。作曲以外に興味がなかった。

 好きな作曲家はいたが、この作曲家になりたい、というのはなかった。自分は自分の音楽を作るという所から始まっているし、ウィーンやパリに憧れるというのがなかった。普通のクラシック音楽家は、ヨーロッパの文化に憧れがある。でも自分は、日本の山とかそこの文化や自然が自分の立脚点と思っていたから、ウィーンやおフランスな世界はよそごとで、自分には関係ない、海外の風物でしかないと高校生の時に思っていた。ただただオーケストラという道具に憧れていていた。
 ベートーヴェンでもショパンでも、自分の立場、生まれた場所、時代背景をもとにやっていたと思う。誰かの真似ではなく。そういう作曲家が、いわば、同じ志をもった同業者の先達、という感じ。今ではクラシック音楽の作曲家は、自分が思い立ったことをやってきた人たちとして共感を覚える。

ブダペストでの写真

現代音楽界にこびない作曲家

 わたしの意識はいわゆる現代音楽界の中での評価に基準を置いていない。一般のお客さんに向き合っている。調性音楽しか分からない大衆という、現代音楽界的な上から目線はとらない立場だ。お客さんと一緒に遊ぶ。作品に妥協はしないけれど。
 さいわいにわたしは「鍋奉行」や「伸縮大魔王」のようなお客さんが一緒に遊べる曲とともに、綺麗な旋律も書いてきている。ポピュラーみたいに、あれは知っているという旋律があると強い。あの曲が好き、と一般のお客さんに言わせるのが必要。普通にショパンのあれ、ドヴュッシーのあれが好きというのと同様に、「海辺の雪」が好き、あの曲が好きとなってもらえたらと思っている。
 どうそれを作るか。それは作品のクオリティーの問題だ。いかに陳腐ではなくて、わかりやすくて、でも妥協していなくて、しかしアカデミックな現代音楽にはこび売ってないものだ。あちらにはこび売らないようにしているので。

代用できない音楽

 コロナにあわせて作った「いつか夢になるまで」は、まったく現代音楽であることを考えていないが、和声法は教科書的な調性のハーモニーではない。ああいう曲を書かないといけない。あのシンプルさでかつ他のだれでもないものを書くのは、なかなか難しい。あプロコだ、あショパンだ、近藤浩平だ、と音楽ファンが思う作曲家にならないといけない。
 そういうように、代用できない音楽を作れないといけない。
 そうでないと、よくできた模倣とか亜流。ブラームスを聴いた後に聴くとそれと似ているな、と感じさせる二流ロマン派みたいな存在になってはいけない。お客さんにとってそこを超えた作曲家にならないといけない。
 そういう目的の立て方を作曲家は考えるべきだ。
 チャイコフスキーのように、一般のお客さんこそが大喝采するその時代の新しい音楽、というところに目的を置きたい。コンクール入賞ではなく。藤倉大さんや武満徹さんはそういうところに目的を置いている。そこを目標にしないといけない。ショパンでは自分の曲は代用できないというところを。

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作曲家としての決定作をもつ

 1曲その作曲家の中でひきつける曲があると、それだけで演奏家はその作曲家の他の曲も見ようとするものだ。
 ロマン派でも、どれがという決定作がある。プロコフィエフ、バルトークではみなが知っている曲がある。ヒンデミットだとクラシックファンみんなが知っている曲がない。大作曲家だけれど、みんながあれと言うのがない。ホルストの「惑星」みたいに看板作品があると突き抜ける。
 わたしの場合、東日本大震災のときにつくった「海辺の祈り」が、再演150回を超えて200回くらいになっている。そういうあの時のあの音楽というもの。東日本の震災曲の中で残っていくものになるかもしれない。

自分のものとして共感して用いる民族音楽

 わたしは民族音楽も重視してきた。ただ、ヨーロッパの作曲家とか、知的で耳のよい作曲家が、雅楽などを精密に分析して使う、そういう分析において民族音楽を用いるスタンスとも違う。
 そうではなく、自分のものとして出てくるようにする。取材して利用したり、引用するかたちでは民族音楽を使わない。自分自身の音楽というところまでもっていく。分析して借りるという感じではない。
 

◇近藤浩平ホームページ
http://koheikondo.com/

◇本インタヴュー企画の主旨は、現代芸術活動のアイデア、現代芸術の魅力をどう表現できるか、また社会にあるとよいシステム等について、関係者から話を集めること。それを記事にして共有することにより、現代芸術活動のやり方の体系をつかみ、うまく社会の中で演奏家なり作曲家なり表現者が動くための素地をつくることにあります。引き続き各演奏家、作曲家等の方々にインタヴューをしていきます。


                       2020/8/22 茅ヶ崎にて
               (聴き手:北條立記 作曲家・ライター)

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