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「理性」に生きた諦めない君主【前編】

先日コテンラジオでフリードリヒ大王の回を聴いて面白かったので共有したいと思います。

以下第1話で12話構成です。長いと思ったら一瞬でした笑
(YouTubeでも、Podcastでも聴けます!)

私は世界史で知っていることもあったのですが、前提知識がなくても楽しめる内容だったのがコテンラジオの凄いところだと思います。

苦労をした末に「理性」に生き、啓蒙専制君主として一生を国家のために捧げたフリードリヒ大王の姿には、現代の私たちにも学べることが十分にあるように感じました。

フリードリヒ大王 Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_%28%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%29

フリードリヒ大王は、18世紀のプロイセン(現在のドイツ)の国王で、「哲人王」とも呼ばれていました。哲学や音楽などを好み、啓蒙君主としてそれまでの王権神授説(王権は神から与えられたもの)ではなく、人間の「理性」に基づいた判断で統治の理由を説明しようと試み、生涯に渡って意思決定を行いました。「君主は国家第一の僕」(上からふんぞり返っているのではなく君主こそが一番に国家を支える立場)という有名な言葉も残しています。

壮絶な幼少期・青年期

若き父、「軍人王」フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A01%E4%B8%96_%28%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%29

フリードリヒ大王の父、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世は、「軍人王」というあだ名がつくほど軍隊に強い関心を持ち、当時のヨーロッパで弱小国の一つでしかなかったプロイセンの軍備を増強し、常備軍の配置に耐えられる税制度や行政制度を作り上げました。

軍隊以外には興味がない、無駄だとも考えている父を持つ、後継候補のフリードリヒ大王(この時は王太子)は幼少期から母の影響からなのか、音楽や読書が大好きな少年でした。

この2人、親子なのにソリが絶望的に合いません。綺麗に正反対でした。

父である軍人王は、王国ではあれど、当時弱小国に過ぎなかったプロイセンを周りの強国と台頭に渡り合えるようにしなければならないという危機感のもと、子であるフリードリヒ王太子に分刻みの英才教育で強制的に軍隊や王としての教養を学ばせたりすることで、フリードリヒ王太子が好んだ読書や音楽の時間を奪います。

子のフリードリヒ王太子は不満で仕方ありません。大好きなことが満足にできず、抑圧されていました。

姉への手紙の中で心境を吐露しています。姉とは生涯を通じて仲が良く、ことあるごとに手紙を出していたそうです。

父、軍人王は子が自分の思い通りにならないこともあったことからか、現代であれば虐待と言える仕打ちを日に日に強めていきます。罵声を浴びせるだけにとどまらず、殴られてボロボロの状態で人前に晒されるなどの辛い経験だったそうです。。。

フリードリヒ王太子は次第に追い詰められていきます。

大脱走計画と王になる決意

我慢に耐えかねたフリードリヒ王太子は側近であり、仲の良い友人でもある人物と母の出身であるイングランドに脱走することを試みます。遠征の予定を利用して脱走を試みますが、計画が杜撰だったこともあり、軍人王の家臣に見つかってしまいます。

不安定な情勢の中で、イングランドの陰謀で脱走を試みたのではないかと疑った父、軍人王は怒り、計画に加担したフリードリヒ王太子の本当に仲の良かった親友だった人物を処刑を決定した上、フリードリヒ王太子も処刑しかけました。幸い、周辺諸国はフリードリヒ王太子を助ければ後に王になった後に貸しができるという下心のもと、救済の嘆願書などを送って監禁という形に落とし所を見つけ、なんとか王太子自身の処刑は免れました。

(しかし、フリードリヒは親友の処刑を目の前で見せられることになり、失神したと言われています。)

命は助かったものの、自分のせいで大切な人を失うという経験から、父に対して服従をしていくようになります。(本心では分かり合えないと思っていたかもしれませんが)

父である軍人王も少しずつ次代の王である存在として、監禁から解き、仕事を任せるようになっていきます。

この頃、父の意向での政略結婚で、オーストリアの元帥の娘と結婚しましたが、フリードリヒ王太子は彼女を見向きもせず、生涯彼らの間に子は生まれず、形式的な文通関係に留まったと言われています。

妻、エリーザベト Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB_%281715-1797%29

やっと監禁などから解放されたフリードリヒは父から任された仕事をこなしつつ、宮殿に知識人を集めて議論をしたり、
彼自身「反マキャベリ論」を唱える著作を執筆したりするなど哲学や読書といった自身が生来好んでいたものに勤しむ時間になり、
彼自身、この期間が「人生で最も楽しい時間だった」という趣旨の言葉を残しているそうです。

父が病気になり、一度は回復するものの、フリードリヒ王太子が28歳の時についに亡くなります。

ここで、ついにフリードリヒ王太子は王座につくことになります。

最後に

誕生から即位までを簡単にまとめましたが、父との葛藤の中で過ごした壮絶な少年期・青年期のように感じます。

ここがベース部分になってこの後のフリードリヒの人生が進んでいくので後編もお楽しみに。

次回、即位後編、お楽しみに!

ここまで読んでいただきありがとうございました!


7/30 追記:後編はこちらです!


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