日本の現役大学二年生が考える自分の将来と子供達の将来の夢について
「将来やりたいことはないの?」
皆さんはこのように両親や先生、あるいは周りの人から聞かれたこと、あるいは自分が言ったことはないですか?
僕(法政大学生)は何度もあります。そして、自分自身が大人に近づくにつれて年下の子に聞くようにもなりました。
しかし、自分自身、具体的にどうするべきなのかが分からない不鮮明な夢ばかり答えてきましたし、その質問に対する模範となる答えが何なのかもわかりませんでした。
では一体、「将来の夢」やそれを実現するためには何が必要で、どんなことを自分の子供にはしてあげられるのでしょうか?
今回は自分のことを思い出しながら自由にそれについて書こうと思います。
中学生のころはビルゲイツになりたかった
中学生のころは、将来の夢はビルゲイツのような天才発明家になって、お金持ちになることと言っていました。
その理由も単純で、彼の本を読み、彼の経歴を知り、この人になれたら、この人を超えられるような人になれたら、どんなに素晴らしいことができるだろうと思ったからでした。
そして同時に、私は映画「アイアンマン」を見て、パワードスーツを作りたいと思っていたので、なんとなく理系に進むことは決めていました。それもあって、コンピューター業界の帝王とも言える彼に憧れを抱いていました。
そこで私が立てていた目標が
でした。
が、具体的にどのように夢に進んでいくかは全く決めていませんでした。
今の夢は?
では、そこから約7年がたって、どのように変化したのでしょうか?
今の僕の目標は、「自分たちが作ったものを通して、世界を変えていくこと」です。
まあ大枠は変わってないようには思えます。
実際自分でも軸はぶれないよう必死に努力はしてきました。
ではなぜ、アイアンマン製作ではなくなったのでしょうか?
見える世界が広くなった
大人になるにつれて、見える世界はどんどん広がっていきます。それは経験をするからです。
どんどん経験を積み重ねていくなかで、自分の立ち位置、能力、周りの状況、世の中、色々と見えてくるようになります。
例えば、僕は受験生時代は1秒でも若くいたいという意味の分からない願望のために、残り1ヶ月しかない状態で無理矢理大学に入学しました。
しかし、今になってたくさんのレベルの高い大学生と知り合って、浪人してでも良かったから高いレベルの大学に入って、こういう人とお話をもっと日常的にできたら良かったな、なんて後悔をしなくもないです。
時間がたって成長すれば、自分が見えてくる世界が子供の時と比べて格段と広がります。
つまりは、
「自分が○○したい」だけでなく、「自分がそれをすることで周りにどんな影響が及ぶのか」
という物の見方に気づくということになります。
今子育てをしている皆さん
日本はICT教育が遅れてきたから、若者が技術を持てず、海外の学生に負けつつあると思っている方もいると思いますが、それだけではないと現役大学生の私は思います。もちろんそこにも原因はありますが。
いわゆる、日本の学生が海外の学生と比べて挑戦しないと言われる原因は、お先真っ暗で予想できない未来を大人になっても維持し続けてしまうことだと思ってます。
今の僕も半ばそうです。
では具体的にいったいどうすれば子供が自分の好きなことを見つけやすいのか?挑戦しやすいのか?
これは、私の知り合いの東大生が言っていたことなのですが、「未来を想像すること」が一番大切なことらしいです。
未来を想像するとは?
では、未来を想像をするとはどういうことなのか?
それは、未来の自分がどうなっていたいか、どうなれそうなのか、未来の社会はどうなっているか、どうさせたいかを、脳内でできるだけ具体的に鮮明にするということです。
どちらかと言えば、
未来を創造する
と言った方が正しいかもしれません。
(ちなみに、僕も15年先の事を想像できるかと言われたらほぼできません)
それこそ歴史や世界に名を連ねてきた偉人は、理想の未来や夢があってそれに向かって走り続けているという印象があります。
でも、未来を想像するといってもなんとなく考えるだけでは、今までとあまり変わりありませんよね。未来を創造するための道具がありません。
歴史はその点で非常に重要
これは我々が、現在活動しているからというのもありますが、それだけではない真実だと、僕は思っています。全体を俯瞰する、客観視するというのは歴史を知っていても難しいものです。
しかしながら、知らなければ自分の周りの世界を理解するのは、より難しいことになるのは明白です。
かのスティーブ・ジョブズは自分の理想を人に語るときに、芸術家ピカソの話を次のようにしたと聞きます。
「彼は常にリスクを取っていた。偉大になりたければ、リスクを背負って常に挑戦する必要がある」
つまりは
経験でのみ広がっていた世界観が、歴史を学ぶことでより広い世界観を持つことに繋がると思うのです。
また、人間誰しも先例があると行動しやすくなると思います。
例えば…
「あいつもやってたし、俺もやろう」
「あいつにできるなら、俺にもできる」
という経験を増やすことも大事なのではないでしょうか?
また、好きな分野の先人達がどんなことを既にしてきて、今の時代には何が足りないのかを知るきっかけにもなります。
(話しは大分それますが、ウクライナとロシアの戦争が大々的に報じられていたとき、自分の従兄弟が時事問題でロシアと戦争状況にある国を答えられていなかったことに驚きました。
それくらい今の僕たちの世代は、世界にも周りにも、無関心です。
今は正直そのままでも、生きていけますしそれが新しい世代のスタンダードなのかもしれません。僕も正直言って今は何も勉強しなくても、周りに興味を持たなくても生きていけます。
ただ、今後世の中がどんどん動いていく時に自分以外のことを知らないことがいかに危険かということを考えておいた方が良いと思うのです。誰でも発信できるインターネットがある今だからこそ、僕は情報の信憑性を確かめる力が必要なのだと思っています。)
結論
歴史を学ぶことは、全くもって実用的ではないです。
歴史を学んでもブロックチェーン技術や新技術を作ることはできません。
ただ、何かを人よりも知っているということは、それだけで武器になります。
そして、いつかあなた、もしくはあなたの子供が挑戦するか迷ったときに、彼らの言葉は必ずあなたもしくはあなたの子供の助けになると思います。
私は、理系出身でプログラムも書いてきました。
だからこそ、科学技術が生み出す力は素晴らしいと認知しています。それゆえに、子供たちがプログラミングを学んだり、理系分野に力をいれることは、彼らにとって大いに意味のある事だと思っています。今でも個人的な興味で、メタバースやweb3.0の世界の本を読んでみたり、古い付き合いの友人(詳しいので笑)から楽しく話を聞いたりします。
しかし、そんなプログラミングも技術の1つでしかありません。
今の我々に求められているのは、
「その技術を使っていったい何を成し遂げるのか?」
といったところだと思います。
なぜそれが人の役に立つのか?、なぜそれがより良い未来を生むのか?、そして自分はその未来を信じ続けることができるのか?を突き詰めることも、これからの時代を生き抜くために必要な力だと思います。
ここからは持論ですが、
いくら稼いだかではなく、何を成し遂げたか?
がキーポイントになる世の中になればいいなと思います。
まとめ
「将来の夢は何?」と聞かれて、すぐに答えられる子は滅多にみません。
実際に自分も、明確にこうしたい!こうできたらよい!というのを、しっかりと見えきっているとは言いがたいです。自分が中学生の時もそうでした。
だからこそ、自分もそして周りもより、夢を見やすい環境にしていけたら良いなと思っています。
子供である彼らは今探し続けてるんです。果てしなく続く世界へ。
だからこそ僕は自分が持っている塾の生徒に必ずこう言います。
「好きなことを見つける努力をしなさい」
好きじゃないことを見つける(自分にとって好きではないことだとわかる)のも立派な努力だし、趣味でもなんでも、勉強だけではなくて好きなことを見つけるのもいいよと。
もし良かったら、こちらの記事で私たちが取り組んでいることについて知ってもらえたら幸いです。
現在、夏季休みを使って猛スピードで制作中なので、応援よろしくお願いします。
それでは、失礼いたします。
現状の日本の歴史教育は暗記メイン・受験のための道具であり、本来学ぶ意義があるはずが蔑ろにされています。まずは歴史に触れ始める小学生が楽しめるような歴史カードゲームを通じて、私たちのビジョンである「歴史を楽しく主体的に」を実現しようと考えています。応援よろしくお願いします!