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【英語】TOEIC350から海外駐在員になった僕の話 〜仕事で使う英語力の目安〜

"My Presence on this stage is pretty unlikely"

バラク・オバマが大統領になる前、上院議員時代に行った有名なスピーチがあります。このスピーチは彼が42歳の頃、ジョン・ケリーの応援演説として行ったもので、大統領候補になるきっかけになったと評価されています。

冒頭部分を紹介いたします。

"Tonight is a particular honor for me because, let’s face it, my presence on this stage is pretty unlikely. My father was a foreign student, born and raised in a small village in Kenya. He grew up herding goats, went to school in a tin-roof shack. His father -- my grandfather -- was a cook, a domestic servant to the British."

"自分がこの場で応援演説をしているのは、起こりえないことです。私の父はケニアの小さな村で生まれ育った留学生でした。私の祖父は料理人としてイギリス人に仕えた使用人でした。"

こうしてアメリカ合衆国の可能性について話した彼は、後に皆さんご存知の通り大統領を二期務めることになります。オバマ政権の評価は人によって異なると思いますが、彼がマイノリティの立場にありながら、世界の最高権力者まで上り詰めたのは動かしようのない事実です。

この話からはじめると、だいぶスケールが小さい話になるのですが、私も"Pretty unlikely"なキャリアを積んでいます。今回は、海外経験というところにフォーカスをして紹介をしたいと思います。

はじめてのTOEIC IP Testでスコア350

私の今までのキャリアでは、それなりにアカデミックエリートとの関りもありましたが、私自身はまったく勉強とは無縁の学生生活を送りました。それが偶然や幸運、人との縁があり、2000年代の前半にアクセンチュアというコンサル会社でコンサルキャリアを歩み始めることになりました。

アクセンチュアでは、入社してプロジェクトにアサインされるまでの間に研修期間がありましたが、そこでTOEIC IP Test(団体受験)をはじめて受験しました。その時、リスニングでは流れてくる英語の速さに圧倒され、リーディングも全然わからず、鉛筆を転がして答えを埋めたくなる気分になったことを覚えています。

しばらくたって細長い紙に書かれた結果が返ってきましたが、確かリスニング150、リーディング200みたいな内訳で、スコアは350でした。20年近くたった今であれば満点近いスコアが毎回取れますけど、スタート地点はそこです。ですので、私は胸を張って(?)、英語ができない皆さんの気持ちが分かると断言できます。

990が満点ですので、本当に鉛筆を転がしてマークシートを埋めても、大してスコアは変わらなかったかもしれません。普通はそこで挫けると思いますが、プロモーション(昇進)に必要なTOEICの基準点があり、それが理由で英語を勉強し始めました。

学習開始から半年ぐらいでスコア790

内訳は覚えていないのですが、学習開始から半年ぐらいでTOEIC790というスコアをとりました。まず英語の勉強の仕方を研究し、私の結論は「結局英語力は読んだ量、話した量、書いた量に比例する。そしてTOEICは基礎力があればテクニックでなんとかなる。」ということでした。

最初に本屋に行って手を付けたのはZ会の「速読・速聴英単語」のBasicで、確か中学レベルと書いてあったと思います。こちらはTOEICのスコアに将来のキャリアがかかっているので、中学レベルが恥ずかしいなんて言ってられません。とりあえずCDと適度な長さ(長すぎない)のスクリプトがついているもので、分からな英単語が少なそうなものを選びました。

本を買って初日は、まずCDを聞いてディクテーション(音を聞いての書き取り)やシャドーイング(英語を聞いて、音をまねして発音する)にチャレンジしました。ですが、想像を絶する英語力不足だと単語レベルで躓くので、すぐに諦めました。その代わりに音を聞きながらスクリプトを音読し、声に出しながらノートにスクリプトを書きなぐるようにしていきました。分からない単語や、文法は無理に覚えようとはせずに、毎日30分でも音読と、スクリプトの書きなぐりをすることを習慣にしました。

不思議なもので音読と、スクリプト書きなぐりをした後だと、初めは暗号でしかなかったCD音声が意味の分かる塊になります。それで同じスクリプトを、次の日の通勤時の電車内でCDウォークマンで聞きながら、(声にならないぐらいの小声で)シャドーイングするのも習慣になりました。

「速読速聴英会話」のBasicを終えて、Core、Advanceまで同じことを繰り返しました。最初の数か月は、これしかやってなかったはずです。その時点でTOEICの公式問題集でスコアが600~700ぐらい取れそうというぐらいまでは行っていました。何回か受ければプロモーションに必要な基準点はいくかな、と思いましたがダメ押しが欲しくなりました。

そこで手を出したのがいわゆるテクニック本です。「TOEIC Test 正解が見える」という韓国人の方が書いた本です。今はそんなに使えないテクニックも含まれているような気がしますが、これで150~200ぐらいは英語力関係なくスコアがのびました。そして学習開始から約半年後にTOEIC公開テストを受けたときのスコアが790だったと記憶しています。

TOEIC800は仕事でつかえる英語力ではない

プロモーションの基準を突破したら、TOEICにはあまり興味がなくなりましたが、習慣化していたので英語の勉強は続けていました。英語を勉強し始めて数年後、将来的にグローバルプロジェクトにチャレンジしたい、またERPコンサルをやってみたいという気持ちが芽生え、アクセンチュアからアビームコンサルティングに転職しました。

"将来的に"というのが味噌です。アビームコンサルティングに入社して研修の最終日にアサイン担当から「天野さん、XXのプロジェクトで、来週からタイに行ってください」とメールが入りました。わたしは「ほかに候補者がいないのであれば仕方ないですが、家族もいますし、自信もないので今回は遠慮して力を蓄えてから挑戦させてください」と返信しました。いま考えると、コンサルティングファームでこんな理屈が通るはずがありません。「ほかに候補者はいないので天野さんで決まりですね。良かったです。」とすぐに返事がきました。

タイには数か月でしたが、片言英語でもなんとかなった記憶があります。問題はその後です。アサインメントが終わろうかというタイミングで、「次はLA(ロサンゼルス)のプロジェクトに行ってほしい」と日本から電話で伝えられました。

プロジェクトは正確にはLAではなく、LAX(ロサンゼルス国際空港)から車で1時間ほど行った場所にあるOrange CountyのIrvineという場所でした。当時OCというOrange Countyを舞台としたアメリカのドラマに奥さんがはまっていましたが、場所は本当に最高でした。長いホテル暮らし、車中心の生活での苦労はありましたが、ビーチや透き通った青空は忘れることができません。

ですが、英語は苦労しました。当時、テクニック本の下駄なしでTOEIC 800ぐらいの英語力だったと思いますが、アメリカ人との会議に入ったらもはや案山子です。ファーストフードの店でハンバーガーを買おうとすると"For here? To go?"(日本語だと「お持ち帰りですか?店内でお召し上がりですか?」)と聞かれ、テイクアウトが通じないことを知ります。

セルベルってなに?昼からウォッカ?

プロジェクトではEDI(Electric Data Interchange: 企業間でデータ連携によって取引を行う)という仕組みを担当していた私は、ある日、インド人のテクニカルコンサル二人と打ち合わせをもちました。すると二人がしきりに"セルベル"という単語を発します。私が"え、セルベルってなに?"と尋ねると、二人が呆れたような顔で、"お前はITコンサルなのにセルベルも知らないのか?"という顔を向けてきます。

二人がホワイトボードにダイアグラムを描いて、で"Put the file on this セルベル"といったときに察しました。

あ、サーバー(Server)のことだ!

"それ日本ではサーバーって発音するんだよ"と言ったら、Rの巻き舌は置いておいて、こんどはBとVの区別がついていないことをいじってきました。

また、別のある日、チャイニーズレストランに奥さんとランチに行ったとき、飲み物を聞かれ"ウォーター"と答えました。そしたらウェイターが怪訝な顔で、え、本当に"ウォーター"で良いの?というので、そうだ"ウォーターで良いんだ"と言いました。

出てきたのはウォッカでした。。

そしてアメリカ駐在員になった

Orange Countyでのプロジェクト期間中はホテル暮らしで、Go-Live(プロジェクト稼働)前、システムテストが終わるまでのアサイン予定でしたが、いよいよ日本への帰国というタイミングでプロジェクトマネージャから「帰りの航空券捨てていいから、Go-Liveまで居てくれ」と言われました。

ようやくGo-Liveを迎え、これで日本に帰れると思ったタイミングで、また同じプロジェクトマネージャから「駐在員として任期2年で残ってくれ」と言われ、プロジェクトでの海外生活に疲れていたこともあり「2年は長いです・・」とこたえたら「1年でもええで」と言われ、1年ならと思い申し出を受けました。

1年経過してそんな約束を覚えている人は誰もいません。リーダーになり、ビジネスが軌道に乗り始めると、駐在期間が切れる前に上司が日本からやってきて駐在の延長を説得する恒例行事ができるようになりました。そしてアメリカには合計7年間いました。30代の半分以上はアメリカで過ごしたことになります。

仕事で使える英語

最低限コンサルタントとして仕事をする上で必要な英語は、専門領域への知識があれば早い段階で何とか通じるようになっていくものです。そして、次の壁は客先でのプレゼンなど、フォーマルなコミュニケーションでの英語です。私は新規案件で提案プレゼンを英語で行う際には、毎回、アメリカ人の上司にプレゼンの練習に付き合ってもらっていました。

いまでも覚えているのは、アメリカ人の上司と出張でデトロイトへ行ったときのことです。お客さんへの提案プレゼンに向かうまえに、お客様オフィス近くのカフェに練習のために入ったとき、その彼がしばらく出張続きで家に帰れてないんだというので「娘さん小さいのに寂しいね」と言ったら「最近は、パソコンのSkypeで顔をみて話せるから、それだけが楽しみなんだよ」とニコッと笑って言いました。

そんなほほえましい話をした後、私の提案プレゼン練習に付き合ってもらって、「ここは、こういう表現にした方が良い」とか「この部分を強調したほうが良いね」と話をしているうちに熱が入ってきて、身振り手振りを交えて話していたら私の手がコーヒーカップにぶつかり、彼のパソコンにコーヒーをぶちまけてしまいました。彼の唯一の楽しみを奪った瞬間でした。

彼は顔を真っ赤にしながら、必死に冷静を保って許してくれましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そんなこともありながら、提案自体はお客さんから受け入れてもらいましたが、後日、その彼から注意されたことがありました。プレゼン中に私が"You guys"とか"You know.. You know.."と言っていたようなのですが、それが正式なビジネスの場で使うには失礼だとことでした。

また、日常の会話やメールのやりとりには不自由がなくなったぐらいの頃でも、契約書や提案書での英文は結構、びっちりと直しが入りました。通じて文法的にもまあまあ正しい英語と、politeな英語にはまだ壁があるように思います。

TOEICスコアと英語力の相関関係

タイミング毎に英語力チェックとして使ってきたので、TOEICと実際の英語力にどれぐらいの相関関係があるのか、専門家ではないのですが目安として書いてみようと思います。

まず私のスタート地点、350は、まったく何も通じません。ただ、学習の仕方を間違えなければ、日本の高等教育を受けた方なら600~700ぐらいは期間に個人差はあってもすぐに行くと思います。そこでの英語レベルは辞書を片手に英文がよめて、挨拶ぐらいの英語が喋れるぐらいです。

それが800ぐらいで、自分の専門分野の話であれば仕事でつかえるようになり始めるぐらいだと思います。それでも、本気の英語にはついていけません。

まがりなりにも、海外で英語で仕事ができるようになるのは900ぐらいが入口かなと思います。ただし、900あれば英語のバリアを感じないかというとそんなことはありません。TOEIC900前後の英語力は、海外で英語で仕事をする際には、まだ“英語”で苦労をするレベルと思います。

最近はTOEICを受けていないのでわかりませんが、今は特段の準備をせずとも、何回か受ければそのうち一回は満点取れるぐらいの英語力と思います。海外で英語でのリーダシップ研修を受けたり、日常的に英語での仕事のやり取りをしていますが、英語でのバリアはようやく感じなくなりました。専門分野の情報収集では英語の方が文献が豊富なので、迷わず英語で検索します。

それでも、日本語のやり取りより英語の方がストレスを感じますし、細かい文法や単語は意識しなければ間違えます。つまりネイティブが無意識にできるようには英語を使えていません。

外国語を学ぶということ

外国語を学ぶことは、勉強というよりは、運動に近い部分もあります。小さいころ、遅くとも学生時代から学びはじめないとネイティブレベルに到達するのは難しいと思います。そう考えると、社会人から勉強を始める方にとって、今の自分ぐらいの英語レベルが、ノンネイティブの一つの到達点と思います。

ここまで、英語が苦手な人がどうしたら英語を使えるようになるのか、参考になればと思い書きました。私の場合は仕事で使うということでしたが、とにかく触れた量、使った量に比例します。仕事でも趣味でも、交友関係でも、とにかく英語をつかう環境をつくることが、英語力をある基準から突破させるには絶対的に必要だと思います。

学習法にはあまり細かく触れていませんが、今後、機会があれば書いてみようと思います。個人的には、一人でも多くの方が、英語でのコミュニケーションをマスタしていくこと、それが日本にとって必要不可欠なグローバル化につながっていくことを願っています。



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