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【教訓・名言】人生の羅針盤となった稲盛和夫さんの言葉と、陽明学

私はコンサルティングファームでの経験や、海外駐在歴などから、いわゆるエリート層とみられることもありますが、実態としてはまったくそんなことはありません。

友人には恵まれましたが、有名な大学を卒業しているわけではなく、キャリアのスタートもニッチな産業の優良企業ではありましたが、事業会社のサラリーマンがスタートです。そして、最初に受けたTOEIC試験のスコアは350でした。

人生を変えた稲盛和夫さんの言葉

そもそも、中学・高校ぐらいまでひねくれていた頃までの自分は、あまり社会にでてまともに働くことを想像していません。バブル崩壊の足音が聞こえ始めていたとは思いますが、実家は田舎の土地持ちで、お金のために仕事をする必要性を感じていませんでした。

漠然と、大学には行かずに、職人にでもなろうと考えており、本を読むのが好きだったので、働かずに精神世界に浸る一生を送るものと考えていました。

状況が変わったのはバブルの崩壊で、他人様に言うのは躊躇するような出来事が家庭で重なっていき、遊んで一生を過ごすことはできないのだと気づきました。

それで、周りからの説得を受け大学に行き、ただ本意ではなかったので、何にたいしても身が入らない日々が続きました。そのような日常が変わったきっかけは父親の書棚にあった、京セラ創業者の稲盛和夫さんの本を手に取ったことです。

第二電電設立のくだりで、稲盛さんは以下のような問いかけをご自身にされています。

世のため人のため未知の分野に踏み出す気持ちの高ぶり、その一方で、自分は風車にほんろうされるドン・キホーテになるのではないかと思った。だんだん眠れなくなってきた。「稲盛和夫の名を残したいという私心から出ていないか」「国民の利益のためにという使命感に一点の曇りもないか」。夜ごと、もう一人の私が「動機善なりや、私心なかりしか」と厳しく問いつめる。半年ほど迷いに迷った末、純粋な動機に基づく社会的な事業であれば、必ず広範な支持を得て成功するとの確信を持つことができた。
(日経新聞「私の履歴書」からの抜粋)

この逸話にも通じますが、稲盛さんは、著書の中でさかんに「利他の心」の重要性を強調されていました。

稲盛さんのようなスケールではありませんが、私も仕事で判断に迷うときには、「利己的な見地での発言になっていないか」「自社の都合をクライアントに押し付けていないか」「クライアントの行いは、社会にとって良いことか」を見るようにしています。

また、自分自身の社会人としての経験をとおして、常に自己の都合だけではなく、目の前の相手とその先にいる方のために仕事をすることが、結果として個人にも無形の財産として返ってくることに気が付きました。

コンサルティングの神髄、知行合一

そしてまた、同時期に類書を手に取っていく中で、影響をうけたものとして、安岡正篤さんの言葉があります。書籍がもう手元にないのですが、「知識は行動を伴い見識となり、実行力・決断力を備えて胆識となる」という要旨だったと記憶しています。

安岡正篤さんは、右翼、昭和のフィクサーと呼ばれたり、最晩年に判断能力が衰えたときに細木数子さんと関係があったり、あまり良い形容詞だけで語られる方ではありません。一方で、書籍に掛かれていた言葉には重みがあり、陽明学への興味の入り口を作ってもらいました。

ここで私が今でも大事にしている事で、コンサルティングの神髄だと考えているのが安岡正篤さんの考え方のスタート地点になっている、知行合一の考え方です。

知行合一は日本の陽明学の歴史では、やや誤解されてきた面もあるようです。「知って行わざるは知らざると同じ」という貝原益軒の言葉をご存知の方もいらっしゃると思います。所謂、知識よりも行動を重視する側面で捉えられています。

しかし元々は、知ることと、行いは、一体で不可分だということを述べていたようです。「知は行の初めにして、行は知の成なり」と王陽明は述べています。知を認知、行を実行と読み替えますが、認知と実行を分断不可分のものとして、「知先行後」の朱子学を否定したものです。

この考え方は形式知と暗黙知を変換する経営学者の野中郁治郎さんが提唱する、現代のSECIモデルに通じる部分があると感じます。暗黙知と形式知を循環して、知識を創造していくのがSECIモデルで、知識創造の理論になります。ここでSECIモデルの詳細を説明することはしませんが、簡単な例を用いてどういう考え方かイメージでお伝えします。

例えばゴルフの技術書を何冊も読破してスイングのメカニズムを完璧に覚えても、コースや練習場でボールを打ったことがなければ、決してゴルフがうまくなることはありません。逆にまた、ある日のラウンドでナイスショットをしても、それがどういうメカニズムの結果によるものか理解し、言語化ができなければ、またショットの再現性も低くなります。

コンサルティングに限らないと思いますが、仕事における技術やスキルといわれるものも同じです。

プレゼンの技術を本で読んで一字一句覚えても、人前でのプレゼンを経験しなければプレゼンはできるようになりません。またプレゼン上達に向けては、実際には事前に予行練習をして、終わった後にレコードを聞き返してみて、できたところ、できなかったところを言語化して、それをまた次のプレゼン機会で改善するということを繰り返し、はじめて「プレゼンが出来る」と言えるようになります。

ビジネススキルは、それが何であれ、知ることが目的にはなりません。仕事において役立てることが目的ですが、知ることと、実践することは不可分です。プロトタイプに代表されるようなアジャイルアプローチの基本も、そこにあるのではないかと思います。

自分自身のことを決して頭が良いと思ったことはありませんが、社会人になってから比較的短期間で色々なことが出来るようになっていくことができたのは、知行合一という考え方に学生の頃、出会っていたからだと思います。

例えば英語習得では学生時代のように、単語を記憶して、文法書と睨めっこしてというようなことは会社員になってからはしませんでした。英語の文章を、読みながら喋りながらノートに書きなぐり、英語を聞いて、英語を話して、それを使えるようにしていきました。

人の恩は循環するもの

これは社会人になってから痛切に感じることですが、人から受けた恩は、それをしてくれた人に直接返すことは中々できません。親が自分を育ててくれて、その恩を返そうとしたときには、もう世の中にいないというような話はよく聞きますが、社会人になり若手の頃に良くしてくれた上司や先輩に、自分が一人前になったときに直接恩を返せるかというと、そうできるケースは稀ではないかと思います。

だから恩は返さなくて良いということではなく、循環なんだと思います。親に育ててもらったと感じている多くの方は、自分の子供に、自分の親がしてくれたことと同じようにしたいと思うのではないでしょうか。

自分は社会人になってから上司や先輩、仲間に恵まれ、クライアントに恵まれ、色々な方の恩を受けてエスタブリッシュメントではないところから、充実した社会人生活を送ることができました。それを折り返しを過ぎた残りのビジネスマンとしての期間で、出来る限り社会に還元していかなければいけないと感じています。

また、今の立場で仕事ができる一個人として、多少なりとも立て直しをしたビジネス環境を次の世代に渡さないといけないという責任も感じます。

こうした意識の源流には、学生時代に出会った稲盛和夫さんの言葉があります。稲盛さんに関しては、社会人になってからも日本航空の立て直しなど、功成り名を遂げた後の晩節を汚すリスクをかえりみず、陣頭で指揮を執られている姿をメディアで拝見して、本当にすごい方だなと思っていました。

運や環境を引き寄せたもの

また、周囲の力添えもそうですけど、知ることと行動を同一として捉えて仕事を進めてきたことで、自分のキャリアを前進させることが出来た面もあると感じています。人から恩を受けられたのも、それだけ自分が行動した結果であるとも言えるのかもしれません。

私の場合は、行動の基準、信念をこのような形で作ってきました。正解や不正解がある話ではありませんが、こうしたことを持つことが、自分のキャリアにおける目的地にたどり着くための羅針盤となることは間違いありません。

特に、これから社会に出る方は、私たちの世代以上に、難しいキャリア上の選択を問われる場面もあるのではないかと思います。特に若い方は、人生の出来るだけ早いタイミングで、問題意識を持ち、自分の人生の羅針盤を手に入れるようにしてください。

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